欲しいもの
「え…絹さん携帯持ってなかったの?」
朝のお迎えの時、三兄弟に驚かれた。
代表で、言葉に出して驚いたのは、了だったが。
「昨日買ってもらったばかりで、慣れなくて」
そう、だからさっき車に乗ろうとしていた絹は、島村に追い掛けられたのだ。
携帯を、忘れそうになったためである。
昨日、ほぼ徹夜で改造していたらしく、朝に絹は受け取ったばかり。
その矢先に、忘れて出てしまったので、追い掛けてきた島村の顔を見られなかった。
さぞや、お気に召さないんだろうな、と。
「携番とメアド、カモーン」
了が、カバンから携帯を取り出しながら、テンション高く言う。
「えっと…どこかな」
受け取ったのは、本当に今朝だ。
島村も、改造した部分の使い方しか教えてくれなかったため、基本操作が分からない。
まだ、普通の無線機の方が、よほど使い方を仕込まれていた。
「あ、貸して貸してー」
了に取られる。
受信機の機能は、分かりづらいやり方で出すので見つからないだろうが、一応心配で見守る。
了は、猛烈な勢いで絹の携帯のボタンを、速押ししていた。
感心する速さだ。
「このメアド…絹さんが決めたの?」
その手が、ぴたりと止まる。
「ううん…全部島村さんに任せたから」
どんなアドレスにしているのか。
「“sakurasaku”…ママの名前が入ってる!」
ママに過敏に反応する末っ子は、嬉しそうに身体を上下に跳ねさせた。
「いや、母さんの名前と言うより…合格発表みたいだぞ」
弟の都合のいい解釈に、将が口を挟む。
「ま、早死にしたおふくろより、そっちの方が縁起がよさそうだな」
京の言葉は、了をさくっと刺した。
一瞬にして、末っ子の顔が険悪なものに変わったのだ。
「京兄ぃって、デリカシーないよね!」
島村がきまぐれで決めたメアドのせいで、兄弟喧嘩に発展してしまった。
※
携帯電話。
改造済みのそれは、実は二つの機能が追加搭載されていた。
一つは、当初の目的の受信機として。
もう一つの機能は――すぐに役に立ってくれた。
再び訪れた、体育の日だ。
絹は、この授業がくるのを、密かに楽しみにしていた。
一度うまくいったことで、犯人が味をしめている可能性があったのだ。
更衣室で視線を感じても、絹は、もう振り返らなかった。
さっさと着替えをすませて、そこを出る。
だが、集合先の体育館には行かず、廊下の途中で立ち止まった。
「気になる?」
そんな絹に、委員長が声をかけてきた。
前回の事件の時、万年筆が捨てられていたことを、一応報告していたのだ。
「ええ」
しらばっくれてもしょうがないので、絹は素直に認めた。
「少し付き合うわ」
ありがたいような、邪魔のような。
まあ、委員長がいるならいるで、臨機応変に対応しよう。
そう、絹が思った直後。
ビィィィィーッ!
火災報知器の警報が、廊下をつんざいた。
周辺にいる生徒が、いっせいに動きを止める。
違う!
絹は、すぐに理解した。
火災報知器じゃない!
チーター並の素早さで、絹は――更衣室に走っていた。
バン!
ドアを開けると、耳が割れそうなほどの音量だ。
床に携帯が、落ちている。
音の原因は、それだ。
そして。
その側で戸惑いながら立つ、三人の女。
音、大きすぎ!
