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誕生日

「よっ、モリリン!」


 その声が聞こえた瞬間、絹は廊下の曲がり角に張りついた。


 晴れ間のランチに行くには、校舎を出なければならない。


 三年の教室は一階にあるので、鉢合わせる可能性もあるのだ。


 そう――渡部と。


「モリリンなら、シューズの紐の予備、持ってるよねー。僕の汚れちゃってさー」


 声を聞くだけで、ムカつく男だ。


 紐が切れたならまだしも、汚れただけで替えるのか。


「……ああ」


 対する声は、低く静かだ。


 モリリンなんて、ふざけた呼び方をされて気の毒な――ん?


 絹はそっと、首だけを出して見た。


 渡部の背中の向こう、清潔感ある短めの髪に、眼鏡の男子生徒が立っていた。


 随分、背が高い。


「さっすが、モリリン」


 渡部の背中が、楽しげに揺れる。


「渡部様、あまり森村さんに無理を言ってはいけませんよ」


 通りすがりの女生徒に、くすくすと笑われている。


「僕のものは僕のもの。モリリンのものも僕のものだからいいんだよー」


 見事なジャイアニズムを披露しながら、渡部の関心は森村から女生徒へと移った。


 話は終わったとばかりに、渡部は行ってしまう。


 絹とは、反対方向だったので助かった。


 森村は。


 一度、後方の渡部を振り返って見る。


 その顔が、再び前に向き直った時。


 氷よりも、もっと冷たい顔をしていた。


 ぞくっ。


 絹の背筋に、悪寒が走る。


 違う。


 気付いた。


 委員長は、間違っている、と。


 あれは――仲良しの目じゃ、ない。


 ※


「絹さん、誕生日っていつ?」


 森村直後の、ランチタイム。


 絹の意識の一部は、そっちへ行っていたが、了の声に引き戻される。


「誕生日?」


 三兄弟の中で、そんなことを言い出すのは、了くらいだろう。


「うん、もう過ぎたとかじゃない、よ、ね?」


 最後の方は、心配になったのか、声が揺れる。


「七月よ…七月七日」


 冗談でも何でもなく、真実だ。


 学校の書類も、それで出されているはずだった。


「ちぇ、京兄ぃと同じ月かぁ」


 七夕に驚くより先に、そんな不満を言われるとは。


「あ、でもでも、七夕なんてロマンティックだね…」


 だから、天文部に入ったんだね。


 一人で楽しそうだ。


 天文部に入った動機など、もっと下世話なものだと言うのに。


「でも、いつも梅雨明けしてなくて、星なんか見えないわ」


 誕生日が、雨でなかったことの方が少ない。


「あっ、北海道なら、梅雨がないから晴れてるかもよ!」


 ぽーん。


 軽い音で、了の話が飛んだ。


 どんな思考回路をしているのか。


「僕、一番素敵な絹さんの誕生日を考えるよ」


 瞳が、輝いている。


 俄然、やる気になった目だ。


「り、了くん?」


 金持ちの感覚は、分からない。


 北海道、なんてセリフが出るのだ。


 誕生日旅行に行こう、と誘われるのではないか。


「京兄ぃも将兄ぃも、絹さんの誕生日知らないよね…くふふ」


 既に、二人を出し抜く気満々だ。


「了くん…北海道旅行に誘っても、私断るわよ」


 なんというかもう。


 くすくす笑いながら、釘を刺す。


「ええーどうして分かったのー? なんで断るのー?」


 驚きとブーイングに、更に絹は、笑いをこらえなければならなかった。


「二人きりで旅行なんてだめよ…了くんも男の人なんだから」


 落ち込ませないように、一人前扱いすると――了の顔が赤く染まった。


 ※


「了に…なんか言った?」


 翌日の教室。


 車の中では聞けなかったらしく、一緒に登校した将が、席に着くなりそう言った。


「え?」


 どういう意味か分からずに、聞き返す。


 了に、何か異変があったのだろうか。


「あ、いや…なんか昨日から、地に足ついてないみたいで…コケるし、ぶつかるし、間違ってオレの部屋に入ってくるし」


