新入部員
「今日から入部する、宮野彩花さんだ」
部長の紹介で、ぺこりと頭を下げる恥ずかしそうな女生徒。
ほんとに、動いてきたよ。
絹は、呆れたような感心したような気持ちを拭えずに、彼女を見ていた。
連れがいないところが、宮野の勇気を伺わせる。
目が合うと、絹にむかって会釈してきた。
「あれ、絹さん…宮野さんと知り合い? 同じクラスでもないのに」
隣にいた将が、不思議そうに聞いてくる。
「体育の時に、ちょっと…将くんも、よく名前知ってるわね」
曖昧にごまかしながら、絹は逆に質問を返した。
「あ、体育は合同だもんな…オレは、中等部ん時に、一緒のクラスだったから。おとなしい子だから、話したことはあんまりないけど」
よかったわね、個別認識はされてるわよ。
絹は、心の中でそう呟いた。
しかし、将をまんまとかっさらわせるわけにもいかない。
ボスがご立腹になられるからだ。
「今年は、途中入部が多いなあ…また歓迎観測会を開かないと」
部長の言葉をすりぬけて、宮野が近づいてくる。
相変わらず絹は、将と了の両手に花の状態だった。
「あの、高坂さん…よろしくお願いします」
名指しで、改めてぺこりとされて、絹は苦笑する。
これは、宣戦布告ですか、と。
天然で素直そうなところが、手ごわい気がする。
「私も入部して日が浅いから、お役にたてないかも」
だから、絹は言葉を限定して受けとめた。
入部についての『よろしく』のみ、に。
「あ、いえ、そんな…広井くんもよろしく」
あわあわしながらも、次は頬を染めながら、将にあいさつだ。
「ああ、よろしく…星が好きなんて知らなかったよ、中等部から入ればよかったのに」
「中等部の頃は、夜に出してもらえなくて…」
「そっかー女の子は、心配だろうしね」
「そうなの…」
話、はずんでるようじゃない。
絹は唇の端を、一瞬ひくつかせた。
今頃、さぞやボスはご立腹だろう。
※
「なんだ、あの小娘は!」
予想通り、帰った途端怒られた。
ボスは、ぷんぷんと湯気を出している。
いや、あの兄弟に、いままで虫がついていなかったのが、逆に不思議だ。
「体育って…もしかして、アレが犯人?」
部室での情報で、島村が推理を述べる。
更衣室の件は、彼らは知らないのだ。
「まあ、そのへんです…実行犯じゃありませんけど」
絹が白状すると、ボスが目をひんむいた。
「だから、下僕にしろと言ったのだ。あの様子では、全然堪えていないではないか」
まったく、返す言葉もありません。
絹は、失態にため息をついた。
おまけに発破までかけたなんて、言えるはずがない。
まさか、ほんとに行動を起こすとは。
「将くんを、もってかれるんじゃないぞ!」
絹には、ボスから発破が飛ぶ。
ん?
「あ、ボス、質問」
彼の言葉で、ふと疑問が頭をよぎったのだ。
「なんだね、絹くん」
不機嫌な顔のまま、ボスは返す。
「もし、ですが…私が、三人の誰かに告白されたら…どうします?」
あの三人に女を近付けるな、と言うのなら、一応絹も女だ。
ボスにとって彼女は、単なる融通の効くカメラのようなものだろうが、向こうはそうは見ていない。
釣り針の手応えの感じからは、いつかそういう日がきてもおかしくなかった。
「むむっ」
ボスは、即答できないようだ。
「いや、まてよ…だが、それでは…うおぅ…」
一人で頭を抱えて、葛藤しはじめる。
ボスの脳内も、大変なようだ。
「おまえ…」
代わりに、平坦な声の島村に呼ばれる。
「兄弟の中の、誰か狙ってるのか?」
言葉に、絹も頭を抱えた。
「うーん…どうだろう。誰が都合がいいか、とかは考えるかもだけど」
悩む彼女の言葉に、島村が珍しくー―ふっと笑った。
※
ボスも複雑なのだ。
チョウ含めて三兄弟を、できるなら女のいる世界から、隔離してしまいたいだろう。
しかし、彼はチョウに嫌われることはイヤだから、そんなことはできない。
となると、この女性ひしめく世界で、彼らをなんとか魔の手から遠ざけなければならないのだ。
その役も、絹の存在が担っているはずだった。
しかし、いかんせん受け持ちの人数が多い。
うーむ、どうしたら一番ボスにいいのかなあ。
「……ん?」
「…さん?」
「絹!」
「はいっ!」
いきなり呼び捨てにされ、絹は姿勢を正して返事をしてしまった。
あれ。
三兄弟が、自分を見ていた。
朝の車の中だ。
