33話 海は奪う
巨大な船の地下に押し込まれて、三日が経っている。その間の食事は用意されて、安全上ではまだ問題ない。船打つ波の振動がよく伝わってくる。おそらく、どこかの海路を通っている。
メル・オセオンは海に特出した地形であるため、多くの貴族は船を所有し、中央都市に行き来できるように開拓されている。
(令嬢は神人だと言っていた。子爵は爵位制度で一番弱いが、影響力や活動範囲はでかい。ソレイユ様の極秘の任務を仰せつかっていてもおかしくはない)
レーヴは毅然とした態度を保ち、冷静でい続ける。船に乗せられる前に、部下の魔法使いも拘束され、今は港町で軟禁状態だろう。伝達魔法を持つ魔法使いだけは別ルートで来る手筈を取っていたので、今の状況を確認し、アバンチュールに伝令を出すはずだ。
(念には念を、だな)
出発前の心配事に備えていてよかったと、レーヴは長年の経験から安心する。
(誰が助けに来ても、これは宣戦布告だ。どんな手段を取っても戦争になる。勝てるか負けるかじゃない。戦争は悲劇を生むだけだ)
あってはならない未来を想像して、レーヴは眉間に皺を寄せる。彼女の手を握られた。目を向けると、ヴェリテが桃色の瞳を向けていた。その顔は不安に押しつぶされていて、今にも崩れてしまいそうだ。
「どうしよ、ラジュネスと…約束したのに、危ないこと」
「大丈夫だ。オレがついてる」
震えるヴェリテを抱きしめる。
がごん!!
船が止まった振動。地下に忍び寄る足音に反応したレーヴは、ヴェリテを後ろに下がらせた。ぎぃと古びた音。地下の扉が開く。ペナンシェル令嬢かと思えば、迎えに来たのは、令嬢の父アムール・デテ・プロンジェ子爵だった。気さくな性格の子爵は、にこりと微笑んでいる。いつもと同じ。でも、その微笑みが不気味に感じる。
「娘の奇行に責任が取れるのか?」
レーヴの怒りを全身に浴びる子爵は変わらず飄飄とした態度で接する。
「責任持って戦争に発展させるつもりだよ」
子爵の発言が逆鱗に触れ、レーヴはいつの間にか子爵の胸倉を掴んでいた。激突する大人の冷たい感情。目に見えなくても、殺伐とした空気を生み出している。子爵の後ろにいる衛兵が槍をちらつかせる。
「ソレイユ様がお待ちだ」
子爵はヴェリテに視線を注ぐ。びくりと肩を震わせるヴェリテを見て、レーヴは手を離した。
子爵は翻って前を歩く。その後ろにレーヴとヴェリテが肩を並べて歩き、二人が逃げ出さないよう、衛兵が取り囲んでいる。石畳の薄暗い通路を歩く。ぽつぽつと置かれた蝋燭はわずかに靡いて、風の道を示す。不気味な雰囲気にレーヴは警戒心が高まっていく。ヴェリテを守れるよう、いつでも魔法を展開できる準備は整えているが、反抗的な態度を取った後になにが待ち構えているのかも分からない現状。部下の今を憂いている。
「足元、気をつけて」
子爵は階段を上がる。不揃いの一段一段は急な登りで、暗い足元では上りに細心の注意を払う必要がある。
(不整備…秘密の通路…嫌な予感しかしねえ。最悪、ヴェリテだけでも逃がせられれば)
レーヴは怯えるヴェリテに気を配り、脱出の機会を窺う。階段を上り切った先にある扉を開く。光が一瞬視界を覆いつくす。海の匂いが鼻を突く。吹き抜けの窓から、メル・オセオンの中央都市が一望できる。ランプが天井から吊るされた華美な装飾。硝子を多く起用している。床にはシックな色合いのカーペットが敷かれ、腰を下ろして寛げるようだ。見慣れない空間に戸惑うヴェリテをそっとレーヴが支える。衛兵は赤の荘厳な扉を開けて、外で待機する。子爵は部屋に残る。
「おい、目的を言え」
鬼の形相で構えるレーヴに子爵は鼻で笑う。
「ボクは駒の一つだ。ボクの口から言えることなんてたかが知れてるでしょ」
「娘を使ってアバンチュールの子供を誘拐した。これは法的拘束力を持つ。人間、特に魔法使いは保護対象だ。国家間の条約に違反する」
「それが狙いだって言ったら?」
「!」
子爵が首を傾けた。レーヴは条例を逆手に取られていることを知って、驚く。
「ヴォク・ラテクは年中戦争状態。他国と言っても、貴族同士の冷戦に過ぎない。貴族の要請で軍部所属の最高戦力が出たくらいで、国家としての損害はなかった。地方と辺境で起こった火種じゃ神人は出てこない。賢者もね」
「賢者、やっぱりお前らの目的はそれか!」
「法的拘束力を持つ国家条約は神人が中心で決まった。それに大きく違反すれば、各国の神人が宣戦布告をし戦争は幕を開ける。貴族の収集、貴族と神人直下の戦力を考慮し、作戦の指揮を執る。よく考えてくれよ。
もし、大将の神人が昏睡状態で表に出れなければ、誰が指揮を執る?
