ラボ-3
翌朝になっても隆羅は目覚めなかった。
海がベッドの脇で凪は近くのソファーで寝ていた。
「凪、起きなさい。学校の時間よ」
「潮お姉ちゃん。今日は休んで兄貴のそばにいる」
「駄目よ、そんな事言ったら、隆羅に怒られるわよ」
「なんで、兄貴が怒るの?」
ゆっくりと凪が起き上がり気怠そうに潮の顔を見上げている。
「凪が楽しそうに学校へ行ったって話したら、隆羅とても嬉しそうな顔をしてたもの。こんな時だからこそ、ちゃんとしないとね。お願い」
「うん、分かった。兄貴の事、よろしくね」
凪が学校に行く準備をする為に部屋から出ていく。
「海も起きて。少しでも何か食べないと駄目よ。昨日から何も食べていないでしょ」
「食べたくない」
「駄目よ、食堂に軽めの食べ物があるから食べてきなさい」
海はため息をつきながら重い腰を上げて食堂へ歩き出すと潮がベッドの脇に腰を下ろした。
「どうすれば、目覚めるのかしら。隆羅ゴメンね」
それから2日が経ったが進展はまったく見られなく。
海は隆羅から預かった小さな巾着を握りしめ泣き疲れて隆羅のベッドにもたれて寝てしまった。
そして海は夢を見た。
海の母が優しそうに微笑みかけている。
「あらあら、海は何をそんなに泣いているの? 泣き虫さんね」
「ママ、ママなの? 大好きな人が目を覚ましてくれないの」
「心からその人を呼びなさい。海が選んだ人ならきっと答えてくれるはずよ。今はその人の事を信じてあげなさい。分かった」
とても優しい笑顔だった。
そこで目が覚め顔を上げ隆羅の顔を見るが眠ったままだった。
隆羅の手を握ると少し強い口調で離し掛けた。
「隆羅、お願い。お願いだから返事をして。お願いだから『しょうがねえなぁ』って笑って。お願い」
胸が詰まってそれ以上言葉が出てこなかった。
その日の午後。
海が屋敷の廊下を歩いていると学校帰りの凪が反対側から歩いてきた。
「お姉ちゃん。兄貴の様子は?」
海は首を横に振り窓の外に視線を移した。
「凪、一緒に行ってくれない」
「どこに行くの?」
「ひとりじゃ怖いの、お願い」
「わかった。一緒に行こう、お姉ちゃん」
屋敷を出てラボの方へ2人で歩き出す。
木々を抜けるとそこには信じられない様な光景があった。
直径30メートル位の円形に周りの木はなぎ倒され地面はえぐられ真っ黒焦げになっている。
そこにラボがあったなんて信じられなかった。
ラボが在ったであろう円の中心に辛うじて建物らしき床が丸く残っているのが見える海は立ち尽くし。
凪は驚きのあまりへたり込んで声が出なかった。
しばらくすると後ろから潮の声がした。
「まるで天の業火かインドラの矢ね。今でもこうして立っていられるのが信じられないわ。やはり、隆羅には神の力が宿っていたの。あのもう一つの気の流れがそうだったんだわ。その力が私の実験の所為で暴走してしまったの。でも隆羅は私とキルシュを守ってくれた。隆羅の強い想いが鍵の力を解放してとても優しい青白い光で包み込んで。あの床が残っている所がそうよ」
その時、潮の携帯が鳴った。
「急用が出来てお姉ちゃんは行くけど体冷やさない様にしなさい」
「潮お姉ちゃん、あのラボってお母さんのラボだったんでしょ」
「そうよ、お母さんのラボだった。凪はお母さんの事をあまり憶えてないのよね。凪を産んですぐに亡くなっちゃたから。とても優しくって綺麗な人だったわ。あのラボに写真があったんだけれど燃えちゃったみたい」
潮が海と凪を軽く抱きしめて屋敷の方に歩き出した。
海と凪がラボの床が残っている場所を見てると空から紙が一枚ヒラヒラと落ちてきた。
「えっ、まさか」
