新年-1
除夜の鐘が鳴っていた。
俺は実家でお袋と茉弥と大晦日を過ごしている。
海達はと言うと何でも大晦日に定例の集まりがあるらしく年明けにしか戻らないらしい。
久しぶりの実家の風呂でのんびりしていた。
「あら、茉弥。何をしているの」
「あのね、兄さまにお年玉あげるの」
沙羅からのクリスマスプレゼントの隆羅のダウンのコートに茉弥が板チョコやクッキーなどをポケットに入れていた。
「茉弥のお菓子なのに良いの?」
「うん」
「茉弥は優しいのね」
「えへへ、茉弥。兄さま大好きだもん、内緒ね」
「ママと茉弥だけの秘密ね」
「うん」
風呂から出てくるとお袋と茉弥が内緒話をして俺を見て笑っていた。
「何を悪巧みしているのかな?」
「兄さま。遊ぼう」
「しょうがないな。遅いから少しだけだぞ」
「兄さま、大好き」
茉弥と遊ぶと言っても俺は特に何もせず茉弥の言うとおりにするだけだ。
俺の髪にリボンを付けたりヘアーバンドを頭に巻いたりしてると茉弥が眠そうに目を擦りだした。
茉弥がこんな遅くまで起きているのは正月だからで普段なら夢の第2幕くらいの時間だろう。
お袋に促されて茉弥が『おやすみ』と言って2階にお袋と上がっていった。
お袋とコタツに入りながら蕎麦を啜る。
「今年も、いろんな事があったわね」
「そうだな」
「一番の出来事は。タカちゃんが帰ってきてくれた事かな」
「そうか、居ても居なくても同じだろ」
「本気で言っているの? 茉弥だってあんなに喜んでいるのに」
「そうだよな」
「それにタカちゃんに彼女が出来て。海に行ったり一緒に遊んだりできて。クリスマスをもとても楽しかったわ」
「俺も楽しかった。大変な事ばかりだったけどな。今はその幸せだしな」
「このこの。惚気ているの?」
「違うよ、みんなの笑顔がだよ」
「そうね、みんなの笑顔が一番ね」
海と出会ってからの色々な事が浮かんでくる。
するとお袋が少し寂しげな顔をした。
「タカちゃん、茉弥と凪ちゃんの誕生日会の帰りに襲われたって聞いたけど大丈夫なの?」
「大丈夫だったとしか言えないな。潮さんが封印を解いてくれた右腕しか退魔師の力は使えないし。自分自身でさえ自分の力がどれ程のものかも判らない。婆ちゃんみたいに百戦錬磨ならいいけれど俺が自分の力を知って使える様になったのはつい最近だ。それに潮さんの話じゃ、この間襲ってきた奴のリーダーは俺の封印を全部解いても危険な相手だって言っていたしな」
「そうか。ママはタカちゃんを信じているわ。でもその相手ってそんなに凄いの?」
「最悪らしい。『逢魔の闇』って潮さんは言っていた」
「そう、そうなんだ。そっか」
お袋の顔が強張り手元の湯呑に視線を落とした。
「お袋は何か知っているみたいだな」
「お婆ちゃんから少しだけね。何回か対峙したけど勝てなかったって言っていたわ」
「最強の婆ちゃんでも敵わない奴にどうすればいいんだよ」
全身から力が抜けてコタツに突っ伏した。
「そうね、でもタカちゃんはもう決めているんでしょ。絶対に守るって」
「ああ、だけど」
「だけど何なの。タカちゃんが不安になってしまったら海ちゃんはどうすれば良いの。しっかりしなさい」
「そうだな」
知れば知るほど不安だけが募る。
「タカちゃんは不器用で真っ直ぐで。とても頑固で一度決めた事は今まで絶対に譲らなかった。でもちゃんとやり抜いて来ているじゃない。茉弥が元気なのもタカちゃんのお蔭よ」
「でも、治った訳じゃ」
「仕方が無いの原因が解らないのだもの。タカちゃんが悪いんじゃないの」
「でも、その原因って」
「はい、そこまで。今、タカちゃんが守るべきは海ちゃんでしょ。茉弥の事はパパとママに任せておきなさい。いい分かった」
その時、玄関か声がした。
「おーい、今年は帰ったぞ」
「あ、パパお帰りなさい」
「おっ、クソ坊主もいたのか。珍しいな」
「クソ親父に珍しいなんて言われたくねえよ。それにここは俺の家だ」
「ばーか。ここは俺の家で坊主の物じゃねえ」
「いちいち、うるせえんだよ。人の揚げ足ばかりとりやがって」
クソ親父と睨み合い一触即発の雰囲気になった。
「もう、年明け早々。2人とも止めて下さい。パパもタカちゃんも判った」
「了解です。ふん、クソ親父が」
「タカちゃん、怒るわよ」
粋がるとお袋に睨まれた。
3人でコタツに入りテレビを黙って見る。
これが俺と親父がいる時のスタイルだが今年は違っていた。
「おい、坊主。お前生意気にも彼女が出来たんだって。どんな子なんだ。お前の事だ写真でも持ち歩いているんだろ。見せてみろ」
「そんなもの、持ってねえよ」
「けっ、しみったれてるな。ちゃんと紹介くらいしろよ」
