再会
いよいよ、放課後。
「ごめんね、絹さん巻き込んで」
将と共に、応接室に来るように言われたので、二人で向かう。
保護者を交えた説教が待っているだけなのだから、うきうきするわけにはいかない。
だが。
「気にしないで…」
絹は、嬉しさを表に出さないように、気をつけるのが大変だった。
今日、ついにチョウと会うのだ――ボスが。
三人の息子から、遠回りに彼に近づこうとしてたボスに、その機会を作れたことが嬉しい。
あとは。
チョウが、ボスを喜ばせてくれるかどうか。
それと、これを機に、二人の間に交流が復活すること。
絹が願っているのは、そういうところだ。
「失礼します」
応接室につくと、将が先に――それから、絹が入った。
中にいるのは、教師と。
ボス。
だけ。
あれ?
将の保護者が、まだ来ていない。
「こんにちは…」
眼鏡の男を見て、将が絹の保護者と判断したようで、頭を下げる。
軽い会釈を返しているボス。
彼の心中は、きっと複雑だろう。
本命のチョウが、まだ来ていない。
しかし、そっくりな将はきてくれた。
喜んでいいのか、落ち込んでいいのか分からない状態だろう。
平静を装っているのが、いっそかわいそうに思える。
「あー…広井くんのお父上は……」
教師が、不在の人間について語ろうとした時。
「すみません! 遅れました!」
ノックもなしに、バタンと応接室のドアが開く。
翻る、背広の裾と――ネクタイ。
絹は、その一瞬。
眩しさを覚えた。
※
「すみません、仕事が長引いて…」
猛烈に乱れた状態で飛び込んで来たと言うのに、彼は背広とネクタイを入り口で整え、両手で髪を押さえて、取り繕う素振りを見せた。
ああ。
絹は、異様に懐かしい気持ちを味わった。
もしも、将と20年後に再会したら、きっとこんな気持ちを味わうのだろう。
ボスの言う通り、彼は一番将と似ていたのだ。
彼から子供の輪郭を削り、穏やかな年齢のシワを刻めば、きっとこう。
しかし、あんな勢いで応接室のドアを開けるなんて、ヤンチャの血は抜けきってはいないようだ。
中から、皆に見られていることに気づいたのか、チョウはゴホンと咳払いをして。
だが。
その動きが――止まった。
将を見て、ではない。
絹を見て、だ。
そうよね。
その点だけは、彼女も覚悟はしていた。
亡くなった愛妻にそっくりに作られたのだから、驚いてもしょうがないだろう。
しかし、いまの絹の気持ちとしては、ボスを見て驚いて欲しかった。
苦しいジレンマだ。
「広井さん…どうぞ」
止まったままのチョウに、教師がソファを勧める。
「あ、はい…え…えー! 巧!? お前、巧か!?」
我に返りかけたチョウは、しかし、次に絹の保護者を見て大きく驚いたのだ。
父の驚愕ぶりに、息子も目をむいていた。
「久しぶりだな」
ボスが。
絹は、胸がじーんとしていた。
ボスが、チョウに話しかけたのだ。
彼こそ、いま泣きたいほど嬉しいだろう。
自分を認識し、驚いている事実に。
しかし、チョウの言葉に嫌悪の色などはなかった。
「なんだ、お前か。久しぶりだな、元気してたか? 全然連絡も寄越さないで…」
ざくざくと淀みなくボスに歩みより、強引に握手をし、肩を叩く。
仲のよかった旧友への動きだった。
そのまま、積もる話に突っ走ろうとする勢いを――教師の咳払いが止めた。
「えー…すみません、そちらの話は後で」
この瞬間、絹とボスの教師に対する気持ちは、同じだっただろう。
お前――邪魔。
※
「うちの息子どものお気に入りが、お前の娘とはなー」
ようやく終わった説教に、応接室を出るなり、チョウはボスの横を歩きながら、話しかける。
将と絹は、少し先へ歩き出していて。
彼女は、首筋のぞくぞくが止まらなかった。
確かにチョウは、彼女の顔に驚いてはいたが、それよりもボスを懐かしむ様子を見せてくれたのだ。
「娘…というか」
ボスは、言葉を濁した。
表現しづらいのだろう。
「私…先生に拾われたんです」
だから、絹はくるっと振り返って、チョウに言った。
将も聞いているが、どうでもよかった。
見ず知らずの娘を拾って育てている――優しい人。
そうチョウの意識に、植え付けられればよかったのだ。
「絹さん」
将が慌てて、キョロキョロする。
誰かが聞いていないか、心配だったのか。
しかし、いまの彼女は上機嫌で、たとえそれを広められたとしても、痛くもかゆくもなかった。
どうせ広井ブラザーズとしか、親しくする気はないのだから。
「あ、そう…だったのか」
チョウは、絹とボスの両方の顔を見比べながら、複雑な表情をした。
その複雑な顔のまま。
チョウは、隣に耳打ちするように手で口に覆いを作った。
「まさか…顔が似てたから拾ったんじゃないよ、な…」
しかし、絹の耳には、しっかりと届いている。
彼の脳裏には、妻がちらついてしょうがないのだろう。
久しぶりに再会した旧友が、桜そっくりの養い子を連れているのだから、勘ぐってもしょうがない。
ボスは。
立ち尽くしたように――止まった。
ボス!
