才能の無駄遣い
「はいっ、これが初期の呆然顔! そして、後半のブルー顔だ!」
二枚の写真パネルが、絹の前に取り出される。
ボスは、とても上機嫌だった。
あらら。
次男坊の、欝そうな顔も珍しい。
ボス曰くの、ブルー顔に注目した。
少し悪っぽくも見える。
好青年の意外な表情、という感じだ。
「ああっ、チョウの翳りとそっくり…傑作だ」
パネルは、ボスに奪い取られた。
そのまま、パネルと熱い抱擁。
ふむ。
ああいう顔をしているうちは、宮野の存在も、そう心配しなくてもいいかもしれない。
その宮野絡みで。
「また来週、歓迎観測会ですよ…」
梅雨間近になってきている。
来週を逃せば、次はもう梅雨明けになるだろう。
まあ、その日に雨が降れば、必然的に順延なのだが。
「ああ、チョウは来るだろうか」
うろうろ。
パネルを抱えたまま、ボスはうろうろしはじめた。
うーん。
あの親父が絡むと、途端にボスは乙女になってしまう。
「直接、電話して誘ったらどうですか?」
息子と旧友に呼ばれたら、チョウだって時間をやりくりするかもしれないのに。
「電話! そうか、電話か!」
ボスは、さっと懐から携帯を取り出す。
「いや…しかし…あぁ」
だが、またしても携帯を握り締めて、乙女に転落するのだ。
「忙しいでしょうから、もう少し遅い時間がいいかもしれませんね」
無駄に悩ませるのもかわいそうなので、絹は早めに助言した。
「そ、そうだな! 大人らしい時間に電話しよう」
問題を先送りできて、ほっとした顔のボス。
本当に電話できるか――あやしいなあ。
絹は苦笑しながら、そんな事を思っていた。
※
結局、ボスが電話できたのは、観測会がある週になってから、だった。
『ああ、ちょうど行こうと思ってたところだ』
という答えが返ってきたらしく、しばらくボスは手がつけられない舞い上がりっぷりだったのだ。
気象庁から気象衛星までハッキングして、念入りに天候を調べたり、自分用の天体望遠鏡を作り始めたり。
やることが、とことん徹底している。
「高校の時の望遠鏡は、もうないんですか?」
絹の素朴な疑問に、ボスの表情が曇った。
「…粉々にして…捨てた」
あー。
悪いことを聞いたようだ。
ボスは恋に破れ、世界を滅ぼす勢いで、マッドサイエンティストになった人である。
やさぐれピーク時に、思い出の天体望遠鏡を、大事にできるはずがなかった。
「あ、そうそう」
絹は、さっと話題を変えた。
「息子情報では、チョウさんがみんな乗れるように、ワゴンを買ったらしいですよ」
金持ちの思い切りのよさが、今回はうれしい。
行き帰りにボスたちが、ゆっくり話す時間が作れるのだ。
「い、いつそんなことを!?」
その会話を聞いた覚えがないだろうボスが、慌てふためいている。
絹は、笑いながら自分の携帯を出した。
「はい、了くんからです」
見せたのは、メール画面。
絵文字たっぷりの、末っ子からの報告だ。
「し、島村!」
メールを見た直後、彼は助手を呼んでいた。
「はい」
すぐに現れる。
「絹にくるメールは、自動的に私のPCへも来るようにしてくれ」
どうやら、絹だけがメールを見ているのが、気に入らなかったらしい。
「ついでに、通話の音声も拾えるようにしときます」
島村は有能なので、ボスの希望を軽く上回る変更策を口にしたのだった。
※
ボスの一念が通じたのか――無事、観測会は晴れ渡った。
学校から帰ってきた絹は、前回より多く夜食を作り始めた。
今回は、ボスとチョウも一緒なのである。
ということは。
「島村さん…留守番ですね」
いちいち、彼が夕食を作らなくていいように、絹は一人分小分けしてラップをかけた。
「ああ、だからカメラは置いてってもいいぞ」
島村の発言に、絹は動きを止めた。
ボスも一緒なら、確かに必要ないかもしれない、と。
絹は胸ポケットから、それを取り出そうとした。
「いや、つけておきなさい」
しかし、ボスは止める。
「私はチョウの相手が忙しいから、ほかをゆっくり見ることはできないだろう」
帰ってきて録画を見る、と切に言うのだ。
「はーい」
絹は、素直にカメラをセットしたままにした。
「島村…人工衛星は撃ち落とせそうか?」
彼女の胸ポケットを確認した後、ボスは助手に向かってにこやかに言った――怖いことを。
「少し、位置的に難しそうですが、一基います…落としてみますか?」
「できれば、流星群にしたいからなあ」
「うーむ…期待にお応えしたいのですが、流れ星に見えるほど大きい人工衛星を複数、となると、難しいですね」
まってまって。
絹は、二人の会話に乾いた笑いを浮かべた。
相変わらず、物騒な相談をしている。
「明日、衛星落下がニュースになったら、みんな驚くんじゃないですか?」
彼女は、やんわりと止めてみた。
本気でやると言われたら、絹に止めようはないのだが。
「まあ、一基、当たって落ちただけでは、美しくないな…また別の機会にしよう」
「申し訳ありません」
ボスと島村は、絹の制止に関係なく、中止することにしたようだった。
さすがに、専門的かつ科学的アンモラルには、絹の入る余地がない。
「あ、その代わり」
島村が、ボスに言った。
「その代わり…最高の夜空を、先生に贈りますよ」
彼は、意味深な言葉を吐いた。