夏休み-1
新しい生活やバイトにも慣れようやく落ち着いていた。
世間では夏休みが始まり朝から近所の子どもたちが騒いでいる。
今日も真夏日だった。
俺はクーラーの効いた東急東横線の電車に揺られていた。
電車を乗り継ぎ武蔵浦和の駅で降りる。
南の島の夏より暑いのではないのかと思えるほどアスファルトの照り返しが眩しい。
「えっと、確かこっちで良かったはずだが」
俺が向っているのは実家だ。
何故、迷いそうになっているかと言うと俺が島に居る間に引越しをしていて一度しか来た事が無く。
おぼろげな記憶をたどって歩く。
しばらく歩いていると前に日傘をさして白いワンピースを着てヒョコヒョコと体を左右に揺らしながら歩く女の子がいた。
あの独特な歩き方は間違いないアイツだ思い切って後ろから声を掛ける。
「茉弥」
「兄さま、兄さまだ。どうしてどうして」
振り返り驚いて目をまん丸にして走りだし、か細いハスキーボイスを発しながら腕に抱きついてきた。
「相変わらずだな、その呼び方」
「兄さまは、兄さまだのに」
プゥと頬を膨らましている。
この独特な歩き方をしてどこぞの御嬢様の様な呼び方をする女の子は少し年の離れた妹だった。
茉弥に腕を引かれ迷わずに家に着く。
俺の実家はどこぞの豪邸と違い普通の住宅街の中の一軒家だ。
玄関を開けた瞬間にお袋が抱きついてきた。
「タカちゃんお帰り」
「お袋、ただいま。相変わらずだな」
「もう、ママかお母さんと呼びなさい、タカちゃん」
「お袋、それは無理だから」
返ってくる度に同じことを言われ同じことを返す。
「お袋もタカちゃんの呼び方止めてくれ、ハズいから」
「駄目よ。タカちゃんはタカちゃんだもん」
「茉弥と一緒か? お袋は幾つだよ、まったく」
「それ以上言ったら御仕置きよ、もう」
お袋のデコピンをくらい家に帰ってきた実感がわく。
リビングでくつろいでいると茉弥がべったりくっ付いて離れようとしなかった。
「しょうがねえなぁ。茉弥は本当に、甘えん坊だな」
「マーちゃんばっかりズルイ」
お袋が子どもの様に駄々を捏ねている。
暑いからお袋まで纏わりつくのは御免こうむりたい。
「親父は?」
「出掛けているわよ、心配」
「何を言っているんだかお袋は。別に会いたくないし」
「もう、そんな事言わないの、めっ」
『めっ』ってもう子どもじゃないんだから。俺の家族はいつもこんな感じだった。
お袋はメチャクチャ童顔で天然系の泣き虫だし、いつも動き回っていてチッコイ体の何処にあんなパワーがあるのだろうと思う。
妹はおっとり系で小さい頃から体が弱くいつも家の中で遊んでいた。
遊び相手は俺ぐらいだったからいつも俺にべったりで、その癖が未だに抜けない。
親父はヤンチャの固まりで殆ど家に居ないし直ぐに殴る。
長男の俺は風来坊でヘタレ。
それが普通か変わっているか分からないが如月家ではこれがノーマルで。
久しぶりに家族がそろい(親父は居ないが)島での生活や仕事の事や戻ってきてからの事など質問攻めだった。
「マーちゃん、あのね、タカちゃん彼女が出来たらしいわよ。お姉さんがあんなに美人なんだからとても可愛い子なんでしょうね、きっと」
「兄さま、兄さま写真はないの?」
「そうそう、タカちゃん写真くらい持っているのでしょう、早く出しなさい」
「いや、持ってないし。それに彼女ですらないし」
妹がお付き合いさせてもらっている姉だと潮さんに言われれば誤解されても仕方がないのかもしれない。
付き合っていると言う言葉の意味をどう取るかは聞き手次第なのか。
そんな会話をしていてふっと思った事がある。
俺と海との関係って何なんだろう。
彼女? 友達? 鍵の繋がり? どれも微妙だった。
出会った頃は敵意むき出しだったけど少しずつ心を開いてくれている。
俺も最初はなんだコイツって感じだったが海の笑顔を見ていると嬉しくなる。
これが好きと言う気持ちなのかと言うと違う気がする。
嫌いなんて事は絶対にありえないがだ。
まぁ、気に入ってしまったという事なのかなのかもしれない。
近い様な遠い様な微妙で不思議な関係。
そう言えば俺は海の事あまりよく知らないと言う事を今更ながら再認識する。
出会って4ヶ月くらいか海は俺の事どう思いどこまで俺の事知っているのだろう。
俺と同じような物なのかもしれない。
潮さんは全て知り尽くしていそうで怖くなり身震いした。
そんな事を考えていると横で茉弥がウトウトし始めた。
「マーちゃん2階で、少し眠りなさい」
「うん」
茉弥が2階に上がりしばらくするといつになく真面目な顔をしてお袋が話し始めた。
「タカちゃん、少し変わったわね。大人になったと言うか、男の顔になってきた。石垣島で何があったの? 水無月さんは水の力を持った人たちよね」
「えっ、ああ」
お袋の口から水の力と聞いて鼓動が早くなる。