「ふん、いつもブラブラして家に居ない人間にどうやって紹介するんだよ」
「携帯とかあるだろう。今時のガキがナマ言ってるんじゃねえぞ」
「番号、知らねえもん」
「はぁ? この親不孝者が。そんな風に育てた覚えねえぞ」
「俺はお袋に育てられたんだ。クソ親父じゃねえだろ」
「しかし、正月早々。時化た面しやがって。またどうしようもない事をウジウジと考えてるんだろうが」
「うるせえ、クソ親父に何が分かる」
「お前の面見ていたら、何でもお見通しだ。クソガキが」
「2人ともいい加減にしなさい!」
胸倉を掴み合って言い争っていると新年早々お袋の雷が落ちて茉弥が起きて来てしまった。
大きな声で目が覚めたのだろう。
「母さま、どうしたの。あっ父さま。また兄さまと喧嘩。茉弥、喧嘩嫌い」
「茉弥、こっちにおいで。喧嘩していた訳じゃ無いんだ。起こして悪かったな」
「うん、父さま」
「坊主、少し頭でも冷やして来い」
茉弥が嬉しそうに親父の膝の上に座るとヘルメットを投げ付けた。
難なく受け取るとヘルメットの中にはバイクの鍵が入っていた。
「茉弥起こしてゴメンな」
「明日には返せよ。明後日は使うからな」
「ああ、判ったよ」
「タカちゃん。出掛けるの? それなら10分だけ待って。お願い」
無言で頷き部屋から出るとお袋の声が聞こえてきた。
「パパお願い。隆羅の気持ち分かってあげて。もう何回もあの子危ない目に遭っているの。命懸けなのよ。今のままじゃ2度と戻って来れなくなってしまうかもしれないの」
「そ、そうだったのか。何も知らないでつい。いつも通りやっちまった。悪かったな」
しばらくするとお袋が外に出てきた。
手にはお袋用のヘルメットとステンレス製の細身のボトルを持っている。
「はい、ヘルメット。海ちゃんの分、それとこれ」
「海の分って、正月はあいつ」
「備えあれば何とやらよ。これは熱々のコーヒー沙羅スペシャルよ。寒いから気をつけて行ってらっしゃい」
「お袋、いつもこんなで悪いな」
「大丈夫よ、パパもきっと分かってくれるわ。似たもの同士なんだから」
「似ているかそんなに。じゃ、行ってくるわ」
親父のスペシャル・ヤンチャ仕様のゼファーのエンジンを掛ける。
いつもながら心地よい音がしてエンジンが吹け上がる。
俺の格好はスペシャル・クリスマス仕様だった。
海のセーターにお袋のダウンのコート。
凪のマフラーに茉弥の手袋。
潮さんから貰ったカードは財布に入っている。
それにお袋スペシャルの熱々コーヒーが右ポケットの中に入っていた。
バイクを走らせながら島で俺の事を変えてくれたアイツの事を何故か思い出していた。
島に着き仕事も見つからず途方に暮れていた。
「おい、お前こんな所で何しているんだ?」
「別に、あんたに関係ないだろ」
「そんな暗い顔していたら来るもんも逃げていくぞ」
「俺に構うなって」
「生憎、俺はお節介なんだ。何があったかは知らないけれどなぁ。世の中は全てナンクルナイサーだ」
「ナンクルナイサー?」
「そうだ、楽しい事も嬉しい事も全てOK。哀しい事も辛い事も全てOK。何とかなるから気楽に行こうって意味だ」
「お気楽な奴だな」
「どうせ、その面じゃ行く当ても無いんだろう。だったら俺の家に来い。お袋と妹が居るが大歓迎だ。ほら、行くぞ」
それが始まりだった。
そいつの名前は正と言って。親父を早くに海で亡くし親父の跡を継いで海人(沖縄の漁師)をしていた。
年は俺の一つ上だった。正の家にはお袋さんと妹が居たが見ず知らずの俺を快く受け入れてくれて。
俺はその家にしばらく身を寄せる事になった。
舟は苦手だがなるべく正と一緒に海に出て手伝いをする。正が獲って来た魚をお袋さんが店で売って生計を立てていた。
何でもやった店番や魚の捌き方を教わり刺身を作ったりもした。正のもう一つのダイビングの仕事の手伝い。
そしていろいろな事を教わった。島の事、島の言葉、島のしきたり。
そして正の強さ、お袋さんの優しさでっかい包容力、妹の純粋で元気な笑顔。そのお蔭で笑えるようになり心を開く事が出来た。
島で過ごして1ヶ月が過ぎた時に決めたんだ。
「正、この島で生活しようと思うんだ自分の力だけで」
「そうか、そろそろいい時期かもしれないな。お前もいい顔になったしな。生きているって感じがするだろ」
「ああ、そうだな。とりあえずホテルの寮にでも入って。そこから始めようと思う」
「そうだな。何かあれば相談にも乗るし力にもなるからな。それと時々でいいから顔を出してくれ。妹はお前の事を気に入っているみたいだしな」
「ああ、分かった約束するよ」
「ナンクルナイサーだぞ。怒ったら負けだ」
「ナンクルナイサーだな」
そして、島での生活がスタートした。
自分の力で生きる為の。