観測会
チョウとの再会事件が落ち着いた頃――観測会がやってくる。
金曜日。
今日は、部活のメインが夜なので、放課後になるとすぐに帰宅して、準備に取り掛かった。
「よし、出来た」
時計を見ると、6時になろうとしている。
ちょうどいい時間だ。
観測会用の、夜食を作っていたのだ。
広井ブラザーズに差し入れするので、大掛かりに。
更に多めに作って、ボスと島村の夕食にもする。
6時半には迎えがくるので、絹は夜食を包み、身だしなみを整えた。
学校の活動の一環なので、制服のままだ。
私服で来ても咎められないと聞きはしたが、カメラの仕込んであるペンは、この制服のポケットが一番収まりがよかった。
「観測会…チョウが、好きな星について、熱く語っていたなぁ」
はっと気づくと、ボスが後ろにいた。
もうすぐ、迎えのインターフォンが鳴るのを予測して、待ち構えにきたのか。
「チョウさんの好きな星は、なんだったんですか?」
話の種に、絹は聞いてみた。
彼女にとって、星座は楽しむものではなかったので、知識としてある程度だ。
「いまの時期ならぎりぎり、南に欠けた『おおかみ座』が、見えるかもしれないな…チョウは、いつも初夏からそれを探していた」
またコアそうなのを。
聞いたこともない星座だ。
「じゃあ…ボスは?」
思い出にひたりかけた彼は、ふっと現実に戻ってきた目になった。
自分の好みを聞かれるとは、思っていなかったようだ。
「さそり座だな…アンタレスは、美しい」
さそり座と、おおかみ座は近いと――ボスは教えてくれた。
今夜、絹が探す星が、大体決まった。
ピンポーン。
「絹さーん! 準備できたー!?」
元気のいい、お迎えが来たようだ。
「では、行ってきます」
絹は夜食とカーディガンを持って、観測会へ出かけたのだった。
※
「観測場所まで一時間はかかるよ。絹さん、仮眠しとく?」
車が走り出すと、将が最初にそう切り出した。
星が、きれいに見られるところへ行くには、それくらいかかるのか。
「いえ、初めてですから、起きてます」
車中の出来事を、ボスも楽しみにしているだろうし、膝の上の夜食をひっくり返したら大変だ。
「観測会って言ったら、パパも来たがったんだよ…お仕事で、だめだったけど」
了の話の前半部で、さぞやボスは期待しただろう。
しかし、後半ではがっかりだ。
ボスの落胆を想像して、笑みが浮かびそうになった時。
「絹さんは、何の星が好き?」
あ。
いきなり振られた将の質問に、彼女は既視感を覚えた。
同じ質問を、でかける前にしたのだ――ボスに。
一瞬、頭の中を星空が巡る。
「そう…ね……アンタレス、かな」
好きな星など考えていなかった絹は、ついボスの星をパクった。
おおかみ座とか、知ったかぶりしても、ボロが出るだけだ。
「あぁ、赤くきれいな奴か」
将は、有名なそれを思い描くように、車の天井を見上げる。
※
「サソリの心臓だな…」
ぼそり。
助手席の京が呟く。
「でも、絹さんがさそり座が好きなら、将兄ィは逃げまわらなきゃ」
ぷぷぷっ。
了は、吹き出しそうになるのを、口をおさえて我慢している。
「ああ…確かに、将は逃げねぇとな」
助手席は、鼻先で笑う。
「い、いや、た、ただの神話だろ!」
焦る将。
神話?
