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或る指導者の青年時代  作者: 本条謙太郎
序:父の物語

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1/5

ボリス・イリイチ 前

 世界には魔力が存在する。


 この一文は二重の意味で平凡な、誰もが飽き飽きしている()()の確認に他ならない。


 というのも、私にとって魔力とそれを用いた技能——魔法は最もポピュラーな、手垢の付いた「空想」の一つであるから。

 東京都心の繁華街を数分も歩けば至る所にそれは在る。例えば本屋の店先、映画館のスクリーン、駅の壁広告に。もしくは手元のスマートフォン画面に。人々は魔法に慣れ親しんでいる。小説や漫画、アニメ、ゲームの中において。

 高校の教師だった私はそのあたりの事情には比較的詳しかった。生徒と話をすれば毎回必ず、その何かしらが話題に上ったのだから。


 面白いことに、当時の私がアニメやゲームの中にしか見いださなかった異世界、つまり、今の私が生きる()()()()()においてもそれは「空想」である。ただし「常識」でもある。

 我々人間は一人残らず、皆が一定の魔力を持つ。その力の強弱が社会における立場——身分を定める。この考え方はレムリア正教会の根本教義として、私たちノーレムリア人の精神に深く根付いている。

 もちろん誰もが理解している。私たちの体内に宿るこの形而上けいじじょうの力——つまり物理法則においては説明できない何か——は全く以て形而上のものに過ぎないことを。

 少し砕けた言葉で表現するならば、それは「神聖な建前」である。

 だが、日本であれノーレムリアであれ、およそ全ての社会において建前は重要なものだ。社会に出てある程度過ごせば自然と理解できる。社会とはつまり「建前」の石で構成された巨大な城である。



 私はこの世界、この国において、ある種の特権的地位を持った人間として生きている。

 ノーレムリア帝国がまだ国家と呼べるほどの体制を持たなかった遙か昔、東と南から絶えず迫る馬に乗った()()()()()()(彼らは我らよりも遙かに進んだ技術を誇り、かつ強かったが、我らはその事実をどうしても認めたくなかったのだ)に怯え、暗く湿った森の奥深く、息を殺して生きた人々の中に、私の先祖もいたらしい。つまり、その子孫である私は純血ノーレムリア人である。そういうことになっている。


 実際のところ、我がブラーギフ家の系図が遡りうる過去の上限は十六期。

 中央大陸極西の大国サンテネリから何らかの事情で東に流れ、由緒正しい——本物の、正統な名乗りとしての「帝国」領域に仮寓し、さらに富を、あるいは名誉を目指して東の果てに流れ着いた一人の男を起源とする。


 十六期というのは我らノーレムリア人にとって偉大な時代である。

 時の皇帝ニコルス一世は狂熱に駆られた統治者だった。我が国の歴史において、そういう類いの君主は珍しくない。直截な物言いを許してもらえるなら、我らが代々戴いてきた皇帝の半数ほどは、どこかしらおかしい人々だったのだから。

 ただし彼——ニコルス大帝と呼び習わされる——は、おかしいことこの上なく、加えて優秀だった。不屈の意志をも合わせ持っていた。

 国名こそ古代の伝説的大帝国レムル・アンピールにちなんだ大仰なもの——ノーレムリア(新たなるレムリア)——を名乗りながら、実体は大陸極東の蛮地に過ぎなかった我が国を、西の先進的な諸国家と互する文明国へと生まれ変わらせんとする情熱と意志である。

 史上初といってよい大改革が必然的に誘引する混乱の只中、我が先祖はこの国にうまく潜り込んだ。実際そう難しくもなかったことだろう。

 生まれ故郷サンテネリでは一山いくらの平凡な人間も、文字の読み書きが高等技能と目される程度のレベルにあったここノーレムリアにおいては一端の知識人だ。当時最先端の精密機械である()()()()を扱う商人として、彼は帝室の末端に知遇を得た。そしていつしか帝国の中枢たる官房(日本で言うところの諸官庁と考えて差し支えない)に出入りするようになり、最終的には何人かいる長官(官房の主たち、と呼び習わされる)の一人にまで成り上がった。

 異国の人間が国家経営の中枢に席を占める事例は現代日本の常識からすると少々奇異に思われるが、中央大陸のみならず、私が生きたもう一つの世界たる地球においてさえ、歴史上そう珍しいことでもない。


〝異国〟


 この語が指し示す概念はそれなりに長い変遷の歴史を持っている。

 当時の中央大陸にはそもそも現代的(地球においても中央大陸においても)な意味での「国」など存在しなかった。あるのは帝室と貴族達の「領地」である。

 他の貴族の土地から優秀な人間がやってきて、その者が自家に仕えたいと望んだとき、君主が心配すべきはその個人の忠誠であって国籍などではないのだ。そんなわけで、我がブラーギフ家は無事、ノーレムリア帝国の大地に根を張ることとなった。

 


 ◆



 我が家の本当の興りから実に三期、約三百年の時を経て、私、ボリス・イリイチ・ブラーギフはブラーギフ伯爵家の長子として生を受けた。長じては首都ニコビルグにある官僚養成の最高機関、恩賜大学に学び、帝国の中央官房に職を得た。


