釣り
悪者の、織田ねぇ。
とりあえずは、桜の実家の手がかりなるものは見つかったが、それはほんの入り口だけだ。
まだまだ、雲を掴むような話だった。
大体。
桜の実家や、彼女の死の真相を知って、どうしようというのだろう。
絹は、根本的に立ち止まっていたのだ。
自分の過去にも関係のある連中だが、既に違う人間になった彼女は、関わり合いになりたくなかった。
「難しい顔をしてるわよ」
いつの間にか、委員長が目の前に来ていた。
HRが終わったようで、彼女は鞄とラケットを持っている。
そういえば、テニス部だったか。
「雨なのに、部活があるの?」
絹は、笑顔を作りながら聞いた。
鬱陶しい梅雨だ。
「屋内コートもあるのよ」
優しい答えに、絹はさすが金持ち学校と、心で呟いていた。
「高坂さんも興味があるなら、是非一度見学にきて欲しいわ」
まだ、彼女の運動神経をあきらめていないような発言に、絹は小さく指で×を作る。
そんな時だった。
「あーっちゃん」
後部ドアから、お軽い男の声が飛ぶ。
「部長?」
それに反応したのは、意外にも委員長だった。
あーっちゃん?
すごい呼ばれ方だと驚きつつ、ドアの方を見る。
「どうしたんですか? わざわざ」
委員長が駆け寄る先には。
「渡部様だわ」
ひそっと。
近くの女生徒が呟いた――桃色の声で。
うわぁ。
この「うわぁ」は、絹の身体が引く響きだった。
広井兄弟とは、質の違う美形が現れたのだ。
軽やかでやわらかな茶色の髪と、やはりやわらかく整った甘い顔。
絶対に、彼女がきれることのないタイプだ。
※
「あーちゃん、こないだガットの張替え手伝ってもらったよねー…これお礼」
部室で渡すと、他の女の子に睨まれちゃうだろ?
絹は、耳をふさぎたかった。
なんか、こいつ――ムカつくタイプ。
「絹さん、部活いこうか」
彼女の様子も気づかずに、将が帰り支度を済ませ立ち上がる。
そうだ。
さっさと、声の聞こえないところまで行けばいいのだ。
絹も立ち上がり、教室を出て行こうとした。
その時。
すうっと。
渡部と呼ばれる男の目が――絹の顔を追った。
柔和な瞳を、呆然と見開きながら。
※
「おはよう」
将と登校すると、教室で委員長が釣れた。
「おはよう…どうかしたの?」
絹に狙いを定めて来た気がして、彼女は厄介なことじゃないといいな、と思っていたのだ。
「高坂さん…男子テニス部の部長、知ってる?」
委員長は、絹の机の真正面に張り付いた。
声は、なぜか辺りをはばかるようなものだったが。
男子テニス部の部長。
絹の頭に、昨日の甘軽い男がよぎる。
「いいえ、昨日拝見したのが初めてよ」
軽く、表情を曇らせてしまった。
そういえば。
教室を出て行く間際、ちらりと見られたのだ。
しかし、それは珍しい反応ではない。
いまでも学校では、学年の違う人とすれ違う時、同じように見られることが多々ある。
だから、いつものこととスルーしていたのだが。
「そ…そうなのね…あの後、とてもしつこく聞かれたから」
考え込む委員長。
ああ。
絹は苦笑した。
それは、単なるナンパ方向の話ではないのだろうか、と。
「あーちゃんは、部長が気になるのね」
だから、さっさと茶化して話を終えようと思った。
「もう、やめてよ部長みたいに呼ぶの…恥ずかしいんだから」
珍しい彼女の赤くなった頬に、絹はくすくすと微笑む。
その笑みが。
「おかしいなあ…高坂さんの名字が、望月か青柳じゃないかって何度も聞くから、てっきり知り合いかと思ったのに」
笑みが――凍りつく。
出た。
望月桜の亡霊が出た。
青柳という、見知らぬ名前を連れて。
そして、凍りついたのは。
絹は、ゆっくりと隣の席を見た。
そう。
凍りついたのは、将も同じだったのだ。
※
ボスに聞けたらなあ。
絹は、うーんと唸った。
織田に関して、変な知識を持っているボスならば、望月も青柳も、もしかしたら知っているのかもしれない、と。
しかし、あの奇妙なすっとぼけ以来、織田の話はまったく出なくなった。
出ることが不自然だったし、ボスが桜について調べよう、などと思うはずもない。
ん?
そこでふと、絹は引っかかった。
そうだ。
ボスは、自分から桜のことを調べようなどと、思うことはないだろう。
たとえ、こうして点々と、彼女の亡霊の痕跡に出会ったとしても。
それなら。
「将くん…顔色が悪いわ、どうしたの?」
まださっきの委員長の言葉から、毒が抜け切っていない将に、声をかけた。
「あ、いや…うん」
言いよどむ。
さあ。
絹は、思った。
さあ、わだかまっていることを、口に出して、と。
この件で、絹が個人的に動けないというのなら、動く口実が真横にいたのだ。
ボスも、将が知りたいと思えば、決して止めたりはしないだろう。
「さっきの話の望月って…」
そうよ。
絹は手招きをした。
「それ……母さんの実家の名字なんだ」
よしきた。
軽くガッツポーズ。
「あら…じゃあ、ご実家のお知り合いかしらね、男子部の部長さん」
その話を、知らぬ素振りで引き伸ばしていく。
「私がお母さまに似ていたから、親戚と間違われたのかしら」
京ほど、大きくはなかった将。
了ほど、母を知らないわけじゃない将。
「あ、も、もう…昔の話だよ…母さんは死んだんだし」
何かを怖がるかのように、将は口を閉ざした。
そのまま、窓の外を向いてしまう。
あーもー。
釣り上げ――失敗。