25話 恙無き冷戦
『リュイヌ、あの奇行はなんだ?』
セゾニエを治める神人ジュレがリュイヌ卿に尋ねた。入来は恙なく終わる事項だというのに、特定の貴族に贈り物を授けるのは平等さに欠ける。国際社会の場で、リュイヌ卿の言動は影響が大きすぎる。
わざわざイヤリングを授けたその意図を貴族はどう思うか。杞憂が生まれる神人たち。
メル・オセオンを治める神人ソレイユも、僅かに動揺を見せる。当のリュイヌ卿は特製のカウチで寛いでいる。ワイングラスを持ち、悠然と答える。
『華が足らん』
『蕾なら隣にいただろう』
『まだ発展途上だ』
自由奔放なリュイヌ卿に溜息が出る。これが賢者という理解しがたい生物であることを、神人はよく知っている。だからこそ、文句はない。ただ、今宵は饗宴。賢者の奇行が災いとならぬよう、祈るしかない。
「姫とは…」
宰相の言葉に、エテルネルが反応する。
「卿は彼女のことを名で呼ぶ。それは新たな人生を送るための区切りでしょう。が、我ら神帝教は彼女のそのままを受け止めるために、姫と呼ぶ」
「もし変わらなければ、ラジュネスは苦しんでいたというのに…それを保護だと? 冗談が過ぎるぞ、カルム貴」
冷笑の視線で睨むエテルネル。空気が重い。周りに悟られぬ対応は高位貴族に相応しい。
「痛みを受け入れ続けることは一種の努力。そして、今までの人生を捨てる勇気も努力。しかし、痛みを当たり前としていた人生が変わるとなっても、今までの痛みを忘れるわけではない。
変化は途方もない道です。耐えがたい苦痛は幸せに挿入され、醜悪な残像が現出する。変化の過程で茨に縛られ、不可抗力で変化し続ける。喪失と願望が強くなる。
その苦痛を選んだ先にあるものが望んだ姿と乖離することを知って尚、姫は卿を選ぶでしょうか?」
「残念だが、変化の道の灯火になると俺は誓っている。過程で苦しめば、躊躇わず抱え、立ち直るまで寄り添う。時間がかかろうと、それが約束だ」
太陽の瞳が異彩を放ち、ターコイズブルーの瞳と重なる。刹那に衝突する敵対心。一触即発の空気を、貴族の歓声が覆いつくす。歓声の理由に目を向けると、大広間の中央には余興のダンサーが虎を連れて現れていた。饗宴が本格的な熱を帯びている。歓声で、敵対心が和らぐ。
「セゾニエの楽団ですね。饗宴に呼ばれるとは大変名誉なこと」
澱まないように宰相が話題を逸らす。バラードの曲調が一転し、軽快なリズムを刻む。ダンサーは広間の中心で一糸乱れぬ踊りを披露する。貴族らの心を掴む統一された動き。軍のそれとは異なる魅力だ。
「変化を求めることだけが美徳ではない。不変こそが至高という思想は私の中にはありません。あるのは狂に満ちた世界のみ」
「…過激な世界に盤石の生命は孤立する」
「それを決断するのは卿ではありません」
「その決断もカルム貴ではない」
「ええ。ですが、全ての歯車は些細な衝撃で、あらぬ方向へ動くのです。生命に手放されたくなければ、冒険もほどほどに…」
最後に忠告だけを吐き捨て、宰相は他の貴族のもとへ行ってしまった。エテルネルは不安に駆られることはないが、思わずラジュネスを見た。彼女は職務を全うして、毅然とした態度で貴族を相手にしていた。
(次は令嬢か…)
視線を感じたラジュネスが顔を向けてきた。見過ぎたかと罪悪感を抱いたが、彼女は小さく手を振ってきた。その愛らしい仕草にときめく。早く仕事を終わらせようと、奮い立つ。
(ネル、大丈夫かな…)
先程目が合って、軽く手を振ると、満面の笑みで返してくれた。カルム宰相と真剣に話している時のエテルネルの顔が険しかったことが、ラジュネスの頭に引っかかる。
「あ、あの!」
少し考えに耽っていると、後ろから声をかけられた。ラジュネスは振り返る。そこには、多くの令嬢が群をなしていた。きらきらと目を輝かせている。先頭に立つ少女が緊張しながら、代表して話す。
