5話 乞う時空者
―救われない
自室で寝転ぶスィエルは顔をうつぶせて、ため息を溢す。自室と言っても睡眠と食事の為だけに用意された独房のようなものだ。でも、ごつごつとした冷たい床よりも、まだ寒さを凌げるベッドがいい。
「…もうすぐか」
スィエルは重たい体を起こして、部屋を出る。行き先は地下の実験室。あまりここには来たくない。目的も知らぬまま、繰り返される子供の人体実験。少しでも逃げる素振りを見せれば、看守に暴行され、酷い時にはそのまま息絶える。でも、子供はヴェリテの管轄だ。俺っちは子供を量産するための施設に行く。
スィエルはその施設に着くなり、また、ため息をつく。中から聞こえる呻き声と、涙をすする声。憂鬱な顔。でも、それを隠してスィエルは足を踏み入れる。
「今日の分は?」
「そこの女どもだ」
看守は指を差して、教える。そこには鎖でつながれた女が十人程度いる。新たに確保された人間の女なのか、罵倒の声が上がる。しかし、その横にいる女は長らく、この施設にいるのか、スィエルを見るなり怯えた。スィエルは近づき、その女の顔を手で覆う。女はやめてくださいと連呼し、涙を流す。スィエルはそれを無視して、時空魔法を展開し、女の肉体の時を進めた。凹んでいたお腹が膨らむ。
「…」
女は魔法を受けて、気絶する。先程まで罵詈雑言を吐いていた新参者の女は口をパクパクとさせ、恐怖する。スィエルは抵抗しようともできない女を見下ろして、また手で覆う。
「ごめんな」
スィエルは看守に聞こえないように呟いて、魔法を使った。施設に入って一分足らずで業務を全て終わらせた。女たちは看守に連れていかれる。スィエルが立ち去ろうとすると、隣の部屋に別の女が連行されていた。
(ああ、殺処分か…)
この施設は人間奴隷を量産する場所だ。人間を確保し、健康な女だけを選別し、孕ませる。以前は、子ができるまでに時間を有していたが、時間を操れる俺っちが来たことで生産性が上がった。でも、それは国の利益を求める大人だけの都合で、人間には重い負担になる。何度も子を産むと精神が崩壊する女も少なくない。出産は命懸けだから、それを短期間で行うなんて、心がある生物にはあるまじき所業。でも、俺っちは反抗できない。逆らえば痛い思いをするから。
ここだけじゃない。城内の召使の扱いを受ける奴隷も、上官の機嫌を損ねれば、処分される。折檻が多いけど、その過程で死んでいく。毎日のように、そして当たり前のように奪われていく人間の心臓。替えがあると連中は思っているけど、その替えを生むために、精神をすり減らしている人間もいる。
(殺処分はラジュネスの仕事だよね…ラジュネス、大丈夫かな)
ラジュネスは神人デスティネの一番のお気に入り。俺っちとヴェリテよりも長く仕えてて、戦闘経験も多い。デスティネとの関係を指摘される時もある。まあ、そうでしょ。じゃなきゃ、ヴォク・ラテクの最高司令官とか、総帥の地位に人間が立つことはできない。周りからの視線とか、悪意を一身に浴びている。汚れ役・嫌われ役も全部ラジュネスの役目だ。
軍部の管理、戦の采配、奴隷の管理、最高戦力の健康状態維持、神人の世話、そして殺処分。俺っちも知らない仕事をしてるけど、かなり残酷だ。他の奴隷が粗相をすれば、ラジュネスがフォローしなきゃいけないし、戦争に負けないようにするのも、デスティネの無茶ぶりに応えるのも、全部がラジュネスだ。
(俺っちは自分が生き残ることに必死なのに、ラジュネスは子供を生かすために必死なんだ。本当に助からないといけないのはラジュネスだ)
「はぁ~」
スィエルは自室の扉を閉め、もたれかかる。アバンチュールでの任務を終え、五日が経った。恐ろしいほどに平和。殴られることも、殴られる同胞も見ていない。嵐の前の静けさ。
(攫った神人の拷問で、デスティネの機嫌はいいんだろうけど。どうするんだろ、あの神人。かなり長いよねぇ…)
スィエルは、アバンチュールに侵入した記憶を遡る。時間稼ぎで行っただけなのに、あんなに感情を剝き出しにするとは思わなかった。子供のような見た目をした竜人が頭をよぎる。自分よりも遥かに生きている。拳を交えて、熟練の猛者だって分かった。
『あんたたちを脅かすものは全部壊して守るから、アバンチュールに来ないかい?』
『お前達が納得できないかもしれないが、必ず助ける』
大人の言葉。ずきりと脳裏を突く。
(あの時、手を握っていれば助かったのかな?)
スィエルは手を仰ぐ。手を見た瞬間に蘇る記憶。無造作に破壊する手。敵を殺した手。女を殺す魔法を使った手。どの手の時も、誰かに罵倒されて、怨嗟を聞いた。なのに、血もついてなくて、細かい傷もない綺麗な手。その綺麗さが余計に心を縛る。
(俺っちの手は汚れてなくちゃいけない。それくらい悪いことしたんだ。あの手を取らなくてよかった。綺麗ごとを言うのは善意があるから。信じられなくても、善意が残っている手を汚したくない。俺っちには残ってないもの)
スィエルは蹲り、声にならない涙を流す。
あの手を拒み、蔑みの声を溢したから、もう誰も救ってくれない。救われても、待っているのは利用されるだけの人生。だから、助かろうなんて思わない。唯一の望みは、ヴェリテとラジュネスが生き延びてくれることだけ。
(でも、あの大人たちの浅い夢の為に、二人が苦しむなんて嫌だ。平和の実験体になるなんて、俺っちは反対だ。何も無いなら、全部ぶっ壊してやる)
スィエルは手を強く握り、目を閉じた。呻く。悲しい声で囁く。
「救われない」
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『あ゛~~』
牢獄でアンフィニは声を出す。蝋燭一つなく、暗黒の空間。自分以外誰もいない。鼻を突く血の匂いと汗。汗ばんだ肌に、髪が絡んで鬱陶しい。どれくらいの時間が経ったのか知る由もないが、長い時間デスティネの拷問を受けていたのは確かだ。声がかれるまでに呻いて、体が軋むまで嬲られた。
『ばかすか殴りやがって。絶対殴ってやる、あの愚兄!!』
覚悟を決めると、足音が聞こえた。ここに近づこうとするのは、アンフィニが知る限り、ただひとり。蝋燭を持った少女が鉄格子の鍵を開ける。
「随分やられましたね」
ラジュネスだ。
『ほんとにね。よく君たち耐えられるね』
アンフィニの発言に訝しげな反応をする。ラジュネスは蝋燭を床に置いて、腰に携えていた剣を取り出す。
ガキッ!!
鈍く響く音。ラジュネスが、アンフィニに課せられた鎖を破壊したのだ。
『!?』
想定外の行動に、アンフィニは驚く。ラジュネスは持っていた瓶のふたを開けて、強引に飲ませた。すると、アンフィニの体の傷は癒えた。擦過傷が残っているくらいだが、規格外の治療薬だ。ラジュネスは跪いて、提案する。
「貴殿の提案、有効でしょうか?」