そう、学校へ登校中に、彼女はついつい考え込んでしまったのである。
しかし、いま自分を呼び捨てにしたのは。
「京兄ぃ、絹さんを呼び捨てにするなんて!」
了が、前の座席をぽかぽか殴る。
「お前も呼び捨てにすりゃいいだろ」
めんどくさそうに、京は前を向き直った。
「えっえー…ど、どうしよう…呼び捨てなんて……」
了が、絹を見ながら、赤くなってもじもじしている。
話の展開が読めない、な。
彼女は、頭の中で整理をした。
ぼーっと考え込んでいた絹を、我に返そうとして名前を呼んだらしい。
京が呼び捨てたものだから、了が絡んで――いまの有様、というわけか。
「あう…き……き……」
了が、口をぱくぱくしている。
「絹さん…何か、心配事でも? 深刻な顔してたけど」
弟の努力など無視で、将が親切に聞いてくる。
あー、あなたたちを、どう転がすか悩んでいるんですよー。
絹は、心の中で暗く呟いた。
このまま、後部座席にずぶずぶと沈んでしまいそうだ。
「いえ…だいじょ……」
彼女が、心の内の悩みをしまって、スマイルを浮かべようとした時。
「きっ、絹……ちゃん…」
決死の覚悟のような了の声は――墜落したのだった。
※
放課後になると、部活の時間だ。
絹は、憂欝だった。
ボスに、とにかく宮野を近付けるなと、言われているのだ。
しかし、三兄弟もいるのだから、あからさまな事も言えない。
「あ、高坂さんも今から?」
将と教室を出た矢先――きましたよ。
絶対、出てくるのを待ってただろうタイミングで、宮野が現れたのだ。
しかも、最初にかならず絹をダシに使う。
「あれ、宮野さんも今から?」
行き先は一緒なのだから、自然と一緒に歩くことになる。
うーん、ボス、すみません。
やる気になった乙女パワーのすごさに、絹は天井を見上げてしまう。
「でも、絹さんに女友達ができてよかったよ…クラスにまだ馴染めてないみたいで、心配してたんだ」
将のさわやかな言葉に、絹は肩を落とした。
宮野が狙っているのが自分とは、気付いてもいない。
鈍いなぁ。
しかし、言葉通りに思い込まれるのも厄介だ。
「あら、でも宮野さんは…私をそんなに好きじゃないわよね?」
刺が出ないように、絹は首を傾げながら言った。
「え?」
怪訝の将。
「そ、そんなことありません! 高坂さんは、綺麗で強くって、私の憧れです!」
あー。
絹は、自分が失敗したことを知った。
相手は、天然素直のお嬢さんだったのだ。
言葉通りに、絹に対しても、特別な眼差しを見出せた。
憧れの絹と、好きな将の二人セットに、宮野は素直に絡んできたわけだ。
「絹さん、もてもてだね」
自分がほめられたようにニコニコする、このさわやか次男坊をどうにかして。
絹は、頭が痛くなってきた。
※
「おい、絹」
しかし、彼女にも味方がいないわけではなかった。
部室で、プラネタリウムの準備が終わった頃、彼女は京に呼ばれたのだ。
「今日は、こっちで見ろ…あいつに両手に花なんざ、100年早い」
自分の隣を指定してくる。
お。
思わぬ展開だった。
「あ、じゃ、僕もそっちいくー」
耳ざとく聞き付けた了が、席取りにとんでくる。
おかげで絹は、珍しく京をはべらすことになった。
「「え?」」
同じ言葉で戸惑っているのは、将と宮野。
何故、二人して捨てられたような目をするのか。
しかし、既に絹の両側はふさがっているので、動かしようがない。
「じゃ、電気消すよ」
広井家のことに、気付いてもいない部長が、明かりを落とした。
これでもう、席は確定だ。
まあ。
宮野と絡むと、調子が狂うので助かる。
「おい…」
瞬間――絹は、びくっとなった。
将とは違う、もっと近すぎるささやきだったのだ。
「あのちまっとしてるのは、どうせ将狙いなんだろ?」
よっぽど、兄の方が鋭いな。
囁きに、絹は感心した。
「さあ、よくわかりません」
しかし、すっとぼけるしかない。
認めると、それについてコメントしなければならなくなる。
京にそれを言うと、バランスが崩れそうな気がした。
まだボスは、その後にどうするか、決めていないのだから。
「ねぇねぇ、見てあの将兄ぃの顔」
反対側から、了がくすくす笑う。
絹は、残念ながらそこまで夜目が効かないので、了の言う表情は見えない。
宮野と、よろしくやっているのだろうか。
「まさに…茫然自失、だな」
京のニヤついた声の是非は、帰り着くまで分からなかった。