42話 生命の鉄則
「あ~~~~!! めっちゃ緊張したぁ!!」
アバンチュールに戻ったスィエルは大きく深呼吸して、任務達成を子供らしく喜んでいる。大柄な体をバタバタと動かして、椅子に座った。
「神人って超強いんだね。まっ、元々知ってたんだけどさあ。海を司る神人ってどんな攻撃するんだろ?」
少年のように無垢な疑問を投げかけた。ここは暖かいのに、いつも返事を返してくれる声が聞こえない。忘却に響くスィエルの声。
「ラジュネスがさ、危なかったって。あとちょっと遅れてたら、治せないって言われたよ。ちゃんと帰ってくるって約束したじゃん。ラジュネスが助けに行かなかったら、どうするつもりだったの?」
スィエルが寝台にやっと目を向けた。そこには全身を包帯で巻いているエクラが寝そべっていた。寝息よりかは、痛みを堪える辛抱の吐息だ。気絶に近いようなエクラを見て、スィエルは胸が張り裂けそうな気持ちでいっぱいだった。
「ヴォク・ラテクだったらさ、同族が傷ついても何とも思ってなかったんだ。でも、なんでだろ。パパが苦しんでいるとね、肺が溺れてるみたい…息苦しいんだっ…死なないでよ…いつもみたいに、笑って…パパ」
スィエルはエクラの手を握って、傍らで泣き始めた。咆哮亡き涙は無常に注ぎ落ち、すすり泣く声は個室の外に僅かに届いていた。扉にもたれかかって、スィエルの泣き声を聞き呆けるラジュネスは憂いを浮かべている。
こつ、ん…
個室に近づく足音にラジュネスは顔を向けた。プラチナの髪を束ねるアルカンシエル公爵だった。公爵はラジュネスがいることに、驚きのまま口を開けている。
「お見えになると思っていた」
「妃殿下」
「話し合いには不向き。いい場所がある」
ラジュネスは半ば強引に、アルカンシエル公爵を付き添わせる。向かう途中で、公爵が尋ねた。
「条約は…」
「無事締結できた。グロワール様とロクザンの仲介の下、この大戦の幕は下りた。共同軍とアバンチュールの戦士は、殆どが壊滅的だ。セゾニエの空軍は解散状態なのが決め手だった。でも、あちらはアバンチュールの軍事力を減らすことが目的だったみたいだな」
「不甲斐ない結果に終わって、申し訳ない」
「いや、貴殿らが奮闘してくれたおかげでヴォク・ラテクの民も安全だった。だがまあ、これからの戦いに備えなくてはならない」
「妃殿下が出陣なさるのか!?」
文脈を読んで、アルカンシエル公爵が思わず尋ねてしまった。
「無礼を承知で進言するが、次に起こる戦いは国じゃない。賢者一派の揉め事だ!」
「ああ、それが?」
「神帝教の目的をエテルネル卿に教えてもらったが、妃殿下は彼らに狙われている立場。わざわざ、危険な戦場に赴く必要はない!」
ラジュネスは進めていた足を止めて、顔だけを振り向かす。彼女の顔は悲しみに満ち溢れていた。悲壮感に触れたアルカンシエル公爵は言葉を失った。
「貴殿らが城を離れている間、侵入者がいた。ペナンシェル令嬢だ。彼女は人気の少ない夜に現れ、スィエルを暗殺しようとしていた」
「!」
「勿論、殺した。令嬢はヴェリテとレーヴを拉致した罪状もあったことだしな。だが、最後、令嬢は本当は私を連れ去るつもりだと告白してきた。スィエルはついでだと、吐いた。私が事に大きく関わっているのは分かっていたが、周りで被害が起き始めている。発端が私でなくても、大切なヒトを守らなきゃいけない。だから、私は剣を振ることを選んだ。
相手が賢者でも、空白の大英雄でも、世界でも、その先にあるのが崩壊であっても…貴殿らが勝ち取った勝利を繋がなくては…」
執務室に到着した二人は、入室する。昼と夜の寒暖差で動きが鈍る。一本の蝋燭と月明かりだけを頼りに、部屋を散策する。
「公爵、お掛けになって。散らかっていますが」
ラジュネスが促すと、執務室の中央に設置されたソファに腰を下ろした。事務机に目を向けると、月明かりを遮る程に高く詰まれた書類があり、床に散乱している。唯一整っているのは、中央のテーブルだけだった。ラジュネスは背を向けて、お茶の用意をしている。
「エテルネル卿の代わりか?」
「いや、全般かな。特例の宰相は戦場に駆り出されたか、外交の災禍に巻き込まれて軟禁されていたらしいからな。ヴォク・ラテクの決算報告諸々、回された」
「負傷者も…」
「多かったな。全部助けることは私もできん」
「その、奴らの容態は…」