絹は、神話にはうとい。
彼女が、首をかしげていると。
「将兄ぃね、オリオン座が一番好きなんだよ…さそり座に刺し殺されちゃった星座」
了が、楽しくてしょうがないという風に、絹にチクる。
オリオンと言えば、冬の星座の代表だ。
なぜ、夏の星座のさそりと絡むのか。
「それ以来…オリオンは、さそりを恐れて、さそりが夜空にある時は、こそこそと隠れているのでした…っと」
京は、物語の結末を読み上げるように、話を締める。
「兄貴! 了!」
上と下にからかわれていることに気づいた将は、いい加減にしろよと制止するが――兄弟のニヤニヤは止まらないのだった。
※
「うわぁ」
丘の上。
絹は、車から降りて、まず夜空を見上げた。
ずしんと――自分にのしかかるような、星空だったのだ。
さすがに、観測会に選ばれる場所だけのことはある。
「すっごいでしょー」
自分の手柄のように、了が笑った。
「いいから、さっさと下ろせよ、チビすけ」
そんな末っ子は、京に頭を小突かれて、慌ててトランクの方へと回っていく。
何が出てくるのだろう。
見ていると。
「よっと」
そこから出てきて、組み立てられ始められたのは――天体望遠鏡だった。
あら、ほんかくてき~。
絹は、彼らの準備のよさを、ただ見ているしか出来なかった。
しかも、3人ともマイ・天体望遠鏡持ちだ。
1つを3人で分け合うような、清貧さはない。
さすが、お金持ち――時々、忘れそうになるが。
「絹さんは、これ使って」
将は、組み立てた望遠鏡を彼女に差し出す。
「え…でもそれは、将くんのじゃ」
自分に差し出されるとは思わず、絹は戸惑った。
「ああ、大丈夫…それ、親父から借りてきた奴だから」
オレのはちゃんとある、と。
将は、車からもう1つ取り出して、また組み立て始めたのだ。
チョウの。
運転手の照らす懐中電灯だけでは、そんな年季物かどうかは分からない。
しかし、もっとはっきり見ているボスには、見覚えのあるものなのだろう。
カメラがよく映すように、絹は望遠鏡の前に立った。
「ありがとう…使ったことはないけど、大丈夫かな」
ボスも、きっと持っていたのだろう。
この望遠鏡と並んでいたのだ。
「大丈夫……僕が教えてあげるー」
自分の分の準備ができた了が、絹の腕を取る。
「おい、了」
ひとつ余計に準備しなければならない将から、弟は彼女を連れ去ってしまおうとするのだ。
「解説がいるなら…してやろうか?」
反対隣にいた京が、珍しく自分から話を振ってきた。
ふむ。
「ありがとう、京さん…じゃあ、ご迷惑でない範囲でお願いします」
久しぶりに、京とコミュニケーションを取るのもいいか。
※
右に京、左に了。
出遅れた将は、絹の少し後ろに陣取ることになった。
「オレが組み立てたのに…」
将が、不満そうに呟いたのが、最後の抵抗だった。
「初夏の星座は、最初に北斗七星を確認する」
あちこちから聞こえる部員の声に紛れながら、京が見つけやすいヒシャクの星座を指す。
「その一番最後の星から、右下に曲線を描くように大きな星が並んでいるだろ?」
暗がりでゆっくりと、京の左手が絹の前で曲線を描く。
その線の途中にある、うしかい座とおとめ座の大きな星を教えられる。
「春の大曲線って言うんだよ」
了が口をはさむ。
視界に入りきれない、パノラマな星空に、絹は仕事を忘れないように気をつけるのが大変だった。
気づくと、引き込まれてしまうのだ。
チョウの好きな、おおかみ座を習う。
別に、彼女から切り出したわけではない。
了が、「パパっておおかみ座が好きなんだよね…地味なのに」と、話を振ったのだ。
「親父は、ケンタウルス座に追われるんだな…親父といい将といい、狙われるのが好きな奴だ」
後ろを振り返りながら、京は一人ハブられた弟に声をかける。
「うるさい」
しかし、それは弟の神経をさかなでただけだったようだ。
すっかりフテ腐れている。
あとで、フォローしなければ。
「じゃあ、オレの好きな星座は…ケンタウルスにするかな」
ふと。
京が、いいことを思いついたというように、ふっとそれを漏らした。
「えー…パパを追いまわしたいの?」
了が、異議あり――と、口をはさむ。
