雨
「なぁ、絹」
週明けの朝。
車の中で、京が呼び掛けてきた。
何事だろう。
珍しい事態に、絹は首を傾げる。
「おまえの保護者…紹介しろ」
しかし、内容はボスに関することだった。
どうやら、あの天体望遠鏡から、興味を抱いたようである。
絹は、ついつい胸の万年筆を見下ろしてしまった。
いま、ボスはどういう反応をしているだろうか、と。
「突然どうしたの?」
絹は、少し慎重になった。
京が興味があるのは、ボスの持つ技術だ。
だが、将来技術屋のトップに立つはずの彼と、マッドサイエンティストが相容れる気がしなかった。
「いや、一度研究風景が見てみたくて、な」
父親のツテを使わないところが、京らしい。
「京兄ぃね、昨日パパがもらった望遠鏡を分解しようとして、すっごい怒られてたんだよ」
ぷっと笑いながら言う了の言葉に、絹は笑えなかった。
チョウがやらなくても、京がいたのだ。
今頃、島村がこめかみに交差点を浮かべていることだろう。
「気になったんだよ、どんなレンズ仕込んでるか」
京に、悪びれる様子はない。
「それでパパ、望遠鏡を知らないところに隠したんだよ」
今頃、ボスが喜んでいるのは置いておくとして。
「京さん、ごめんなさい…紹介できないわ」
絹は、複雑な気持ちのまま、彼の申し出を取り下げた。
「何故?」
おなかの底から、不満そうな声を出す。
島村の心配が、彼の介入をきっかけに、現実味を帯びそうだったのだ。
「先生の、能力だけが目当てなら…私がいやなの」
ボス、怒ってるだろうなあ。
絹は、万年筆を見ないようにしながら、複雑な気持ちを噛みしめたのだった。
※
「兄貴ね、本当は工業高校に行きたがってたんだ」
休み時間、将がそう教えてくれた。
「父さんの会社の仕事に、一番興味持ってるのも、兄貴さ」
将は、ちらりと窓の外を見る。
しとしとと、雨が降っていた。
だから、京はボスの能力に興味があるのだ。
困ったことだが、その情熱は認められる。
自然に社長の椅子が、転がり込んでくると、あぐらをかいているボンクラ跡取りよりは、百万倍マシだった。
「将くんは、なりたいものないの?」
一方、将は次男坊。
親の会社なら、いいポストにはつけるだろう。
しかし、彼はそれを望んでいるのか。
「パイロット…に、なりたかったのは、子供の頃、だな。いまは、どうなんだろう。親父の会社の、おもちゃ部門がおもしろそうかな」
曖昧な思考を拾い集め、将は散漫に言葉にした。
「電気会社って、おもちゃも作ってるんだ」
絹は、ふふっと笑った。
「うん、ふつうのおもちゃ会社に動力部だけ納品するのもあるし、うちが独自で開発してるのもあるよ。ゲームとかは、了の方が詳しいけどね」
三人三様。
それぞれ、得意分野が違うようだ。
「絹さんは、将来なにかなりたいもの、あるの?」
雨音が微かに聞こえる中、将は笑みを浮かべながら聞いてくる。
すっと、胸にしけった空気が滑り込んできた。
キモチワルイ。
「まだ…何も考えてないわ」
何の疑いもなく、笑顔で未来の話するなんて。
アア、キモチワルイ。
※
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雨のバカー(>_<)
絹さんと一緒に、お弁当食べられないーっ
(T_T)/~
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了からの泣きメールを見ながら、絹はお昼をどこで食べるか、考えなければならなかった。
これから、本格的な梅雨だ。
広場での食事も、難しくなるだろう。
お弁当を、机の上に出しながら、一人で食べるかと考えかけた時。
「あれ、絹さん、今日は一人? 教室で食べるの?」
将が、目ざとく聞いてくる。
「ええ、雨だし」
絹は、残念な目で外を見た。
「へぇ、いつも外で食べてたんだ」
将が、すっとぼけたことを言う。
ん?
絹は、その言葉にひっかかった。
まさか、と。
「そう、いつも了くんと、広場で食べてるんだけど…」
絹は、試しにそう言ってみる。
彼の反応を見ながら。
「えっ!? 今まで、了と食べてたの?」
ハイ、釣れたー。
予想通りの展開に、絹は微笑みそこねた。
あのおしゃべり末っ子が、お昼の件を黙り通していたのだ。
なかなか大きい事実だった。
他の兄弟が、乱入してくるのを阻止したかったのだろう。
それだけ、あの時間を大切にしていると言うことだ。
「あんにゃろ…」
記憶の中の弟に、将は毒づいている。
帰ったら、兄にいじめられそうだ。
「それなら、今日はオレたちと食べない? 男ばっかりで悪いけど」
気を取り直した将が、誘ってくれる。
彼の傍に集まる男は、やはりさわやか系が多い。
高尾みたいなのは、絶対にいない。
しかし。
さわやかとは言え、男の中に絹を誘っていいのか。
「じゃあ、お邪魔させてもらおうかな」
どうして、将はこう、迂闊で甘いのだろう。
※
「お邪魔します…」
近くの机に集まっていた彼らのところへ、絹は案内された。
「今日は、彼女も一緒にまぜてくれよ」
さらりと言う将とは対照的に、彼らはみな一瞬動きを止めた。
初めて、この教室であいさつした時を、思い出す。
「あ、ああ、高坂さんなら、大歓迎だよ」
はっと我に返ったように、一人が立ち上がって、彼女の席を作ってくれる。
ほーら。
絹は、つまらなく目を伏せながら、将につぶやいていた。
いくら、仲良しの男友達とは言え、その中に綺麗な顔の女を放り込んだらどうなるか、考えなかったのか。
おかげで絹は、お姫さまのように扱われるではないか。
「高坂さんと一緒にお弁当なんて光栄だな」
「えっ、自分で作ってるんだ、家庭的なんだ」
きわめつけは。
「将と、付き合ってるんじゃ…ないよ、ね?」
私、しーらないっと。
「ええ」
絹はもう、頭で考えるのもばかばかしくなって、唇の先だけで答えていた。
少しは、いい人を卒業するべきなのだ、将は。
宮野の件といい、今日の件といい、全然自分を有利に動かせていない。
だから、あんなブルー顔を覚えてしまうのに。
絹はもう、将の顔を伺ったりしなかった。
彼がしゃべらないのが、何よりの証拠なのだから。