「お姉ちゃん、どうしたの」
何かを感じたのか海が突然走り出した。
ラボの地下の床だった所に紙が舞い落ちる。
海が拾い上げると回りが少し焼け焦げていたがそこには母の優しそうな笑顔があった。
夢が蘇えり止めどなく涙が流れ落ちた。
「お母さん、分かった。私、信じる。ありがとう」
写真を胸に押し当てて膝を落として泣いた。
「ん~ん、あ~良く寝た。あれ、終ったのかな?」
横を見ると海が寝ていて海を起こさない様に起き上がる。
軽い目眩と頭痛がしたが立って歩けないほどではないだろう。
「実験のせいかな。しかし、腹へったな」
キルシュが牙を立てた腕を見ると傷は何処にも無く体にも何も変わった所は無かった。
頭痛のする頭を擦りながら勝手を知る屋敷の中をキッチンへ向かう。
「さすが水無月家。全てそろっているぞ」
寝起きという事もあって胃に優しい物をと思い。
お気に入りの歌を口ずさみながらチーズリゾットを作り始める。
しばらくして出来上がり皿に盛りスプーンを探す。
「あれ、スプーンは何処に入っているんだ」
海がようやく目を覚ますと目の前に居る筈の隆羅の姿がなかった。
「隆羅。えっ、何で……」
部屋を出て屋敷の中を探し回っているとキッチンから歌が聞こえてきた。
走り出しドアから中を見ると鼻歌交じりで何事もなかったかの様に隆羅が何かを探していた。
そんな隆羅の姿を見て涙が溢れだしてきた。
ようやくスプーンを見つけ振り返るとドアの所に海が居た。
「海、どうしたそんな顔して? あ、これはあげないぞ」
「馬鹿ぁ!」
「痛たたた……お前はな、いつも、いつも、いつ。これは、絶対にやらないからな」
少しからかっただけなのに左頬にストレートが飛んできて尻餅をついてしまった。
リゾットの皿を持ったまま立ち上がると海が名前を叫びながら抱きついてきた。
後ろに押し倒され壁に背中をぶつけしゃがみ込んだがリゾットはこぼさずに済んだようだ。
なぜか海は俺の胸に顔を埋め大声を上げ俺の胸を叩いて泣いている。
しばらく海を抱きしめているとまだしゃくり上げていたが少し落ち着いてきたようだ。
あの可愛らしい音が腕の中からが聞こえてくる。
「しょうがねえな。一緒に食べるか」
「うぐ、食べりゅう」
2人してキッチンの床に座り込み壁にもたれながらリゾットを食べながら海が事の顛末を話してくれた。
ラボが凄まじい落雷で吹き飛んで俺が無意識に潮さんとキルシュを助けた事。
そして1週間もの時間目を覚まさず泣き続けた事。
騒ぎを聞きつけて潮と凪がキッチンの方へ走ってくる。
ドアから覗き込むと海が俺の胸に顔を埋め泣いているのが見え潮が後ろから凪を抱きしめ2人が泣き出した。
「よかった。本当によかった」
「兄貴……」
翌日、仕事に向かい店に入るといきなり先輩に怒鳴られた。
「如月、お前はクビだ! 遅刻はする。勝手に休みは取る。俺はお前に島でそんな事を教えた覚えは無いぞ」
「すいませんでした。本当にすいませんでした」
あまりの剣幕に咄嗟に土下座をしていた。
一週間も休めば当然と言えば当然だろう。
「ふっふふ、嘘だよ。頭を上げて立て。あの海ちゃんのお姉さんに話は聞いたよ、事故だったんだって大変だったな。ところで話は変わるが海ちゃんのお姉ちゃん綺麗な人だな、独身か? 今度、俺にちゃんと紹介しろよ。さぁ、仕事するぞ」
先輩が親指を立ててウインクして背中に寒い物が走る。
事故ってどんな話したんだろう?
どうせ、俺が海に殴られて壁に頭をぶつけてしばらく起きなかったとか。
そんなヘタレな事なんだろうなぁと考えていた。
後で先輩に聞いたら、その通りだった。
潮さんてやっぱり……