「妃殿下にご挨拶申し上げます! 此度は御婚約、喜び申し上げます!」
手が震えている。だが、礼節を弁えた態度にラジュネスは微笑する。
「その言葉有難く頂戴します。カスカード嬢」
「え、私の名前…」
家門の名ではなく、名前で呼ばれたことにカスカード令嬢は驚いた。通常、女性を名で呼ぶことは紳士的対応に反する行為となっているため、男性貴族は家門で名を呼ぶ。同じ女性であっても、自身よりも地位の低い者を名で呼ぶことはない。覚える価値がないという傲慢さがあるからだ。
「私は社交界においては未熟者。ですので、皆様方のアドバイスを聞きたいと思っています。よろしいでしょうか?」
ラジュネスが丁寧な口調で問う。令嬢らは嬉しそうに、何度も頷く。カスカード令嬢の後ろにいたミストラル令嬢が、恐る恐る言った。
「妃殿下のドレス…トゥ・エ・ベルの…」
「ええ、フェルメが仕立ててくださったの」
「まあ、やっぱり! こんな素敵なドレスを仕立てられるオーナーは少ないですもの」
「ええ、何と言ってもレッドエメラルドを装飾に許された方は一人だけですわ!」
令嬢らがドレスと、それを引き立てる装飾品を褒め称える。
ラジュネスも着用して思ったが、着心地がかなりいい。シルクは質感にこだわり、シンプルな造り。素朴に見せない繊細な刺繍が細部まで施されている。
極めつけは、左足を覆いつくすアンクレットの主役レッドエメラルドだ。宝石は魔獣か、洞窟で採掘される。その中でも、古代の洞窟に住み、その環境の魔力を吸って成長した魔獣から極稀に採掘されるというレッドエメラルドは、流通量が少ない。魔獣を討伐できないことや、その宝石の加工は繊細な技術が必要とされる。魔鉱石を管理するのは、賢者の役目。賢者が信用する仕立て屋にだけ与えられ、トゥ・エ・ベルはそれに唯一該当する。
オーナーであるフェルメは気まぐれでお金では動かない。どんな大金を持ちかけられようとも、インスピレーションが無ければ断る。今回、社交界の華と蕾が依頼しただろうが断ったのだろう。
ファッション界の巨匠に、ドレスを仕立ててもらえることは令嬢にとって一生の名誉であるのだ。
「トゥ・エ・ベルの仕立ては早くても三ヶ月はかかりますしね」
「それもそうですが…トゥ・エ・ベルのドレスを着こなす妃殿下は、なんて美しいのでしょう」
「!」
ドレスを褒め称えていた令嬢らは、いつの間にかラジュネスのことを褒めていた。それに気づいて驚くラジュネス。だが、令嬢らは止まらない。余興そっちのけで話し続ける。
「いくら高級でも、魅力を引き出せなくては本末転倒。トゥ・エ・ベルのオーナーが断る理由は、令嬢が自身の作ったドレスを笠に着るからだそうですし…」
「社交界の戦闘服と言われているからこそ、結局は本人の性格に左右されます。その点、妃殿下は容姿端麗で博識。お話させていただいたのですが、とても思いやりのある御方で…」
「エテルネル卿のご寵愛を得ているだなんて…」
黄色い悲鳴を上げる令嬢らは、心底楽しそうにしている。意識していないところまで、女の目は光るという考えはあっていたようだ。実感はないが、周りが解釈しているなら、それが正しいと完結したラジュネスは、金の扇子を握る。
カッ!
「とても楽しそうねぇ」
和やかな空気に包まれていた空間が、一人の令嬢の声で無惨に壊れる。先程まで話に花を咲かせていた令嬢らは、真っ青になる。ラジュネスは令嬢に目を向ける。
「何の話をしていたのかしら?」
「美容のことよ、ナディール嬢」
ラジュネスが回答する。その相手は社交界の蕾の一輪ナディール・フィルママン公爵令嬢だ。取り巻きを連れた彼女の目は冷ややかで、蔑みの感情を隠すことなく、場を凍らす。
彼女は一歩前に踏み出す。そして、ラジュネスに啖呵を切る。
「であれば、ぜひご教授いただきたいわ。鬼を誑かす魔性の秘術を」




