32話 海は嘲笑う
すっかり夜も更け、暗闇に包まれる。活力に漲っていた港町は静まり返っている。
ばしゃんと大きく波打つ海は、闇を宿す。
断崖に囲まれた浜辺は、観光客は訪れないような秘境で、知る人ぞ知る名鏡である。潮風が吹いている。
ヴェリテは浜辺に座って、海を眺める。
ばしゃばしゃと夜の海の中を臆せずに泳ぐレーヴ。楽しそうに映るヴェリテの目は、自分の足元に目線を映した。ぴょこぴょこと可愛らしい足音を立てて、近づいてくる海月の魔獣。魔獣と言っても、海月は滅多に攻撃をしない温厚な生き物。
ヴェリテが手を差し出せば、海月は近づいてくれる。ぷよぷよとした触り心地が癖になる。
「寒くないかい?」
ヴェリテは首を横に振って、大丈夫だと言った。海から上がってきたレーヴは髪を後ろに掻きむしる。ふぅと吐息を漏らして、ヴェリテの横に腰を下ろす。ミサンガのラメがきらりと光る。
レーヴは魔法で光を生み出して、暗闇を照らす。海が本来の色を見せる。透明度の高い青の奥に潜む、透き通った泡。冷たい海の中に手を入れた。
「?」
首を傾げたヴェリテに、レーヴは微笑みかける。
「アイリス」
魔法を使った。すると、海の中に漂っていた泡がぽこぽこと音を立てて、一塊に集まり、水の花を造った。一輪だけではない。ヴェリテが眺められるだけの範囲に埋め尽くされる水花は、色とりどりに発光して、幻想的な光景を生み出した。
わぁと小さく歓声を上げるヴェリテに満足したレーヴは、場の雰囲気が続くように、話を始める。
「ここの浜辺は、まだオレ達が兵の見習いだった時に、よく来ていた場所さ」
「レーヴさんの、小っちゃい頃…エテルネルさんと、ヴォヤージュさんも、エクラさんも?」
「ああ、あの三人とは同期だからね。親同士の付き合いで、子供特有の打ち解けを見せたんだ。エテルネルはカリスマがあって、すぐに軍団にスカウトされた。エクラは、親が隠匿部隊の隊長だったからね。後継者として、色々叩きこまれていたよ。ヴォヤージュが治療魔法を発現させた時は、周りがうるさかったねぇ」
「…レーヴさんは? 今、みたいに、沢山魔法、使えてたんでしょ?」
「いや、魔法なんて大嫌いだったぜ」
レーヴの予想外の答えに驚く。続けざまに、衝撃的なことを打ち明ける。
「オレには固有魔法がないんだ」
「えっ」
世界は異なる種族が存在するように、魔力を持つ者と持たない者がいる。持たない者の大半は武功を鍛えて、騎士団などに所属する。
魔力を持つ者は成長するにつれ、自然と魔法を発現する。生涯、その魔法と生きていくことから固有魔法と呼ばれる。固有魔法を発現すれば、一人前と言われている。
ヴェリテも戦争に参加した際に、多くの魔法を見てきた。水や炎、風など属性は違うが自然の一部を扱う魔法使い。変動、透過、記憶、精神、時、病魔、宝石、開眼、造塊、羨望、戟、人形、穀雨、字、強制、生物など、多岐にわたる固有魔法を相手にして屠った。似通った系統もあり、上位互換という概念も存在したが、千差万別を体現していた。
だが、固有魔法を持たない人類は初めて見た。
「竜と精霊は魔力に長けた種族。発現にも個人差はあるが、オレは発現しなかった。どれだけ待ち続けても、何も変わらなかった。周りはどんどん進んでいくのに、立ち止まっているオレだけが惨めで、大人に励まされても嫌みにしか聞こえなかったぜ」
膨大な魔力はあって、魔法のセンスは見いだせても、固有魔法が無かった。固有魔法は指標なんだ。それがない自分は落ちこぼれだと思った。
人間は二十歳が大人で、それまでに多くのことを覚えるだろ。でも、人間以外の種族は長寿だから、働くのも五十過ぎてからじゃねえと世間は許してくれねえし、百歳までは子供って思われてる。
百年の猶予はあった。だがな、誕生日を迎えるたびに未熟さに拍車がかかって、気づけば、家出してた。
アバンチュールを出て、他国を回ったぜ。戦争があっても行く当てがねえんだから、進むしかない。本当に馬鹿だったぜ。でも、そのおかげで世界を知れた。
