誕生日-2
外に出た途端、朝感じた不穏な空気をハッキリと認識でき嫌な予感がした。
そして何処からか見られている感覚も同時にハッキリと感じる。
海と凪に気付かれないように来た道を歩いて駅に向いながら話しかける。
「茉弥の部屋で何をして遊んでいたんだ」
「最初は、トランプとかしていたんだけどね。お姉ちゃん」
「うん、隆羅の小さい頃の写真を見たの。凄く可愛いね、隆羅」
「それってアルバムを見たって事か。まぁ良いけど」
「兄貴って本当に茉弥ちゃんと仲が良いんだね。2人の写真ばかりだったし」
「そうだな、子どもの頃はいつも茉弥と遊んでいたからな」
少しだけ海に元気がないと言うか微妙に感じが違う気がする。
もしかすると俺のアルバムを見てスギやクロ達に言われたことが心のどこかに引っかかっているのかと思った。
「どうした海。神妙な顔して悩み事か?」
「んん、違うのちょっと考え事」
「それなら、いいけど」
それは突然訪れ頭の中に鮮明に画像が現れた。
『黒い影』 『しゃがみ込む海と凪』 『土手に向かって走っている俺の姿』
嫌な感覚が増幅し汗がにじみ出て辺りを見渡す。
バイパス沿いの歩道で今は大きな交差点に差し掛かっている。
交差点には歩道橋が掛かり車は多いが人通りは殆ど無かった。
海を見ると流石に何かを感じたのか少し落ち着きが無く、海では駄目だと判断を下す。
凪の肩を掴み凪の目を真っ直ぐ見る。
「凪、落ち着いて良く聞けいいか。すぐに海を連れて2人で先に帰れ。あそこの高架の右側が直ぐに駅だ判るな。乗り継ぎが分からなければ駅員に聞いてくれ。財布と携帯をお前に預けておく。何かあればすぐに潮さんに連絡しろ分かったな」
「兄貴、いきなりどうしちゃったの、何があるの?」
「何があっても大丈夫だ。俺が言った事を信じてくれ。凪が頼りなんだいいな」
何が起きているのかが判らず凪の瞳が不安で揺れている。
俺にですらはっきりとした状況は飲み込めていない。
それでも確実に危険が迫っているのを感じたその時、歩道橋の上で黒い何かが羽ばたいた。
そして急降下してくる。
「伏せろ!」
咄嗟に叫ぶと海と凪がしゃがみ込んだ。
右手で払いのけたが影の爪か何かが皮膚を切り裂き血が落ちる。
鳥の様な影は急上昇して再び襲ってこようとしていた。
信号が青に変わったのを確認して凪の背中を押す。
「今だ、走れ!」
凪がはっとして海の手を力の限り引っ張り横断歩道を駆け出した。
海が心配そうに何度も振り返っている。
その瞬間、頭の上を影がかすめ手を突き出し足のような物を掴んだ。
影が暴れるが凪と海が離れるのを確認して手を離し土手に向かい走り出す。
影は上から様子を伺いながら俺を追いかけて来ている様だった。
土手に向かい走り抜けると土手の手前で何かが横から飛び出してきた。
咄嗟に腕を胸の前でクロスさせて直撃は何とか防いだが吹き飛ばされ土手沿いの金網に激突してしまう。
痛みを堪え土手を駆け上がるとすぐに獣の様なものが追いかけてきた。
一先ず河川敷の公園の遊具の影に隠れる。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
自分の荒い息の音だけが聞こえ公園の中は異様に静まり返っている。
影はたぶん鬼の使い魔なのだろう。
こちらを伺っている様だがすぐに攻撃はして来なかった。
「どうする、どうすればいい」
誰も巻き込むわけに行かず荒川の河川敷まで逃げて来たが俺には打つ手がまったく無かった。
遊具から少しでも動けば上から影が急降下してくる。
転げ出て何とか防ぐが姿勢を立て直した瞬間に、今度は獣の様なものが襲ってきて手で払いのけ走り出す。
キルシュといくらかの訓練はしていたが2匹の波状攻撃にはまったく役に立たなかった。
今度は獣が襲い掛かり逃げると鳥の様ななものが襲ってくる。
何度も同じ事を繰り返す。
「おかしい。簡単に止めを刺せるはずなのに何故そこまでしない。何かを伺っているか試しているのか。それとも狩を楽しむように弄んでいるのか。ふざけるな」
理解は出来ないが体を休ます時間は与えてもらえず。
確実に体力が消耗していくのを感じていた。
逃げ回るのが精一杯で呼吸を整えることすら出来ない。
