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第24話:毒の聖域、心中の誓い

 リアネの指先から溢れ出した黒い霧が、シーツをどろりと溶かし、ベッドの鉄枠を赤黒く腐食させていく。

地下室で、触れるものすべてを壊死させたあの悍ましい「真実」が、今、再び彼女の制御を離れて暴走していた。


「……っ、離れて! コウタ、離れなさいよ! あんたまで……あんたまで腐って、死んじゃうわよ……っ!」


リアネは悲鳴を上げ、自分に跨るコウタを突き放そうとした。

だが、彼女の意思とは裏腹に、その指先から漏れ出る黒い霧は、まるで飢えた蛇のようにコウタの腕に、首筋に、執拗に絡みついていく。

「離したくない」という彼女の魂の深淵が、魔力となって彼を捕食しようと蠢いていた。

しかし、コウタはその呪縛を振り払おうともせず、逆にその黒い霧を愛おしそうに受け入れた。


「……殺す? いいですよ。むしろ、本望だ」


コウタがその手に触れた瞬間、不思議なことが起きた。

触れられた場所から、ドス黒い腐食の霧が、音を立てて透き通るような白金色の光へと転じていく。

巨木を塵に変えたあの破壊の力。

それが今、リアネという猛毒を飲み込み、彼自身の肉体を癒やす「過剰なまでの生命力」へと変換されていた。


「……っ、ああ、……あ……っ!」


リアネは、自分の魔力が彼を壊すのではなく、彼という器に吸い込まれ、純化されていく感覚に身を震わせた。

拒絶しようとすればするほど、彼女の魔力は「唯一の適合者」であるコウタを求めて、網のように彼の全身を縛り上げ、逃がさないよう強く引き寄せる。


「リネア様。口ではそう言うけど、僕のこと放さないじゃないか……」


 リアネの口から魔力が吹き出てコウタの喉に突き刺さりコウタを引き寄せる。

二人の唇が重なった、その瞬間。

吹き荒れていた黒い霧が、弾けるように一気に晴れ渡った。

淀んでいた空気が浄化され、二人の境界線には、鮮烈な光が満ち溢れる。

毒を啜り、光を吐き出す。


「……あ、……コウタ、……っ」


リアネは、自分を縛り上げる魔力の鎖の末端が、自分の心臓に繋がっていることを悟った。

彼女が彼を捕食しているのではない。

彼というあまりに深い「受容」の中に、彼女自身が二度と出られないよう、自ら閉じ込められにいっていたのだ。



盲目の繭、搾取の庭

 第四基地の最深部、二人のために誂えられた隔離室には、不自然なほどの静寂が満ちていた。

かつては血の匂いと砂塵に塗れていたはずのこの場所が、今では王都の貴賓室さえ凌ぐほどの、歪な清潔さを保っている。


「……不思議ね。あんなに騒がしかったモンスターの鳴き声が、最近は全く聞こえないわ」


リアネは、純白のシーツの上で、コウタの膝に頭を預けながら呟いた。

彼女の指先には、最前線では奇跡に近い「冷えた果実」が握られている。


「僕が、貴女の耳に届くすべての不快な音を、遠ざけたからですよ」


コウタは慈しむように、リアネの柔らかな髪を指で梳いた。

彼は、自分の魔力と執念がこの場所を聖域へと変えたのだと、本気で信じ込んでいる。

だが。

二人が見つめ合うその背後、壁のレリーフに嵌め込まれた一見無害な魔石が、不気味に赤く点滅していることには気づかない。

……場面は変わり、基地の隅にある薄暗い通信室。

そこでは数人の兵士たちが、モニターを囲んで下卑た笑い声を上げていた。


「ハッ、いいぞ! 今の『不思議ね』って台詞、前の絶望シーンと並べて配信しろ! スパチャが跳ねるぞ!」


モニターには、今まさに抱き合う二人の高画質な映像が映し出されている。

画面の横では、視聴者たちが投じる「供物(投げ銭)」のログが、滝のように流れ落ちていた。


「軍の補給なんて待ってたら、俺たちは今頃モンスターの糞になってる。……アイツらがそこで『愛の逃避行』を演じてくれる限り、俺たちは一生、王様みたいな飯が食えるんだ」


兵士の一人が、リアネの恥辱と引き換えに手に入れた安い酒を煽る。

基地の裏門では、リアネが口にしていた「果実」と引き換えに、闇商人が一つの黒い箱を兵士に手渡していた。

それは、本国騎士団でも一部しか配備されていない「対魔獣迎撃システム」の制御盤だ。

突然、基地の外壁を揺らすような重低音が響いた。

群れをなして押し寄せたモンスターの咆哮だ。

リアネは怯えたように、コウタの胸に顔を埋める。


「……っ、コウタ。また、あいつらが……」



「大丈夫です。……貴女を傷つけるものは、僕が、一匹残らず消し去りますから」


コウタがその瞳に昏い光を宿した瞬間。

轟音と共に、外の世界で巨大な閃光が走った。

それはコウタの魔法ではない。

二人の「情愛」を観賞料として支払った兵士たちが、金で買い、金で維持している自動砲座が、無機質にモンスターを肉塊へと変えた音だ。

だが、リアネはそれを知らない。

彼女は、静まり返った外の気配を感じ、うっとりとコウタを見上げた。


「……本当に、魔法みたいね。あんたの隣にいるだけで、世界が私を拒絶するのをやめていくわ」



「ええ。……この箱庭の中だけが、僕たちの真実です」


二人は、自分たちの愛が奇跡を起こしていると信じ、より深く、より密接に抱き合う。

その抱擁が、また一つ、兵士たちの命を繋ぐための「通貨」として、全世界へと配信されていることも知らずに。

二人の純粋な絶望と愛は、今日もこの地獄のような要塞を、黄金の輝きで塗り固めていく。


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