猫の皮をはぐ
「すごすぎて…困るな」
ひととおり説明を受け、操作し終えたチョウは、ため息と共にソファに沈んだ。
既に2時間くらいは悠にたっており、多少の疲れはしょうがないだろう。
しかし、その疲労とはまた違う系列の気がした。
「巧……本当に、うちの技術顧問で入らないか?」
チョウは、真剣そのものだ。
「技術顧問?」
ボスの目は揺らいでいる。
技術顧問という肩書きが、魅力的なのではない。
チョウに必要とされている事実が、限りなく魅力的なのだ。
「そう、技術顧問だ。これだけの技術を、友達だからと言って、タダでもらうわけにはいかん。予想の範囲を越えている」
まあ、ボスの価値を高く見てくれたことは、同意する。
「うちの技術屋どもに、これらの出所を聞かれて、サンタさんがくれました、と答えさせる気か」
チョウは熱弁をふるう。
ボスの目はもう、釘づけだ。
絹は、正気に戻すため、座っているボスの後ろに回り、肩に手を置いた。
はっと、ボスが揺らめく。
「おじさま…」
今日の絹は、島村の代理だ。
だから、ボスを守るのが最優先。
「おじさまは、先生を守れます? 全世界の…先生の技術を悪用したい悪者全部から…先生を守れますか?」
微笑んでみたが、目までは笑えなかったかもしれない。
しかし、本気を伝えるには、そのほうがいいだろう。
「絹!」
振り向きながら、ボスが叱咤の声を上げる。
しかし、絹はまっすぐにチョウを見ていた。
「なるほど…巧を囲いこむには、それくらい覚悟がいるということか…」
ふぅ。
彼の吐息は――天井に向かって吐かれた。
※
「ちょっと…来い」
京に、腕を取られた。
まだ、チョウが技術顧問の話を完全にあきらめたかどうか、言葉で確認し終わっていないというのに。
京は、彼女を部屋の外へ引っ張っていこうとするのだ。
その有無も言わせない力に、ドアの外に放り出される。
「ど、どこに行くの?」
更に、廊下を引っ張っぱられる。
絹としては、ボスが気になるので、余り遠くには行きたくなかった。
「隣…オレの部屋だ」
バタン。
大変近くて、ようございました。
しかし、隣とは壁ひとつはさんでいる。
声も姿も、完全に遮断されていた。
あの二人は、どんな話をしているのか。
「一体、何事?」
綺麗に片付けられた部屋。
掃除をしているのは、本人ではないに違いない。
「お前、この間の観測会の時から思ってたが…先生は年上の、しかも社会人だぞ。その相手に、何保護者みたいなことやってんだ」
決めるのは、先生だろうが。
京は、保護者にいちいち口を挟むな――そう言いたいのだ。
技術顧問という父親の言葉に、京も心踊ったのだろう。
それなのに、絹が横から蹴りを入れたのである。
「京さん…私は怖いの。先生は、私を引き取ってくれた大恩人よ…その人に降りかかる危険があるなんて、考えたくもないの」
この件に関して言えば、完全に京とは決別だ。
今後の付き合いにも、影響が出るかもしれない。
それでも。
絹は、ボスを守らなければならないのだ。
たとえ、ボスにそれを望まれなくても。
「だから、大げさすぎるって言ってるんだ」
大げさ?
絹は、微笑んだ。
悲しかったのだ。
「京さんの中では…そんなに先生の評価は低いのね」
あれだけの製品を、直に見ておきながら。
「私が悪者なら、あの発電機で人の体温や、周囲の温度を奪いつくすことに、応用するかもしれないのに…」
真夏に――凍死だってできる。
※
「どんなものだって、悪用できるわ…ただ、そんな人を先生に近付けたくないだけ」
絹はそうまとめたが、京に自分のダークな面を見せた気がしていた。
ボス、すみません。
京を敵に回したかもなあと、彼女は隣の部屋の雇用主に呟く。
「お前、先生のこと…好きなのか?」
しかし、京の言葉は、絹を笑いの渦にたたき込んだ。
うぷっと吹き出しそうになるのを、こらえなければならない。
「あはは…好きよ、大好き。いるかどうか分からない、神様より尊敬しているわ」
それでも笑いが抑え切れず、絹は身体を折るようにして笑ってしまう。
恋という感覚で扱われるのが、おかしくてしょうがない。
恋なんてものは、夢を見る能力が生み出すものだ。
絹にはまだ、そんな余裕などない。
仕事をこなし、ボスを守るだけだ。
「お前…そっちの顔の方が、“らしい”な。少し、悪そうだが」
京は、肩をそびやかしながら――笑った。
坊っちゃんの考えることは分からない。
母親に似た顔の女が、ダークでも構わないのだろうか。
「私は私よ…どんな顔をしていても、私」
あの醜い顔でも。
自虐的に、絹は呟く。
ただ、この兄弟は絹が醜い顔であったなら、見向きもしなかっただろう。
そこが、ボスとは違うところなのだ。
絹の中に、深く貫かれているわだかまり。
「先生の前に立ちはだかる、お前の壁は厚そうだ」
京は苦笑したが、絹が考えたような、嫌悪などは見て取れなかった。
「まあ、なんにせよ…聖女ぶられるより、まだ悪女くさい方が好みだがな」
どうやら。
ボスのことを、京はあきらめてくれた気がする。
しかし、その代わりに、不穏な言葉が投げられた。
色恋の香り。
「ふふふ…それはどうもありがとう…話が終わったなら、私は戻るわね」
だから――彼好みの悪女らしく、かわすことにした。
バランスを壊したいなら、ボスの許しをとってきて。
心の中の言葉を飲み込みながらも、絹は少しだけ肩が軽く感じられた。
かぶる猫の分量が、少なめでいいというのは、結構楽になるものなのだ。
部屋を出ながら、絹は再び重い猫をフル装備したのだった。