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29話 少女と天女

今日も夢を見る。でも、いつもと景色が違う。黒に染まった空間と舐めまわすような視線を感じ取れない。風が吹いている。湖畔に沿うように歩く。裸足で土を踏む感覚がこそばゆい。草花が生い茂っている。どこに行けばいいのかは分からないけど、苦しくない。

進んでいくと、人の気配を感じた。目を向ける。笑い声と共に見えた風貌にラジュネスは目を奪われた。

例えるなら、ブルージルコンの髪を持ち、透き通った琥珀の瞳。艶のある唇と張りのある肌。透明度の高いドレスを纏い、数え切れないほどのアクセサリーを身に着けている。蝶を模した装飾が多いだろうか。月桂冠についたヴェールが風に靡く。朗らかでありつつも威厳を感じさせる笑顔。天女だ、と直感的に感じる。

ラジュネスは息をのむ。貧相な肉体と笑うことを苦手とする自分にはないもの。惨めだと勝手に思う。

「あっ」

目が合ってしまった。驚きながらも、天女は手招きをしてくれた。ラジュネスの足は抵抗することなく、天女に向かっている。

「あなたは人?」

ラジュネスの問いに、天女は優しい笑顔で頷く。手を広げて、ラジュネスをそっと抱きしめる。突然の仕草に呆気にとられるが、嫌という思考は生まれない。ただただ懐かしい。記憶に埋め込まれた体温を肌で感じて、今までの不安を癒してくれるような。

「大きくなったわねぇ」

天女の言葉に反応する。見上げると、天女は優しい手つきでラジュネスの頬を撫でる。額にキスを落とす。慈愛に満ちたそれにラジュネスは思わず聞いた。

「いつもの黒い怪物はどこにいったの?」

砕けた口調。まるで母と話しているような、子供っぽい話し方にラジュネス本人が驚いている。天女は目を細めて答えてくれた。

「あのヒトはね、あなたを愛してくれる御方。私も愛された。私が苦しんでいる時、たった一人だけ手を差し伸べてくださった方。あなたも救われるはず…」

「私には…」

ラジュネスが言い返そうとすると、天女が口を塞いできた。その表情は一変して、温度を感じられない怒りに満ちている。

「だめよ…あなたは誰も愛してはいけない。賢者に求められた愛だけに応えなさい。でなければ、周りも不幸になって、あなたも不幸になる。それを求めてるの?」

ラジュネスは思わず首を横に振った。本心に嘘はつけず、反射的だった。天女は満足したようで、また慈愛に満ちた笑みを向ける。ラジュネスの頭を何度も撫でる。

「お父様が迎えに来てくださるわ」

「―?」

「ファタール様はお優しい。愛子(まなご)ならば、私が愛せなかった分も愛してくださるわ」


ラジュネスは覚醒した。ベットから起き上がる。

「…いまのは、?」

夢から引きずり出された。最後の言葉と、謎の天女。慈しみの裏に隠されていた凶悪な悪意。標的はラジュネスではない。誰に向けられているのか分からない。それが怖い。自分以外の誰かに矛先が向いて、傷つく事実に震えが止まらない。

「ファタール…」

名を呟く。カルム宰相と天女の口から流出した言葉。ラジュネスは無知ではない。その名はリュイヌ卿と並ぶ天地を創造したもう一人の賢者ファタール卿であると理解している。違うのは、一度世界を滅ぼさんとしていたこと。それがあり、天界を追放され、今はどこにいるか分からない。

(ネージュ・セルクイユから帰還して、大人は何か隠し事をしてる。グロワール様の仰った深刻な事態に、少なからず私も関係している。二つは関連がある。大人は隠そうとしてるけど、私も知っておきたい)

ラジュネスは隣で眠っていたエテルネルに視線を落とす。整えられた肉体にある数々の傷は勲章であり、エテルネルの軍勇を称するものだ。それに引き換え、ラジュネスについた傷は人殺しの汚点。新しい道を歩もうとしても、過去の行いが消えるわけではないこと。ラジュネスは痛感している。

エテルネルの手を触る。ごわごわとした手には、たこができている。鍛錬を積んできた証拠だ。熱い。

(私もこれくらいに剣を触れれば、頼られるか?)

保護されて以降、ちゃんとした剣を振るっていない。何度か機会はあったが、他者を傷つけない加減ができるか確信できなくて断っている。木刀ではできても、実際の剱とは重みがかけ離れている。重みに耐えられるだけの器になりたい。

「…」

部屋に月光が差し込んで、静寂を齎す。エテルネルの寝息と、二つの鼓動。とくん、とくん、という安定した音。一人の空間でないことが、どれだけ寒くないのかをエテルネルと共に過ごして、学んだ。

転がる。エテルネルと顔を合わせる。ラジュネスがエテルネルの手を握ると、彼は寝ているはずなのに、ラジュネスに手を回して引き寄せる。足を絡ませてくる。冷たくなっていた体が部分的に温まっていく。ラジュネスは、彼の胸に耳を近づける。

とくん、とくん、とくん―

いつか読んだ書物に明鏡止水という言葉が載っていた。蟠りが無く、静かな水面を眺めているような穏やかな心を指すと書かれていた。そんなことがあるのかと疑っていたあの日は覆された。なんと偉大なことなのだろうと、ラジュネスは感動する。

歪んだ日常が直されていく。それが正解か分からないけど、エテルネルといると安心する。熱さに飢えて、冷たい地面に寝そべって、恐怖で埋め尽くされた元の生活に戻りたくない。すぐに冷たくなっていく自分を何度戒めようかと思った。

「…」

自虐に走りそうな思考をすんでのところで抑えた。エテルネルの脈打つ音が聞こえる。不安定な気持ちを合わせて、認識を戻す。抱きしめられた腕からも伝わる温度。

ラジュネスは、そっと目を閉じた。

(―ここは寒くない)

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