 面白いことに、有史以来万事後追いのこの国が唯一、西方諸国に先んじた制度がこの貴族の国家勤務義務制だろう。我が国の貴族はその由緒、富、領土の多寡にかかわらず、全員が文武いずれかの分野において国家への直接的奉仕を義務づけられている。つまり就職である。文官であれば中央官房か地方の総督府勤務、武官は軍の士官となる。例外はない。

 ()()()としての私はこの制度を好ましく思う。ノーレムリアが中央大陸において確たる存在感を発揮できるのは、かくも徹底した専制国家であるがゆえ。〝世界の中心〟サンテネリや〝世の全ての海の主〟アングラン、〝唯一の正統な国家〟「帝国」の貴族達がある種の「豪族」的マインド——独立独歩の精神を、第十九期も半ばを過ぎた今に至るまで手放さぬ一方で、我が国の同輩はといえば徹頭徹尾、()()()である。我らは皇帝陛下の手足である。適度な休息を要するとはいえ、頭に従い動くことを本性としている。手足は不平を言わない。


 一方で、()()()としての私はその様をまことに興味深く見守っている。この国、ノーレムリアはあらゆる部分で、どこかしら地球の()()()を想起させるからだ。私は当時、()()()についても教えていた。生徒たちに。


 かつての職場を思い出す。

 ひび割れたコンクリートもそのままに放置された古い校舎。知性の萌芽はあれど幼い心根もまた持ち続ける生徒達。都内にある歴史だけは長い中高一貫校に私は勤務した。高等部の世界史教師として。


 歴史ある地方中小企業オーナーの息子として生まれた私は、青年時代を比較的幸せに生きた。異常といえば、両親がいつも家に居たものだから、勤め人の親を持つ学校の友人達と話が合わなかった程度のこと。

 父は浮世離れした——言葉を飾らずに述べるならば()()()()——男で、いつもどこか上の空だった気がする。働きに出ることもなく昼間からワインを飲んで、小難しい本を読んで、子ども(つまり私のことだ)の相手をして、眠る。社会(しかも二つの!)の荒波に十分もまれ皺くちゃになってしまった現在の私からはそう見える。浮世離れ、と。だが当時の私にはよく分からなかった。世間の親、世の大人というのはこういうものだと思い込んでいた。

 父に比べれば、母はまだ幾分か常識人であった。実年齢よりも老けて見えた父に比して、記憶の中の彼女は随分と若々しい。母は私に溢れんばかりの愛情を注いだ。私にとって真に幸運であったのは(皮肉ではなく!)、その柔らかい、暖かい、根源的な思いが変な方向に向かわなかったことだろう。彼女は私に英語の早期教育も与えなかったし、インターナショナルスクールも勧めなかった。水泳もピアノもサッカーも。つまり私は自由だった。学校の時間割を終えるとまた別の時間割が待っているような生活と私は真に無縁だった。彼女は健康を気遣う以外、自身の子をほとんど放し飼いにすることを選んだ。


 大学を出て教職に就いたあたりで一つ気づいたことがある。子どもの教育とはつまり、親の精神世界そのものだ。人は自分に足りないものを子で埋めようとする習性を持つ。もしもそれがなければ、私たちのしゅは今頃分厚い地層の下に、化石となって埋まっているだろう。

 これは根源的なものだ。もう少し分かりやすく書くとすれば、子への教育は親が持ち続けたある種のコンプレックスに端を発することが多い。そう考えてみると、私の両親の()()()()が際立つ。

 彼らは私に何も望まなかった。ネグレクトではない。両親ともに暇を持て余していたものだから、随分と構われた思い出がある。成長過程のイベントは大体家族でこなした。だが、根本的なところでは、彼らは()()()()()()()()()()()()のだろう。ネガティブな意味ではない。それはつまり、彼らが唯一の子どもである私に彼ら自身の願望を投影しなかったことの証左である。

 ただし一つだけ、父が私に望んだことがある。普段そういうたぐいのことを全く言わない、全く興味を示さない(実際、私がどこの高校に行くか、両親は一切気にしなかった。さすがに大学はそうもいくまいと思ったが、結局何も言われなかった)父が、唯一私の将来について示唆的なコメントを述べた。大学生になる直前のことだった。


「ああ、どう言えばいいだろう。案外難しいな。……でも一つだけ、私の願いを聞いてほしい。何もその通りにしなくてもいい。聞き流してくれてもいい。だけど覚えておいてくれ」


 そんな回りくどい前置きの後、父は私の目を見て言った。言葉をねじ込むように。


「勤め人になるといい。決して潰れないところに」


 家業を継いでほしいと請われることを想像していた自分にとって、かなり意外な言葉であった。高校生にもなれば自分の家庭の状況など大方は把握できる。我が家は父が言う「勤め人」の家ではなかった。何代も続いた会社の創業家である。継がなくてよいのかと無邪気に尋ねた私に父は言った。


「そうならないことを願うよ」と。


 結局私は父の言に従い職を選んだ。国家のお墨付き——免許があって、比較的求人があって、おそらくは潰れづらい組織に所属できる業種を。


 私は教職に進んだ。

 この選択は私に色々なものをもたらした。よいことも悪いことも。これら全てを包含して、日本に生きる私たちはそれを「運命」と呼んでいる。


 一方、ノーレムリアではそれを「物語」と呼称する。


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