もし、神人の会合で毒が盛られ証言が出来なければ誰が責任を取る?
そして、もし、騒ぎを聞きつけた重鎮が偶然その惨状を見れば、どう思う?」
「神人暗殺は侵略行為に該当する…」
「神人を信仰する貴族は多い。もし、自国を守っていた神人が危機に陥ったとすれば、指揮は自ずと神人直下の貴族に移り、早急に戦争を開始できる。そして賢者は神人二名以上の要請がない限り、公平を誓う立場上、戦争終結に介入はできない」
子爵は戦争に関わる世界の上層部の動きと、それを取り巻く貴族の思想を明るみにした。それが何を意味するのか、レーヴは理解した。
(アンフィニ様と、ジュレ様、ソレイユ様が会合の予定だ。神人が私的に三柱揃うことは滅多にない。罠だ!)
レーヴは急いで魔法を展開する。魔力が原動力の通信魔法を模索していると、子爵が固有魔法を展開した。ヴェリテと引き離して、鎖を出現させる。意のままに操って、レーヴの体に巻いた。巨大な釘で壁に打ち、拘束する。怪力のレーヴは全身に力を入れて、鎖を壊そうとする。彼女が動く度、がちゃがちゃと金属が縺れあう。
「止めた方がいいよ。ボクの事象魔法フェ・ドゥ・トン・ミュー《最善を尽くそう》は、ボクが命じた事象を強制的に具現化する魔法だから。対象者との格差が少ない限り、絶対性は高まるかな。まあ、神人には不意打ちでしか通用しないけど」
あはは、と大笑いする子爵を怒りの眼差しで威嚇する。
「目的は戦争の引き金を担うこと。神帝教は大陸を混沌に鎮める。次の統治者の擁立こそがボクらの役目。まっ、ファタール様しか認めないけどね。そのために、リュイヌが信頼するアバンチュールの戦士が邪魔なんだよね」
子爵はこつこつと靴音を立てる。威圧感が近づいて、跪いたレーヴの目線が合うようにしゃがみこんだ。
「君たちが子供のため、平和の為に動いてくれて…ほんっとによかった。手薄なアバンチュールを攻め落とせれるだけは簡単だろう?」
子爵はよいしょと言いながら、立ち上がる。今度はヴェリテを見る。怯えた様子で佇む子供に笑いかける。
「君は計画には必要ないんだけどね。でも、神人の取引には必要だから拉致した」
「!?」
『その通りです』
真意を語る子爵に便乗するように、部屋の扉が開いて、金髪の男が言った。緩やかに揺れる紫瞳。爽やかなオーラの優男のような風貌。だが、とんでもない存在感を持っている。メル・オセオンを統治する神人ソレイユの登場に、場が混乱する。
『子爵、お客様の御相手ありがとうございます』
「お安い御用です。会合に足を運ばなくてもいいのですか?」
『まだ、時間はあります。令嬢が待っていますよ』
退出を促された子爵は頷いて、部屋を後にした。神人ソレイユは捕縛され、尚、抵抗しているレーヴを鼻で笑う。そして、悪意のない笑顔でヴェリテを抱きしめた。頭一つ分ある身長差。繊細な性格の彼女は状況が飲み込めず、おろおろと動揺を隠せない。
『迎えが遅くなって申し訳ありません。ヴェリテ。怖い思いはしていませんか?』
「あ、っなたは…」
バクバクと鼓動は大きく、激しく打つ。ヴェリテは胸を押さえる。恐怖で押しつぶされそうな倦怠感を押し殺す。
『あなたを真に愛する者です』
「うそ、よ…だって、私は…アヴニールじゃない」
『ああ、なるほど』
神人ソレイユは、ヴェリテの手を引いて、絨毯に座らせる。一部始終を見ていたレーヴが風魔法で反撃するが、ソレイユの水塊に吸収された。
「なにをする気だい!」