世界には、欠点を持った人類は五万といる。欠点が見えなくなるくらい、他を鍛える。欠点を受け入れる。そんなことを平然としてるからよ、オレ自身の思ってたことが馬鹿馬鹿しくなった。だから、旅の最中に体鍛えて、男にも負けない肉体を手に入れた。片手間に魔法使いを研究した。
百年くらい世界を放浪して分かったのは、固有魔法が無いのはオレだけだった。だからこそ、魔力だけで千差万別の魔法を再現してやろうって決めたのさ。
「だから、水も操れ、るの?」
「まあな。光も出せるし、敵を捕縛することもできる。寒いと感じりゃ、体を温めることもできる。防御もできて、治療も多少。大抵の自然も扱えるし…なんかありゃあ、殴ればいいだけ」
「…たくさん、できる」
「どれも完成形じゃねえけどな。幻滅したか?」
ヴェリテは首を横に振る。意外なことだったが、固有魔法が無くてもレーヴは強い。アバンチュールの魔法使いを束ねる魔法特務隊隊長にまでなれているのだから、実力は相当なものなのだろう。
「レーヴさんは、いろんな魔法で、みんなを笑顔にできる…羨ましい。私のは、虐殺しか、できないから」
「なぁに言ってんだよ。お前は大切な奴を守れるだろ?」
「でも、私より、強いヒトたくさん」
「そうなりゃ、大人が守るんだよ。嫌なことを嫌って言える子供なら、なおさらな?
あ、でもな。急に家出するのはやめたほうがいいぜ。大人に怒られるからな!」
「ふふっ」
体験談を語るレーヴの脅しに、笑いが零れる。
「お前から海を提案してきたのは驚いたが、まあ…こんくらい悪になってりゃ一人前だな」
レーヴは寝そべる。潮風が吹いて、濡れた髪が靡く。桃色の瞳が玲瓏に月を見て、考え込む。
「レーヴさん、私…言いたいこと、あるの」
「!」
「ラジュネスに黙ってもらってたけど…賢者を見て、レーヴさんだけにでも知っててほしいの」
「ああ」
もぞもぞと口ごもるヴェリテを待つ。
「私の体の中には、賢者がいるの」
「…」
「私の魂は何度も廻って、賢者と生きてる。一回目の私は賢者の愛子だったらしいの。その時に、私の魂が朽ちるその時まで、共にいる契約を結んだらしいの」
「賢者の名前を教えてくれるかい?」
「アヴニールって私は、呼んでるの…」
アヴニールという名前を聞いて、レーヴの瞳が栄光に輝く。彼女は神人アンフィニとの話を思い出す。それは饗宴の帰路に着いた束の間のこと。
『レーヴ、ヴェリテを預かる君には教えておかないとね』
『聞かせてくれ』
『常識で認知されている元賢者ファタール卿、賢者リュイヌ卿。この二柱は血縁関係にはないというのは知っているかい?』
『でなきゃ断罪なんてできねえだろ』
レーヴの発言に、神人アンフィニの顔は曇る。
『違うのかい?』
一瞬で察した。
『二柱は兄弟なんだ。ファタールが兄、リュイヌが弟。昔は仲がよさそうにしていたよ』
『まさか、ヴェリテが賢者とか言わないだろうね…』
『それはないよ。話を聞いてみたところ、ヴェリテと共存している魂が懐かしいらしい。続きだよ。
二柱の上に姉がいる。姉は一人の人間を愛した。人間も姉を愛した。相思相愛にある彼女らだが、寿命が仲を引き裂こうとしていた。それを不憫に思ったファタールとリュイヌは、姉の権能を制限するのであれば、命尽きるまで傍にいていいと提案した』
『…規格外の話だ』
『賢者は一度愛した者を一貫して愛し尽くす。骨の髄まで…人間は賢者の本性を知っても笑って一緒にいたいと言った。
その当時の人間の名はヴェリテ。賢者の名はアヴニール』
「レーヴさん──?」
「っ」
ぼうっと意識が浮上していた彼女をヴェリテが引き戻す。覚悟していたことを明かされても、整理が追いつかない自分に、レーヴは苛立つ。子供が信頼して、その証に秘密を言ってくれているのに、素直に肯定できない。
「ラジュネスは知っているのかい?」
「ヴォク・ラテクにいた時、ラジュネスの、診察受けるの…そこで気づかれたけど、デスティネにはばれなかった…多分、診察をごまかしてくれた、と思うの…だから、スィエルとラジュネスには話したの」