絹は、踵を返して彼に駆け寄っていた。
分かっている、こんな偶然はない。
桜そっくりの顔の女の子を、知らずに偶然拾うはずなどないのだ。
この場合は、人工的に作ったのだが。
ボスは、その不自然を否定できずに、止まってしまったのである。
「そうです…先生は、私がこの顔だったから拾ってくれたんです。でも、私は幸せだからいいんです」
絹は、よろけそうなボスを支え、チョウにきっぱりと言ったのだった。
どんな虚像でも、演じきると決めたのだから――
※
「あ、いや、お嬢さん…そんなつもりでは」
絹に聞かれていた事実と、それで旧友を傷つけたかもしれないことで、チョウは戸惑った顔をしている。
早く。
絹は思った。
早く、ボスを元気にして!
彼女ではなく、チョウならそれが出来る。
言葉を失ったボスを、早く引っ張り上げて欲しかった。
「すまん、巧。お前も、桜を忘れないでいてくれたんだな…ありがとう」
だが。
やや、逆効果な言葉を吐く。
その名前を、ボスは聞きたくないだろうに。
「いや…いいんだ。葬式にも行けなくて、すまなかった」
しかし、ようやく自分を取り戻してきたのか、ボスが意思を感じる動きをした。
それから、支えようとする絹の身体を離す。
彼女は、それに素直に従った。
ボスが大丈夫というのなら、それでいいのだ。
「一体、二十年…音沙汰もなく、お前は何をしてたんだ」
ぽんぽん。
しっかりしろという風に、チョウに腕を叩かれる。
ボスは、その腕を見た後、彼を見た。
「ずっと…ずっと研究をしていた」
ふぅと、息を吐き――彼は言う。
高坂巧の人生を、ややオブラートをかけた形で話すのだ。
ああ。
絹は、そっとボスから離れた。
そして、将の方へと向かう。
もう大丈夫そうだ、と。
これからきっと、懐かしい昔話が始まるのだ。
「絹さん…」
将の腕を取って、先を促す。
「部活に行きましょ…将くん」
二人きりで、どこかでゆっくり話しをしてくれるといい。
絹は、そう願っていた。
「あ、ああ…じゃあ、父さん…今日はありがと」
「先生…ありがとう」
だから、お邪魔虫は退散だ。
チョウの前にいるには、この顔は――邪魔すぎる。
※
ぼーーー。
今日、ボスは絹よりも遅く帰ってきた。
そのまま何もしゃべらず、居間のソファにひっくり返ると、魂が抜け落ちたように天井を見上げている。
今日一日の出来事を、まだ処理しきれずにいるようだった。
そんなボスの前に、島村がてきぱきと夕食を並べている。
しかし、手をつける様子もなく、長く長くぼんやりとしていた。
絹と違って、ボスが一体チョウとどんな話をしてきたのか、他が覗き見ることは出来ない。
「先生…食事をしてください」
島村が、ついにしびれを切らして、言葉で言った。
一応、今日何があったのか、彼も理解はしているだろう。
しかし、その気持ちを理解したり、共感したりは出来ないのだ。
「あ、ああ…しかし、胸がいっぱいだ」
ようやく、少し地に足をつけたようだが、ボスは胸を押さえている。
「話…ゆっくり出来ました?」
邪魔をしないように離れていたが、ずっと絹はそれを気にしていた。
彼女の言葉に。
ボスの頬が、ゆっくりとバラ色に染まるではないか。
「話したというか、聞きだしたというか、話させられたというか…」
もじもじし始める彼は――40前で、しかも男だ。
だが、この一瞬だけは、まるでオトメのようだった。
絹の方が、よほどその感覚は欠落しているので、島村と同じく共感や同調は出来ない。
ただ。
いまのボスの表情を見る限り、とても幸せだったのは伝わってくる。
「そうですか…よかったですね」
だから、絹も嬉しい。
20年ぶりのコンタクトは、うまくいったのだ。
それに。
彼女のでしゃばった言葉を、ボスは注意しなかった。
フェイクは入っているが、核心に近い話まで、今日は彼らの前でしてしまったというのに。
絹も、必死だったのだ。
反応を間違えれば、チョウのボスへの態度が、変なものになってしまいそうで。
大波を、無事に乗り越えられたことを、絹は喜んでいた。
「連絡先の交換は、しました?」
彼女の言葉に、ボスは慌てて胸ポケットから携帯電話を出して、中を確認しているようだ。
そして、ほぉっと深い安堵のため息をついたのだった。