どれだけ逃げ回ったのだろう体中傷だらけだが致命傷はない。相手が本気にしていない為なのだろう。
しかし俺の体は限りなく限界に近づいていた。
理由は判らないが攻撃の間隔が少し長くなってきている。
自分の息遣いだけが聞えていた。
物陰に隠れて辺りを見回すと何処にも影は見えなかった。
何処かに潜んでこちらを伺っているのだろう。飛び出せば襲い掛かってくる事には代わりが無い。
「隆羅。隆羅。何処に居るの」
海の声がした。
隆羅が凪たちの離れるのを確認して橋に向って走り出した後。
凪は海の手を握り締めて駅に向って走っていた。
「凪、駄目離して。隆羅が隆羅が死んじゃう」
「お姉ちゃん。行っちゃ駄目!」
海が凪の手を振り解いてきた道を走り出してしまう。
凪が叫んだが海には届かず凪はパニックになった。
そこで隆羅の言葉を思い出しすぐに隆羅の携帯で潮に連絡を取る。
「お姉ちゃん、どうしよう兄貴が、兄貴が」
「凪、何があったの? 落ち着きなさい」
「兄貴とお姉ちゃんが死んじゃうよ。助けて、早く助けて!」
凪は携帯を握りしめ泣き叫んだ。
「凪、良く聞きなさい。あなたも水無月の人間でしょう」
潮の凛とした力強い声に凪は何とか落ち着きを取り戻した。
「凪、いい事。慌てないでゆっくりと状況を説明しなさい。隆羅と海は大丈夫だから」
「真っ黒な鳥みたいな影に襲われて兄貴が囮になって走っていって。兄貴にお姉ちゃんと逃げろって言われて駅に向ったけど途中でお姉ちゃんが兄貴を追いかけていちゃったの。どうしよう」
「凪はそこから絶対に動いちゃ駄目よ。今、何処に居るの周りには何があるの言いなさい」
「うん、西浦和駅の近くの大きな道。兄貴はバイパスって言ってた」
「判ったわ。すぐに行くから決して動いちゃ駄目よ。何かあったらすぐに連絡しなさ判ったわね」
凪は潮の指示通り近くにある街灯の下で待つことにした。
状況は最悪だった。
海を巻き込むわけには行かないが海が危険すぎる。
「クソ、どうすればいいんだ」
「隆羅、そこに居るの?」
影が動く気配を感じ瞬時に海に向かい全力で走っていった。
全身の筋肉が悲鳴を上げるが土手を一気に駆け上がる。
右から影が向ってくるのが見え頭が真っ白になり体の中で何かが弾け。
その瞬間、右腕から閃光が走り文様が薄く浮かび上がり頭の中で声がした。
『隆羅いけない』
腕の文様と青白い閃光がスゥーと消えてしまった。
影が海に飛び掛り裏拳で影をなんとか払い飛ばすと上から鳥が襲い掛かって来た。
避け切れないと思い海を抱きしめて土手を転げ落ちる。
起き上がり辺りを見渡すが影は確認できない。しかし気配はビンビンに感じていた。
海は恐怖心に飲み込まれガタガタと震えている。
開けた所では分が悪すぎると思い辺りを見渡す。
赤と白に塗り分けられた送電線の鉄塔のコンクリート製の台座が目に飛び込んできた。
海の手を引いて台座の下まで走り出し海を背にして鉄筋コンクリート製の台座の脚の前に立つ。
ザワザワと周りの空気が震え気配が増えている事に気が付いた。
一気にカタを付ける気だ。
ジワジワ間合いを詰めてくる気配だけを感じた。
『人だけじゃ駄目なの自分も守れないと、きっと哀しい思いをする人が出てくる筈だから。もし万が一何か遭った時には、自分の力を信じなさい。あなたの体の中にも退魔師の力が宿っている、その力がきっとあなたを導き助けてくれるはずよ』
海だけでもと覚悟を決めるとお袋に言われた言葉が蘇る。
『熱くなってもいい。だけど頭の中はいつもクールでいろ。そうすればかならず活路は見出せる』
お袋が思い出させた親父の言葉だった。
後ろで海は俺の名を呼びながら震えながら泣いている。
何も守れない自分に怒りがこみ上げてきた。
そして深く静かに深呼吸をすると体が段々熱くなって来るのを感じる。
しかし頭の中はとても冷静になってきた。
あの峠の時のように。
しかし今は少し違う感覚だった。
そして俺にも退魔師の血が鬼の血が流れていることをイメージする。
彩湖から冷たい風が吹き影が襲ってきた。
「クソったれ!」
右腕に集中して力を込めて影を払いのけると炸裂音と共に影が消し飛んだ。
体に力が湧いてくる。
右腕には形の違う文様がハッキリ浮き出ていた。