絹は、島村に文句を言いながら、携帯を拾い上げ、警報を切った。
画面を見ると、案の定電源が入っている。
「委員長。そこで、待っててください」
遅れて駆け込んできた委員長は、ちょうど出入口のところ。
逃げ場をなくすために、そこをふさいでおいてもらった方が、都合よかった。
「ちょっとお話ししたいんだけど…よろしいかしら?」
三人の女生徒を前に、絹はとびきりの微笑みを浮かべたのだった。
※
「この携帯ね…特定の手順を踏まずに電源を入れると…さっきみたいになるの」
絹は、ゆっくりと種明かしをした。
島村の提案だ。
彼女の持ち物に携帯があれば、万年筆なんかより、そっちに興味を示すだろう、と。
陰湿な読みは、ビンゴだった。
「し、知らないわよ! 勝手に鳴りだしたのよ! 私たち、何も知らないわ!」
三人の中で、一番気の強そうな子が、わめきたてる。
「そう…じゃあ、これに指一本触れてない、と言うのね」
絹は念を押した。
「そ、そうよ!」
シラを切りとおして、ごまかす気か。
絹は、ため息をついた。
「前回、万年筆を紛失した時、警察で指紋を採取してもらってます。今回の携帯についたそれも合わせて、指紋照合してもらえば、すぐに分かることですよ」
絹は、静かに言葉を突き付ける。
「ばっ…何ばかなこと言ってるの! それが私たちじゃないって結果が出たら、絶対あなた訴えるわよ!」
ヒステリックに裏返る声。
だから絹は、毅然とその子を見る。
「ええ、それで結構です…では、警察に連絡しますのでお待ちを」
絹は、自分の携帯の番号に、指をかけた。
「わ、私は関係ないわ! 松島さんが勝手に!」
「ちょ、ちょっと! 私のせいにする気!?」
あらま。
あっさり出た裏切りに、絹は苦笑した。
はったりなのに、可愛らしいこと。
前回の万年筆など、綺麗に拭き上げてしまっていて、指紋など取ってもいない。
後ろめたいことをすると、ボロが出やすいものだ。
「そう。じゃ、松島さん以外行ってもよろしくてよ」
絹は、携帯をしまった。
通報する気が、なくなったことを見せたのだ。
「ちょっと、私は宮野さんのためにやったのよ!」
松島と呼ばれた生徒は、もう一人を見る。
一番おとなしそうな子が、そこでガタガタ震えていた。
ふぅん。
「私に、何か御用?」
絹は、静かに彼女に呼び掛けたのだった。
※
「あなたが、広井くんとベタベタするからでしょ!」
おとなしい宮野さんとやらは答えず、代わりに松島さんがわめきたてる。
「宮野さんは、中等部の時から広井くんを見ているのに、何でぽっと出てきたあなたが、広井くんと仲良くしてるのよ!」
予想の範疇の、話の展開だった。
嫉妬、というわけだ。
「宮野さん…」
うるさい女は放置して、絹はそっちに話しかけた。
「中等部の時から見てるって言ったわね…見てて、何か変わった?」
単純すぎる展開に、怒る気もそがれた絹は、穏やかな声を出せた。
「変わらない…そうでしょ? 物語とは違うものね」
宮野は答えないので、勝手に話を続ける。
「見ているだけで満足なら…こんなことはしないわよね」
松島がお節介をしたのは事実だろうが、この子もそれを本気で止めなかったのだ。
「だからね…」
絹は、一回息をついだ。
「欲しいものは、自分で行動を起こして取りに行くことよ…でないと、絶対手に入らないわ」
と、私に説教する権利はないけど。
やや自虐的に、絹は笑った。
彼女は、いまの位置を、自分の力で手に入れたわけではないのだ。
しかし、絹には欲しいものもない。
しいていうなら、ボスがこの茶番に飽きても、絹を手駒として使ってくれること。
欲しいもののある彼女らの方が、よほど人間らしい。
いっそ、羨ましいくらいだ。
だから、余計なことと分かっていながら、言ってしまったのである。
「委員長、お待たせ…行きましょうか」
絹は携帯をロッカーに戻しながら、話を終えることにした。
一度見つかったから、彼女たちも、もう悪さはしまい。
「あ、松島さん…今度、私のものがなくなったら…分かってますわよね」
ただし、首謀者だけは釘を刺しておいたが。
さてさて――少しは化けるとおもしろいけど。
絹は、宮野をチラ見した後、委員長を促したのだった。
※
「高坂さんって…すごいわね」
更衣室事件直後の体育で、委員長に言われた。
二人一組で、柔軟体操をしている時だ。
「もっと、おとなしい人だと思ってたわ」
絹は、苦笑するしかない。
そっちの方が地に近いとは、言いづらいのだ。
「職員室で、高尾くんをひっぱたいた話を聞いた時は、信じられなかったけど…この分じゃ本当ね」
更に、前の話も蒸し返されてきた。
侮れない情報網である。
絹は、言葉で答えられないまま。
黙っていることが、何よりの肯定になるだろうが。
「でも、取り澄ましてるよりは、ずっと面白いわよ」
絹の身体を、ぎゅうっと後ろから押しつぶす委員長。
絹の上半身が、ぺたりと足にくっつけられてしまう強さだ。
「あ、やっぱり…」
委員長が、絹をつぶしたまま呟く。
「高坂さん、本当は運動神経いいでしょ。さっきのダッシュもすごかったし、身体もやわらかい」
この間の50m、手を抜いたのね。
鋭い読みに、絹は遠い目をしたくなった。
「普通です…それに、運動部にも興味ないですから」
絹は、変な興味を抱かれたくなかった。
彼女の仕事は、決まっているのだ。
「えー残念…うちのテニス部に誘いたかったのに」
委員長が、笑いながら言う。
心なしか、言葉が崩れてきている。
ほんの少し、距離が縮まったような。
位置を入れ替え、今度は絹が委員長をつぶしてやる。
「待って待って…私、そんなに柔らかくないから…」
ぎゅう。
あわてる委員長をそのままに力を加えながら――絹は、くすくす笑っていた。
何だか、笑いたくなったのだ。
カメラの回っていない、ささやかな絹の一瞬だった。