それに、京は笑って。
「さそりはオリオンを夜空で監視しているが、もしも、そのさそりが暴れたら…ケンタウルスが射殺すことになってるんだぜ」
視線を。
絹は、頬に感じる。
京のものだ。
深い意図はない。
絹に好意があることを、ほんの少し揶揄してみせたのだ。
「暴れないように…気をつけなきゃ」
しかし、絹の心臓には、ボスの使命があるため――ドクンとそれが跳ねた。
射殺されないようにしなければ。
※
「夜食作ってきました、どうぞ」
観測中の大きなあかりは、他の部員の邪魔になるので、彼らは一度、離れた車に戻った。
「うわーおいしそ」
手も拭かずに、了がさっそく巻物に手を伸ばす。
絹は、ウェットティッシュを出して、彼に手渡した。
「おいしいー」
口に入れた後に手を拭くのは、手遅れじゃないだろうか。
しかし、了は無邪気に喜んでいる。
「将くんも、どうぞ」
今日は、すっかり腐らせてしまったので、機嫌を直してもらわないと。
「ありがとう」
助手席の京は、見づらいように首をひねっているので、絹は前に差し出した。
「どうぞ」、と。
「こういう時は、バンがいいよねえ…おっきいバスみたいの」
パパに買ってもらおうか。
もぐもぐと食べながら、了はこともなげに言う。
「そうだな…いまのままじゃ、父さんが来たくなっても乗れないしな」
将が、ちらりと運転席を見る。
そこには、空気のように静かに、運転手が座っていた。
いざとなれば、父親を運転手にすればギリギリ乗れるか、とか考えているのかもしれない。
「そういえば…絹さんの保護者、親父と同級生で同じ天文部だったんだろ」
卵焼きを食べながら、将が話を振る。
ボスの話だ。
絹は、少し緊張した。
「えっ、そうなの?」
了が、初耳とばかりに口を挟むし、京も興味深そうに前から視線を投げる。
「そうだよね…?」
将と絹の、二人の秘密だったのだとばかりに、彼女に確認をしてくる。
あの、保護者呼び出し事件だ。
ボスが天文部だったのは、別途チョウから聞いたのだろう。
「はい…そうです」
にこりと微笑みながら、答える。
将も、満足そうに笑みを浮かべた。
これで彼は、兄弟の中で優位に立った気分を味わっているに違いない。
絹のことを、より自分は知っているのだ、と。
「じゃあさ…その人も一緒に、観測会にくればいいと思うよ…この部、保護者の参加大歓迎だから」
ますます、バンがいると思わない?
しかし、了は。
ボスの存在さえ、広い車を欲しがる口実にしてしまったのだ。
※
「おつかれー」
「また、来週」
観測会はお開きとなり、片づけを終えた部員たちが、別れの挨拶を投げながら帰っていく。
一応、絹の歓迎観測会ということだったので、みんなの前で改めて挨拶はしなければならなかったが、それを除けば、ほぼ放置。
皆、仲良しと肩を並べて、好き好きに観測しているようだった。
たまに、部長が見回ってくるくらいだ。
観測会というのは、広井ブラザーズと親交を深めるには、いいイベントのようだった。
「おつかれさま…眠くない?」
車に乗り込んで、将が気遣ってくる。
「眠いー」
しかし、答えたのは絹ではなく――了だった。
彼はもう、目をこすり始めている。
「お前が眠いのは、いつものことだろ」
ゆっくり寝るなら、助手席は譲るぞ。
京がちびっこに話を振る。
「やだ…絹さんに膝を貸してもらうー」
ちゃっかりしているちびっ子に、絹はくすくすと笑った。
「どうぞ」
膝くらい貸してあげよう。
彼女は、自分の膝をぽんと叩いた。
夜食の空箱は、トランクに入れさせてもらっているので、そこは空いているのだ。
「わーい」
「おい、了」
兄の制止も聞かず、了は絹の膝に頭を置いた。
「ごめんね、絹さん」
弟のわがままっぷりに、将が謝ってくる。
「いいの…」
よしよしと、了の頭に触れると――すぅっ。
もう、彼は寝息を立てていた。
すぅすぅ。
気持ちのいい寝息だ。
絹はしばらく、それを聞いていたが。
初めての観測会に、自分でも知らないうちに気を張っていたのだろう。
気づけば、その寝息に引き込まれていた。
すぅ。
将の肩を借りるように、自分が眠ってしまったことを――絹は知らなかった。