潮さんが言っていたことは本当なのかもしれない。
信じたくなかったが今は信じるしかなかった。
特殊な退魔師の一族なのだと。
俺もきちんとお袋に向かい正座をして島であった事を話した。
海に出会い使い魔に襲われて力が発動して騒ぎになった事。
そして今は水無月家の近くで暮らしながら石垣島で世話になった先輩の店で仕事をしている事。
一番大事な鍵が俺の体の中にある事は伏せておいた。
俺自身が未だに信じられず不確かな事をお袋に話せば心を痛めると思う。
今までだって散々心配をかけていたのにこれ以上は心配を掛けられないし俺が解決するべき問題だと。
お袋に聞きたい事が沢山あるのだが何をどう何から聞いていいのか分からなく戸惑ってしまう。
「これを、タカちゃんに渡しておくわ」
「なんだこの犬笛みたいな物は?」
長さ5~6センチで直径は1センチ位の細い管の様な銀色のペンダントトップのような物で、表面には模様のような文字のような物が黒く彫られていた。
「これは羅閃よ。我が家に代々家に伝わる家宝と言うか宝具ね。あなたは頭で理解するより実際に体験した方が早いでしょう。目を閉じなさい」
「判った」
お袋の言うとおりに目を閉じると空気がピンと張り詰める。
少し鼓動が高鳴る感じがして笛の音の様な音がして。
次の瞬間に目を閉じているはずなのに目の前にいるお袋の映像が鮮明に浮かんできた。
「ママの姿が見えたかしら? たとえタカちゃんが地球の裏側にいても同じ事が起こるわ。この笛はママとタカちゃんを結んでいるそう言う物なの」
「笛なんか吹いたら茉弥が目を覚ますぞ」
「大丈夫よ、あなたにしか聞こえないもの」
「俺にしか聞こえない?」
「そうよ、タカちゃんが吹けばママにだけあなたの映像と笛の音が聞こえる。何処にいようともね。この笛にはママの気とタカちゃんの気が込められているの。だから、ママとタカちゃんにしか使えない。それとこの笛にはかなりの力が封印されていて魔よけにもなるの。魔よけだけなら他の人にも有効よ」
「なぜ、こんな物を俺に?」
「必ず必要になる時が来るはずよ、だから」
チェーンを外して俺の首に掛けお袋がいきなり頭を下げた。
「ごめんね。タカちゃんはすでに知っていると思うけどママの一族は退魔師の家系なの。ママのお母さん。つまり、あなたのお婆ちゃんはすごい人だったわ。日本では屈指の退魔師だったの。でも、ママにはそんな力は無いの。まったく無いわけではないのだけど簡単なお払いくらいしか出来ないわ。だから、お婆ちゃんはママに詳しい事は話さなかった。たぶん、普通の女の子として生きて欲しかったのかもしれない。だって普通の人には見えない異形の者が見えるなんて変でしょ。この笛にしたって2人の気の込め方さえ知らない。あなたが知りたいと思っている事に対してママは何も答えられないと思うわ」
俺が神妙な顔をして聞いているこう続けた。
「お婆ちゃんが居ない今、詳しい事を知っている人は誰も居ない。でも確かな事が一つだけあるの。お婆ちゃんの口癖は愛は力なり。今風に言えば『LOVE IS POWER』よ」
片手を前に突き出し拳を握りながら恥ずかしげもなくそんな事を言っている。
俺の前に居るのは普段どおりの天然ボケのいつものお袋だった。
夕方、2階から茉弥がまだ眠そうに目をこすりながら降りてきた。
「あら、マーちゃんおはよー。じゃあ、みんなでお買い物に行きましょう。今日はタカちゃんの為に腕を振るうわよ」
「みんなって、何で俺まで行かないといけない訳?」
「だって、荷物重いんだもの荷物持ちよ。今日はいっぱい買い物するから」
無理やり連れだされ歩いて駅前の商店街に向う。
茉弥は俺の左手を両手で掴みニコニコしながら振り回している。
お袋が俺の右手を掴もうとしたので振り払った。
「マーちゃんばっかりずるい、ママも、ママも」
「はぁ~ しょうがないな」
膨れっ面をしてお袋が大声をだして駄々を捏ねている。
本当にこの人は親なのか? まるで子どもだな相変わらず。
恥ずかしさを堪えながら手を繋ぐと嬉しそうな顔で俺の顔を見上げた。
ハズい、ハズ過ぎる。周りから見たらどう写っているのだろう……
お袋は小柄でメチャメチャ童顔だから『ん十歳まえ』には絶対にみえない。
3人で並んで歩いていても親子には見えないのだろう。
それも手を繋いで……突っ込みドコロ満載だな。
こんな所を潮さんにでも見られたら大変な事になるぞと思いながら辺りを気にしてしまう。
久しぶりのお袋の手料理は相変わらず絶品だった。
翌日も朝から仕事があるので終電に間に合うようにアパートへ戻る。
やはり、潮さんに知られていた。
「ラブラブね、両手に若い子はべらして海に報告しなきゃ」
「そんな誤解を生むような真似止めてください」
海にボコボコにされ誤解を解き機嫌を直すのに数時間を要したことを付け加えよう。