今までの文様は直線的だったが今は違う曲線と言うかフレイム。
炎の様な形だった。これが俺達の退魔師の力。
そして潮さんが言っていた鬼の力を吸収すると言うこと理解し体が学習した。
獣の様なものが飛び掛ってきて拳を叩きつけるが影は消えなかった。
おかしい。もしかして…… また上から襲い掛かって来くる。
今度は叩き落すように払いのけると炸裂音と共に消し飛んだ。
掌だ掌で触らないと消えないのか。
行ける所まで行くしか無く覚悟を決める。
そこから離れた斜張橋の主塔の天辺に1人の闇が立っていた。
「ほお、覚醒したか。やはり退魔師の者か。すこし特殊のようだがたいした事は無い。もう少し楽しませてくれるかと思ったが興醒めだ。後はあのガキの運しだいか死んでもよし、生き延びるもよし」
闇夜に溶け込むように笑いながら消えた。
多勢に無勢、相手が多すぎる。海を背にして戦うのは限界に近かった。
「クソ、目が霞んで来やがった」
それでも向ってくるものには手を向けて消し飛ばす。
苦しくって胸に手を当てシャツを握ると何かが手に当たった。
「羅閃か」
鼓動が跳ね上がり何処からか声が聞える。
その瞬間、正面から一斉に飛び掛ってきた。
右腕に力を込めて掌を開き一番近くまで来た影を掴もうとして頭に響く言葉を叫んだ。
「炎。爆!」
オレンジ色の光? いや、炎の様なものが掌から広がり辺り一面を包んだ。
そして全ての影が燃え尽きた。
炎では無く実体が無い。透けるような炎と言ったほうが良いのだろうか。
我に返り後ろを振り返り海の状態を確認する。
「もう、大丈夫だから。怖い思いをさせてゴメンな」
海の瞳が揺れ視界から色が消えた。
凪は恐ろしさに堪えながら潮を待っていた。
隆羅はどうしているのだろうお姉ちゃんは無事なのだろうか。
すると目の前の道路に車が止まり潮が降りてきた。
「潮お姉ちゃん!」
「もう大丈夫よ、安心しなさい。隆羅はどっちに走っていったの?」
「あの、交差点を右に」
凪が潮に抱き着き体を小刻みに震わせながらしゃくりあげていた。
「隆羅の事だから河川敷に居るはずよ。私達も行きましょう」
潮が凪の肩を抱きながら車に乗せ。
車をUターンさせ隆羅達が居るであろう河川敷に車を走らせた。
隆羅が海に持たれかかり崩れ落ち。
海の瞳に光が戻ると潮さんの声が響いた。
「海。隆羅。何処なの。返事をなさい」
「お姉ちゃん、こっち、隆羅が、隆羅が」
潮と凪が駆けつけ潮が隆羅の様子を診ると隆羅は気を失っているだけの様だった。
「たぶん力を解放しすぎて一時的に気を失っているだけよ。安心なさい。車に運ぶの手伝いなさい、早く」
隆羅を車に乗せ潮が車を急発進させた。
目を開けるとそこは屋敷の中だった。
「ぶッ倒れて。また、ここか。ふり出しに戻った気分だな。今度はまだ、翌日か」
枕元にあった携帯で日付を確認する右腕を見て意識を集中すると文様が浮かび上がってくる。
海が寝ずに看病してくれていたのだろうベッドに凭れて海が眠っていた。
「今度は、大丈夫みたいだな。ゴメンな、いつもいつも心配ばかりかけて」
起き上がりそっと海を抱き上げて今まで自分が寝ていたベッドに寝かす。
海の顔にかかった前髪を指で優しくはらう。
今は意識を集中しなくても何処に誰が居るかハッキリ感じる事が出来た。
「隣に居るのは潮さんか」
隣の部屋に続くドアを見つめ近づくと中から声がした。
「今さらそんな事言われなくても判っています。でも、封印を解いてしまったらあの子の命は。海に時間があまり無い事も全て分かっているつもり。私達は番人よ鍵の回収が最優先される事も分かっている。もう少しだけ待ってちょうだい。最悪の場合は回収した後で海の記憶から彼の記憶を消します。私の手で」
まだ話は続いていたが隆羅は静かに部屋を出て屋敷の庭に向かった。
「やっぱり、そうだよな。もう覚悟は出来ている訳だし。俺の命で海や周りの人達や島の人を守れるならしょうがねえか」
隆羅の覚悟は今日や昨日決まった事ではなく。
幼い頃、茉弥が初めて倒れた時に決めた事だった。
子どもの頃に2人で遊んでいると急に茉弥の気分が悪くなり倒れた。
「ママ、ママ、茉弥が」