「条約締結の前払いみたいなもので、ヴォヤージュが返還された。でも、あれは駄目だ。精神的に参ってる。アバンチュール随一の魔法の使い手でも、足手まといになる。明日、返還されるアンフィニ様の護衛につくしかない。レーヴは出てくれなきゃ、分が悪い。固有魔法さえ会得していれば、レーヴは間違いなく魔法のスペシャリストだ。でなくても、他の魔法使いでは実現できない多種多様な魔法を使える」
「普通は、固有魔法一つだけだからな」
「エクラも、ネルも…今は安静にすべきだ。エムロード公爵に謀られたよ。最高憲法のことは知っていたが、奥深くまでは見ていなかった。長寿の特権だな。私が駆り出されるとは思っていなかったが、それでも経緯は納得している」
トレイに乗せ、茶器をテーブルに置いた。慣れた手つきで紅茶を注ぐ。ずっと神経を張り詰めていた脳に、柑橘系の甘酸っぱい匂いが香って、ストレスを解消する。
「軽く嚥下するだけでいい。即効性のある薬草を入れている。少しは公爵の苦悩も和らぐはずだ」
ラジュネスの解説を聞いて、公爵は遠慮しながらも、鼻の奥に残る甘酸っぱい匂いにつられて、紅茶を口に運ぶ。口の中で広がる濃厚な甘さ。澄んだ後味に、自然とアルカンシエル公爵の頬が綻ぶ。紅茶を堪能している公爵の反応を見て、ラジュネスが口を開く。
「親子とは似ているんだな」
「なんのことやら…」
「とぼけなくていい。スィエルのことはそれなりに知っている。ヴォク・ラテクにいた時も、こうして茶を振る舞った。その時の反応が今の侯爵とそっくりだ。今みたいに、とても穏やかに過ごしていたよ」
「息子が…」
ラジュネスが核心を突く事実を述べる。
「スィエルは公爵の息子だな。生みの親はウラガン・シャルール・ヴァン侯爵当代だな」
公爵は膝の上で、拳を握り締めた。その意図に何があるのか分からない。
「望みであれば、スィエルを貴殿の息子として明け渡そうか?」
「それは!」
「無論、条件付きだ。明日以降に勃発する戦争に参加してほしい。こちらは満足のいく兵力を満たしていない。命を賭けるのだ。貴殿がずっと望んでいたスィエルを明け渡す対価には見合っているはずだ。
スィエルを捨てたことは、貴殿の本意ではない」
最後の発言に驚いて、公爵はソファから立ち上がり、見下ろした。動揺が隠しきれていない。
「どこでそれを知った?」
公爵の脅しのような質問に、ラジュネスは目を逸らす。
「私は隠し事が多いと、よく言われる。ゆえに、答えられん」
彼女の回答に、すとんと座る公爵は感情の乱れを抑えるために、視界に映った紅茶を飲み干した。何秒かの沈黙で落ち着きを取り戻した公爵は、ラジュネスに向き直る。
「妃殿下、願ってもないですが断らせていただく」
「そうか」
「…捨てたことが本意ではないのは事実だが、捨ててしまった責任は親として償わなければならない。私も、ウラガンも…
スィエルには、心の底から慕える親がいるようだ。今更、私の出る幕ではない」
「親であることを隠すつもりか?」
「子の笑顔を守るのが、親の務め。私は無条件で戦場に立たせて頂く!」
アルカンシエル公爵は戦争参加の意思を表明し、強い眼差しをラジュネスに向けた。
「…こんな提案をしなくても、貴殿は元から戦場に立つ気だったのか。呼び止めて、悪かった」
「いや、妃殿下に後押しされた理由もある。馳走になった。妃殿下もよく休まれよ」
紅茶の礼を言って、アルカンシエル公爵は部屋を去った。遠ざかっていく足音と存在感。薄れていった大人の気配に、ラジュネスはカップに残る亜麻色の茶を、新緑の瞳に映した。水面の波紋を打つ瞳は、何を思っているのか。
アルカンシエル公爵の無償で子供を守る決意を正面から浴びて、スィエルを羨む感情が生まれてしまった。それはエテルネルから向けられる愛なるものとは、異なる産物だ。
「親…とは、なんだろうな」
周りにいる大人は親ではない。代わりに近いが、やはり違う。恐らく、一生出会うことのない関係だ。
「謀られて最高司令官に復帰したとしても、責務は全うしなくちゃいけない。本当にくそったれな大人だな、皆…ゴホッゴホッ!!」
突然、咳き込んで持っていたティーカップを床に落とした。がしゃんと砕けた容器から液体が零れ、辺りを濡らす。一分以上続く咳に混じる血。一度咳き込むたびに、体の奥底から燃え盛るような火傷を感じる。内部から焼かれる痛々しい病に、ラジュネスは疲弊していた。はぁ、はぁ、と乱れている呼吸と、虚ろな瞳。饗宴以降、急に体調が悪化した。だが、その事実を打ち明けていない。
ラジュネスは、饗宴でカルム貴から手渡された小瓶を月夜に晒す。透明な瓶の中に入っている液体は月光を屈折させる。
「ネル、今度は私が守るから。どんなに汚くて、無茶をしたって…あなたが待ってくれたように、私も待ってるよ」