レーヴの必死な詰問に、にこりと笑う。神人ソレイユの足が人魚の尾に変化していく。海のように反射して、透明な奥行きを持つ尾に見惚れる。恐怖でぶるぶると肩を震わせるヴェリテを抱きかかえる。腰を下ろしたままの彼女の体に尾を巻きつけて、動きを封じた。ターコイズブルーの髪を愛でて、ヴェリテの首を噛む。悲痛な叫び声でうねる彼女を横目に、神気を注ぐ。ソレイユは快感で火照る体を感じて、より一層ヴェリテに神気を注ぎ込む。
彼女の腹に手を当てて、権能を発動させた。ぎらぎらと部屋に注がれる太陽光を吸収する海の水塊は珠のような形を作る。そして、ヴェリテの体に巡っている魔力を吸収し始めた。
「いやっ!! おねが、い…やめて、いやああ゛、、、」
「やめろ!! ヴェリテから離れろ!!」
濁った悲鳴。全身から魔力が抜けていく感覚は初めてで、ヴェリテは完全に動揺している。必死に抵抗するも、尾は頑強に巻きついて動かない。嫌だ、やめて、と懇願する頼みを無視して、ソレイユは魔力を奪っていく。
がくん────。
ヴェリテの体が一度大きく跳ねた。持っていた魔力を全て奪われたことで身体機能が追いついていない。ソレイユは彼女の腹から手を離す。珠を眺めて、ポケットに仕舞う。痛みと未知の恐怖で涙ぐむヴェリテの頭を優しく撫でる。
『これであなたを満たしていた賢者の魔力は無くなりました。その代わりと言ってはなんですが、私の神気で満たしています。今の気分はどうでしょう?』
「ひ、えぐっ…ラジュネス、、、スィエル…ア、ヴニール…レー、ヴさんレーヴさ、」
信頼のおける者の名前を連呼し、助けを求める。涙が止まらない彼女の背中を摩る。聖母のような慈愛ある抱擁で諭す。レーヴにも聞こえるように、神人ソレイユは言った。
『私は賢者に興味はありません。アヴニールを恐れ、その対処に悩んでいる貴様のようにもならない。いいですか?
私はあなた自身を愛しているのです。愛して愛して愛してやまない。何度転生を繰り返し、その度にアヴニールが逃亡を助力し、手中から零れ落ちたと思っているのですか。やっと手に届く場所まで来てくれた。今度は逃がしません。永久に続く眷属の契りを結び、私だけで満たして差し上げます。ああ、愛しのヴェリテ…』
「や゛、あなたは…助けてくれなかった」
『ええ、ええ、ええ! 救出が遅くなってしまい申し訳ない気持ちで、胸が張り裂けそうです。デスティネがあなたにやったこと、すべて把握しています。でも、分かってください。私もあなたを助けようと準備していたのですよ。あと、もう少しの所でアンフィニに奪われたのです。あの性根の腐った若造に―!
私とあなたは同じ被害者。ですから、これからはより肌を触れ合わせ、感じましょう』
「魔力、かえして」
『いけません。あなたはもう普通の子供です。突拍子の特別な能力を持っていない平凡な子。今のあなたには、だれも見向きはしません。私以外はね────?』
神人ソレイユは耳元で囁く。
『永遠に愛してます』
巻きついていた尾を解いて、二足の足に変化する。解放されたヴェリテだが、途方もない倦怠感と無気力に襲われて、眠りに誘われる。ソレイユはクッションを集めて、彼女を横たわらせる。ブランケットを掛け、安眠のおまじないをかけてあげた。すぅすぅと寝息を立てるヴェリテの唇に触れる。
「おい!」
『────?』
「ヴェリテを…」
『心配ご無用、悪いようにしません。眷属にする程度です。それよりも今、貴殿が気にかけるべきは神人アンフィニのことではありませんか?』
的確な発言にレーヴは口をつぐむ。こんこんと扉をノックする音。
『もう出発しなければなりませんね。ああ、それと部屋には私の権能で海の防壁が付与されています。貴殿の魔法では破壊は論外。大人しく、崩壊の道を眺めていてください』