隆羅が沙羅を呼ぶと直ぐに沙羅が駆けつけてベッドに寝かせる。
沙羅はこうなる事を知っていたのだと幼い隆羅はなんとなく気付いてしまった。
「茉弥は心配しなくても大丈夫だから」
沙羅が電話をしに下に降りて行ってしまう。
「茉弥、だいじょうぶ?」
隆羅が茉弥の顔を覗きこむとても苦しそうだ。
そして茉弥を助ける方法を泣きたいのを我慢して必死に考えた。
すると頭の中におでこをくっけている場面が浮かんできて同じことを茉弥にするとスーと痛みが引くように眠りについた。
しばらくすると茉弥が目を覚ました。
「アニしゃま、ありがとう」
とても優しい笑顔で茉弥が隆羅を見て隆羅は願った。
『神様、もし僕の命で茉弥が助かるなら助けてあげてください』
自分にはどうする事も出来ない。
自分の命と引き換えでその願いが叶うのなら、それはどうしょうも無い事なのだと。
潮は電話の途中で誰かの気配に気付いた。
ドアを開け隆羅が寝ている部屋を見るが海がいない。
「あの子、何処に行ったのかしら? 変ね、確かに誰か居た気がしたんだけれども気のせいかしら」
隆羅が寝ていたベッドに海が寝ているとは気付かずドアを閉めた。
庭に居るとキルシュがやって来た。
「お前、襲われたらしいな。もう体は大丈夫なのか」
「ああ、大丈夫だ。ボコボコにされたが跡形も無く消してやったぞ」
「そうか」
空を見上げると一筋の飛行機雲が真っ青な空を半分にしていた。
「お前だけに話して。いや、俺の独り言だと思って聞いてくれ。俺は子どもの頃から大切なものを守るためにはこの命と引き換えで良いと思っていた。それは今も変わらない。でも、お袋に言われたよ。人を守るだけじゃ駄目なんだって、自分も守れないと必ず悲しむ人がいるからって。でもさぁ、世の中にはどうしようもない事ってやっぱりある訳だ。辛い事だけれど俺は海を命がけで守りたいと思っている。もし、それが俺の力で出来ないのなら俺はこの命を潮さんに差し出すつもりだ。このヘタレの命で世界の平和が買えるなら安いもんだろ」
キルシュは隆羅があんな無茶苦茶な事をするのは愛する者を守る為なら自分の事などどうなっても構わないと思ている事に気付いた。
「お前が居なくなったら海はどうする」
「判ってくれ。今の俺じゃどうする事も出来ないんだ。俺だってずっと海と一緒に居たい。どちらかを選ばなければいけない時、お前ならどちらを選ぶ」
「そうだな、判った」
キルシュはそれ以上何も言わなかった。
隆羅が死を覚悟している事が良く判ったから。
海が目を覚ました。
とても優しく温かい物に包まれていたような気がする。
起き上がると隆羅が寝ていた筈のベッド寝ていてほのかに隆羅の匂いがした。
「隆羅? 隆羅どこに」
慌てて部屋を見渡す誰もいない。するとドアが開き、潮が顔を出した。
「海、どうしたの。何故あなたがそこに寝ているの?」
「分からない。私、隆羅を探してくる」
海が部屋を飛び出して窓の外を見ると隆羅とキルシュが笑いながら話しているのが見えた。
「タぁ・カぁ・ラぁ」
「よう、海。怖い顔してどうした」
「心配ばかりかけて。隆羅の大バカ野郎!」
海の渾身の右ストレートが顔にヒットした。
「痛いって、何するんだ」
海の顔を見ると今にも泣き出しそうだった。
茉弥にしてやるようにおでこにおでこをくっ付ける。
「何、泣きそうな顔をしてやがるんだ。海は」
「痛いょ」
くっ付けたおでこを少し離し少しだけ強めにヘッドバットをすると海が涙目になった。
「さっきのお返しだ。ゴメンな。いつも、いつも心配かけて」
「うん」
海のおでこにキスをすると海が跳び付いてきた。
バランスを崩し海共々芝の上に倒れる。
「ねぇ、隆羅。プレゼントしてくれた洋服汚れちゃった。ゴメンね」
「いいさ、洗って駄目なら一緒に買いに行こう」
「うん」
大の字になって手を繋ぎでっかい空を見上げる。
「綺麗な空だな。海」
「うん、それに気持ち良いね」
「ああ」
冷たい風が2人の頬を撫でキルシュも空を見上げた。
その光景を潮は哀しそうな顔で見つめていた。
海と隆羅を助けられる方法は無いのか。
もし、あの話を隆羅に聞かれたとしたら隆羅がどうするかも分かっていた。
隆羅にとってはどちらを選択しても死の宣告と同じ事なのだと。