部長
「絹さん、少しいいかな」
放課後、将が思いつめたような顔で、声をかけてきた。
ん?
「あの、男子テニス部の部長に、少し話を聞きたいんだけど」
影のある表情のまま、彼はそう言うのだ。
釣り上がってないと思ったら、口の中に針が入ったままだったのか。
「どうしたの? 何か気になることでも?」
何かを怖がっている気がして、絹は静かに聞いた。
京は、疑ってはいたが、怖がってはいない。
一方将は、母親を覚えている、ぎりぎりくらいの年齢だったはずだ。
何かを知っているのだろうか。
「うん…母さんの、本当のお墓がどこにあるのか…知りたくて」
ああ。
将も、母親の遺骨が広井家にないことは、知っているのだ。
しかし、それだけのことには思えない。
「顔色が悪いわ…何か、怖い思い出でも?」
絹は、いたわる声を出した。
京とは違う記憶がある――そう、彼女は察知したのだ。
「あ…いや…母の死顔が、時々鮮明に甦ってくるんだ。まっさおで、唇が土色で…思い出すと、背中が冷たくなって」
将は、言葉が喉にひっかかるような声を出す。
子供心に、それは怖いものだったのだろう。
ん?
しかし、絹は彼の言葉が気になった。
「お母さんの、死顔を…見たの?」
おかしい。
話が食い違っている。
チョウも京も、桜の死に目にあえなかったはずなのだ。
なのに、なぜ。
「うん…なんだろう…病院の中をぐるぐる回ってた記憶があるんだ…知らないおじさんたちが押してるベッドの上に、母さんが…そこから…よく覚えてなくて」
見て、いた。
将は、病院にいた母を、見ていた。
家族の中で、ただ一人――その死を。
「兄貴は、母さんが死んだって信じてないみたいだし…ずっと誰にも言えなかったんだけど…やっぱり母さんは、死んでるんだと思う」
それなら、きちんとお墓参りがしたいんだ。
肩を落とす将の腕に、優しく手を伸ばす。
そっと触れて。
「何か分かるか確証はないけど、委員長に紹介してもらいましょう」
桜の亡霊は、将にも絡み付いていた。
※
「ちょっと待ってね…男子部から呼んでくるから」
そう言って、委員長は部室棟の一階へと消えた。
運動部は、大体一階に集中している。
その入り口辺りで、二人は部長の渡部を待つことにした。
青柳って名前と、望月を並べたのが気になるなあ。
この顔を桜と結びつけたというのなら、望月が出てくるのは分かる。
しかし、青柳という名字を出したのは、なぜなのか。
将と待ちながら、絹は推理を組み立てようとした。
のに。
「はぁい…絹ちゃん」
突然、耳の後ろから囁かれ、絹は振り返りながら飛びのいたのだ。
まったく気配がなかった。
しかも、彼女をちゃんづけで呼ぶ人間など、いないはずだ。
振り返った先には――
「こんなところで、何してるの?」
柔和なハンサム、渡部様だった。
彼は、まだ部室へ行っていなかったのだ。
それに。
この男は、彼女のことを何と呼んだか。
もしかしたら、委員長が名前を教えたのかもしれないが。
彼はラーマソフトより軽い男で、ほぼ初対面の相手を、そんな風に呼べる人間なのかもしれないが。
調べられた!?
絹は、それを警戒して身構えたのだ。
桜を知っている人間が、桜に似た彼女のことを調べるのは、至極ありえることに感じた。
「高坂…絹ちゃんだよね…こっちは広井んちの次男坊か」
笑顔を浮かべながら、絹と将を交互に見る。
将に対する言葉が、微妙に適当なのは、男だからか。
それとも――広井だからか。
「あの…少し伺いたいことが」
将は、怯まなかった。
渡部に向かって、母の質問をしようとするのだ。
なのに。
将を無視して、彼は絹の方へと向かってきた。
「絹ちゃん…付き合う相手は選ばないと…」
周囲をはばからない、明るい声。
絹は、警戒したまま動けなかった。
「その顔で、広井と付き合ってると…誰かさんみたいに、殺されちゃうよ」
最後の言葉は、絹の耳元で。
あざ笑う声に聞こえた。
※
「あら、部長…こっちだったんですか」
委員長が、戻ってくる。
部長はまだ来ていないと、教えに戻ってきてくれたのだろう。
「こちら、高坂さんと広井くん…部長にお話があるんですって」
苦く渦巻く空気。
委員長は、しゃべっている途中で、それに気づいたようだ。
語尾が、怪訝に揺れた。
「うん、でももう話は終わったから。行こうか、あーちゃん」
軽い男は、委員長の腰に手を回して、回れ右させる。
絹は、目だけを動かして、渡部を追った。
振り返りざまの彼と、その瞬間、目が合う。
「いいねぇ…絹ちゃんのその目。生きてるって感じ…やっぱ、いくら綺麗でも生きてないと、ね」
軽く片手を上げて、バイバイと手を振られた。
委員長が、何度も何度も振り返って、彼らの方を気遣う様子を見せたが、渡部に力づくて連れていかれてしまう。
とんでもない爆弾だった。
ちょっと知っているかも、じゃない。
相当知っているに違いない。
もしかしたら、織田関係の人間なのかもしれない。
「あの人……知ってるよね」
将が、ぽつりと呟いた。
最後の辺りの言葉は、聞こえていないはずだ。
しかし、相手は将を広井の人間だと知っていたし、付き合う相手を選べと言ったのだ。
「そうね…知ってそうね」
だが、知っているからといって教えてくれるような、好意的な人間には、とてもじゃないが見えなかった。
食わせものだわ。
女好きの軽い男、というのはどうやら飾りのようだ。
人間、見た目どおりではないということくらい、絹は自分でよく知っているというのに。
「でも…将くんが直接聞くと…きっと、傷つけられるわ」
母に思い入れがある分、その傷は深くなるだろう。
お前の母は、殺されたのだと――そう言われたら。
「うん…そうかもしれないな」
意外にも、将はすんなりそれを納得した。
自分への敵意のようなものを、感じ取ったのだろうか。
「けど、一番傷つくのは、子供の頃にもう終わったから…大丈夫だと思う」
将は、少し笑った。
倒れないようにふんばる、男の笑顔だった。