責められているように感じているのか、ヴェリテは俯いて、体を震わす。レーヴは彼女の手を握る。優しい声で語りかける。
「アヴニール卿と話したことはあるのかい?」
「夢の中で…」
「あんたは賢者と共存してて嫌じゃないかい?」
ヴェリテは首を横に振った。ゆっくりと胸の内を話す。
「記憶はないんだけどね、過去の私はいつも助けられてるの。高い魔力ももしかしたら加護の一つかも。でもね、夢の中で楽しくお喋りするの。アヴニールは励ましてくれて、一緒にいて、なんだか心強いの。
多分、私の姿かたちが変わっても傍にいてくれるんだろうなって…」
桃色の瞳から視線を感じる。
「レーヴさんは、こんな私のこと…見捨てない?」
おずおずと確かめるヴェリテ。何度人生を経験しても、彼女が子供であることは変わらないようだ。レーヴは大人として、微笑ましく思う。
「こんなに頑張ってくれたのに、捨てるわけねえだろ。一生可愛がってやるよ」
レーヴは、ヴェリテの手を取って口づけする。彼女の顔が紅潮する。恥ずかしそうに俯くヴェリテがいじらしくて、とても愛らしい。
夜は知らぬ間に深くなり、気温も下がる。少し肌寒い。
「帰ろうかね。立てるかい?」
「うん」
二人が立ち上がると、急に強風が吹いた。悪戯かと思ったが、そうではない。騒めく海中。複数の気配に、レーヴが反応する。ヴェリテを下がらせて、呪文無しに魔法を射撃する。頭上に光る魔法陣が海中を照らして、砲撃した。海が荒れる。
(気配が多少消えた。一つ大きなやつがある。この気配──)
「出てこい」
どすの利いた声でレーヴが脅す。すると、海水が盛り上がり、衝撃者が姿を現した。スカーレットの髪は海とかけ離れていて、透き通るようなブラウンの瞳は混濁を意味する。
「、ペナンシェル…令嬢?」
ヴェリテは声を震わせて言った。レーヴは警戒を募らせる。
ペナンシェル令嬢の周りに集まる海獣の群れ。彼女が使役しているようだ。可憐さが凶悪な華を咲かせる。
「令嬢、夜遊びは危険だ。即刻、帰りなさい」
レーヴはそう言いながら、海中に視線を落とす。ペナンシェル令嬢の足は人間のそれではなく、魚のような尾びれを持っている。
「帰ります。御父様からの指令を成し遂げてから」
ペナンシェル令嬢は何かしらの魔法を使い、竪琴を造り出した。彼女は指で弦を弾いて、音色を奏でる。音色に反応した海獣は陸に上がり、二人を取り囲んだ。断崖絶壁を背後にして、周囲に集まる海獣を相手にしなければならない。
「ヴェリテ、地形に影響を出さない程度で援護してくれ」
「分かった」
ヴェリテは指示通りに海獣を魔法で殲滅して、レーヴの道を切り開く。ペナンシェル令嬢は絶えず弦を弾いて、音色を奏でる。
(音速魔法の使いどころか…)
レーヴは目にも止まらない速さで加速して、令嬢との距離を詰める。その間に妨害役の海獣が介入するが、ヴェリテの高速射撃により撃退される。レーヴは武器魔法でナイフを形成して、令嬢に突き立てる。目前で海獣が盾となり、刃は阻まれた。
「音、いや歌魔法か。子爵も絡んでいるようだが、これはアバンチュールに対する宣戦布告と捉えていいんだろうな?」
「御父様に直接──いえ、神人さまにお尋ねください」
「神人に?」
予想外の黒幕にレーヴの気が緩んだ。背後から襲い掛かってくる獣を自分で殲滅して、令嬢の確保を優先する。
「獣は陸と海だけではありません」
「!」
令嬢の忠告に、レーヴは振り返った。そこで目に映ったのは、全長三メートル以上はある巨体の海鳥であった。大きな羽を誇示して、その目はヴェリテに向けられている。
シャラン―
静かに竪琴の音色が奏でられた。海から際限なく湧き上がる海獣。
「わたくしの固有魔法”歌魔法”は、わたくしの奏でた音を聞いた魔獣の思考を操るものです。今は竪琴で抑えていますが、わたくしが歌えばどうなるか──聡明な魔塔主ならば、御理解いただけますか?」
可憐な少女からは想像もできない卑怯な手に、レーヴはナイフを下ろす。
「傷つけるなよ」
「その点は抜かりなく。怖がることはございません。大人しくしていればね」




