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路地裏の湿ったコンクリートに、コウタの顔が押し付けられていた。

不良たちの濁った笑い声と、腹部を蹴り上げる鈍い音が響く。


「おい、もっと声出せよ根性なし。努力で魔法が使えるようになるんだろ?」


嘲笑と共に、一人の不良が魔法で火の玉を作り出した。

コウタの視界が絶望で真っ暗に染まりかけた、その時。

路地裏の入り口から、目が眩むほどの清浄な白光が溢れ出した。


「そこまでになさい。汚らわしい手で、私のコウタに触れないで」


凛とした声が響く。

リアネだった。

彼女が軽く指を振るだけで、不良たちの足元から聖なる鎖が飛び出し、彼らを一瞬で壁まで吹き飛ばした。

圧倒的な力の差。

不良たちは悲鳴を上げながら、一目散に逃げ出していく。

リアネはゆっくりと歩み寄り、泥まみれのコウタをその胸に抱き寄せた。


「……ごめんね、コウタ。来るのが遅くなっちゃって」


彼女の手のひらが、コウタの傷口にそっと触れる。

温かな回復魔法の光が、ズタズタになった筋肉と皮膚を繋ぎ合わせていく。

痛みは消え、代わりにえも言われぬ幸福感がコウタを包み込んだ。

コウタは涙を流しながら、自分を抱きしめる幼馴染の温もりに震えた。


「リアネ……ありがとう……。やっぱり、俺には君しかいない……」


コウタは知らない。

リアネが抱擁の隙間から、背後の壁に設置した隠しカメラへ向かって、完璧な「悲劇のヒロイン」の微笑みを向けていることを。

d-tubeの画面上には、爆発的な勢いでギフト(投げ銭)の演出が踊っていた。

『聖女様マジ天使』『無能を助ける慈悲の心に涙した』

コメント欄が称賛で埋め尽くされる。

リアネはコウタの耳元で、さらに甘く、さらに残酷に囁いた。


「大丈夫。あなたは私が守ってあげる。……でも、次は負けないように、もっと『特別』な修行をしなきゃね?」


コウタはその言葉に、これ以上ない希望を感じて力強く頷いた。

その瞬間、彼は自分から進んで、彼女の用意した地獄の檻へと足を踏み入れた。



リアネの家の一室で、コウタは真っ白な清潔なベッドに横たわっていた。

回復魔法で傷は癒えても、心に刻まれた「無能」の言葉は消えない。

コウタは震える拳を見つめ、絶望に顔を歪めた。


「……やっぱり俺じゃダメだ。努力したって、あいつらには勝てない……」


その時、着替えて戻ってきたリアネが、そっとコウタの頭を抱きしめた。

彼女の体からは、清らかな花の香りがする。


「そんなことないよ。コウタは誰よりも努力家だもん。……ただ、これまでのやり方が『普通すぎた』だけ」


リアネはベッドの脇に座り、コウタの瞳をじっと覗き込んだ。

その瞳は、暗い部屋の中で吸い込まれそうなほど美しく輝いている。


「普通の努力でダメなら、誰もが『無駄だ』と笑うことを、死ぬ気でやってみて? 神様はね、そういう極限の魂にしか微笑まないの」


彼女は嘘をついている。

だが、極限まで弱ったコウタにとって、その言葉は天から垂らされた唯一の糸だった。


「……誰もが、無駄だと笑うこと?」



「そう。例えば……あの時計塔の鐘を、素手で叩き続けるとか。みんなは馬鹿にするでしょうね。でも、もし一万回、十万回と積み重ねられたら……それはもう、魔法を超えた『奇跡』になるわ」


リアネはコウタの手を取り、自分の頬に当てさせた。


「信じて。私は、あなたの奇跡が見たいの。……私を、信じてくれる?」


その献身的な眼差しに、コウタの胸は熱い衝動で満たされた。

彼女が見たいと言ってくれた。

自分を信じてくれる唯一の人が、道を示してくれた。


「信じる。……信じるよ、リアネ! 俺、やるよ。その鐘が壊れるか、俺の拳が砕けるまで!」


コウタの叫びに、リアネは慈愛に満ちた笑みを浮かべる。

だが、その視線の先にある鏡には、スマホを操作し『絶望からの再起(笑)』というタイトルで配信予約を入れる彼女の指先が映っていた。

コウタは歓喜に震えながら、自ら進んで、一生を賭けた「無駄」の深淵へ飛び込んだのだ。



 時計塔の広場に、鈍く重い音が響き渡る。

肉が鉄に衝突する、湿った不快な音だ。

コウタは、垂直にそびえ立つ時計塔の鐘の前に立っていた。

リアネに言われた通り、魔力も使わず、ただの素手で拳を叩きつけている。

一回、二回。

十回を超える頃には、拳の皮が裂け、鉄の表面に赤い跡がつき始めた。


「……九百九十七……九百九十八……」


うわ言のように数字を刻むコウタの背後で、街の人々が冷ややかな視線を浴びせる。


「おい、またあの無能がやってるぞ」


「うるさいんだよ! 毎日毎日、鐘を叩く音が響いて迷惑なんだ!」


一人の男が、食べかけの果物をコウタの頭に投げつけた。

ぐしゃりと果肉が弾け、コウタの髪を汚す。

だが、コウタは瞬き一つせず、ただ鐘だけを見つめていた。

さらに、街の衛兵たちがやってきて、コウタの肩を乱暴に掴んで引き剥がそうとする。


「営業妨害だ。さっさと失せろ、この異常者!」


地面に突き飛ばされ、泥に塗れても、コウタの指は鐘を目指して空を掻く。

彼は信じているのだ。

この「無駄」の先に、リアネが約束した救いがあると。

遠くのカフェのテラス席。

リアネは優雅に紅茶を飲みながら、望遠レンズのついた端末でその光景を中継していた。

d-tubeの画面には、罵声を浴びながらも拳を振るい続けるコウタの姿が映し出されている。


「ふふっ……いいよ、コウタ。その惨めな姿、最高に『映えて』る」


コメント欄には、コウタへの罵倒と、彼を不憫に思うリアネへの称賛が滝のように流れていく。

『迷惑系配信者の幼馴染とか、聖女様苦労しすぎだろ』

『あいつ、ガチで頭おかしいんじゃねえの?』

リアネは画面に向かって、悲しげな溜息をついて見せた。


「みんな、彼を責めないであげて……。彼は、ただ一生懸命なだけなの。……でも、確かに少し、音がうるさいわね」


彼女は魔法で、コウタの拳にかかる衝撃と音を「増幅」させた。

周囲の怒りをさらに煽り、コウタがより過酷な妨害を受けるように。

憎悪が集まれば集まるほど、動画の再生数は跳ね上がっていく。


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