 将の言葉は、困惑に満ちていた。


 それに絹は、笑ってしまいそうで困るのだ。


 昨日、一人前扱いしたせいで、了の中で何か芽生えてしまったのか。


 母親に似た、お姉さんのような絹――それが、少し形を変えてしまったのかもしれない。


「了くんも思春期だから、いろいろ悩みがあるんじゃないの?」


 罪作りなことをしてしまったようだが、それを説明するわけにもいかなかった。


 知らぬふりをするだけだ。


「そっか…」


 将は、納得したようだ。


 カンは悪くないが、ツメは甘い。


 だから、絹は助かるのだが。


「そういえば、了くんに誕生日を聞かれたわ…将くんは、誕生日はいつなの?」


 男に先に誕生日を聞かれるというのは、多少おさまりの悪いことだった。


 こういうアニバーサリーは、女性の方が率先して動かないといけないのに。


 彼らの誕生日を知ることで、いろいろ口実ができ、ボスが喜ぶかもしれないのだ。


 資料でひととおりのプロフィールに目を通していたが、本人の口から聞いておかなければならなかった。


「オレは11月…15日」


 一瞬、言葉にためらいがみられた。


 ああ。


「七五三ね」


 にこっと笑って指摘すると、将は顔をくしゃっと歪めた。


 余り好きではないようだ。


「子供っぽくて、ヤなんだよ」


 京は、7月17日。

 了は、3月31日。


 と、それぞれ聞いておく。


 これで、なんなりと計画も立てられる。


「3月31日で了って…年度の終わりだから?」


 ふと、そう思ってくすっと笑ったら、将が微妙に苦笑した。


「それ、本人に言うといやがるから…やめてやってね」


 うちの親、名づけのセンス悪いんだよ。


 将の言葉に、猛烈に笑いがこみ上げてしまった。


 ※


「実は、誕生日と名前には関係があるのだよ」


 家に帰り着くと、ボスがいきなり玄関先で講義を始めた。


 目がキラキラと輝いている。


「た、ただいま帰りました」


 絹は、笑顔を浮かべそこねながら、とりあえず玄関を上がった。


「3月末日の了くんは、絹も気づいただろうが…あとの二人には気づいておるまい」


 ふっふっふ。


 てくてく、居間に向かうさなか、そんなことで勝ち誇られても困る。


「まず、将くん。彼は、11月生まれ…ここに着目だ」


 テストに出る重点項目を教えているようなボスの声を横目に、絹はソファにかばんを置く。


「11月の別名は?」


 はい、絹くん――と、指を差される。


「し、霜月です」


 思いつくものを答えた。


「ブッブー…11月の別名は、サムライの月です」


 腕組みをして、ダメな生徒を見る目で見ないでください。


 絹は、苦笑した。


 しかも、その答えはマッドサイエンティストというよりは、おばあちゃんの知恵袋だ。


「11月を漢字で書くと、武士の『士』に似ているから、サムライの月、というわけで…将くんという名前になりました」


 えっへん。


 ボスの勝ち誇ったままの解説に、絹は将のセリフを思い出していた。


『うちの親、名づけのセンス悪いんだよ。』


 まあ、将はマシな方か。


「そして京くん…7月17日は何の日だね」


「知りません」


 絹は、即答した。


 少なくとも、世間一般に知られている名称は、その日にはなかったはずだ。


 ハッ。


 ボスは、お手上げという風に、両手を軽く持ち上げて見せる。


「7月17日は…京都の祇園祭のメインイベントデーなのだ!」


 どうだ、すごいだろう。


 ボスの全身から、私だけが知っている知識というオーラが、ばんばんに放出されていた。


 やっぱり、将が一番マシな名前のつけられ方だな。


 ボスのオーラを、さりげなくスルーしながら、そう納得した。


 京都、か。


 織田の本拠地は、関西だったはず。


 ということは、京の名前を決めたのは――桜かもしれない。


 絹は、ふとそう思った。


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