2話 余剰の子
「お前、正気か!?」
会議が終わり、軍団が設置されている棟に向かおうと中庭を歩いていたエテルネルの肩を、物凄い力で握り、呼び止める。エクラは憤怒の息を巻き、口調も荒い。その後ろでは不信感を募らせるレーヴと、怪訝な顔で見つめてくるヴォヤージュ。
「お前を殺そうとした奴だ。しかも人間。伴侶にするなんて無茶苦茶だ!」
「早く妻を迎えろと催促してきたのはお前達だろ?」
「だからって人間を伴侶にしろとは言ってないだろ! 鬼と人間が結ばれて幸せになった前例があるか? それにヴォク・ラテクの者を良く思ってねえ奴らから守るなんて無茶だ!」
「エクラの言い方が気に入らないかい? 悪いけど、今回はオレもエクラの味方だ。報告を聞いただろう? ラジュネスはヴォク・ラテクの英雄で、多くの竜族や鬼、もしかしたら人魚も虐殺している。他の神人からも警戒視されている人間だ。わざわざ、厄介者を選ぶ必要があるってのかい?」
「殺人鬼なら俺たちもそうだ。魔法と暴力で、他国との戦争に勝利している。戦場では殺さなければ殺される。だから、殺したことは罪じゃない」
エテルネルは真剣な表情で、三人に言う。
「環境が違えば、常識も異なる。彼女らは奴隷として生きるのが当たり前で、誰かを殺さなければ、自分が痛い目に遭うと分かっている。そんな状況で責めるなんてできないだろう?」
「それは…」
「ずっと思っていたんだ。大人の都合で振り回される子供を救いたいと。たった十数年しか生きていない子供と、何百年と生きてきた俺たち。導くのは当たり前で、子供たちが笑えるように守るのも俺たちがやるべきことだ。それが敵であっても。これは俺の野望の先駆けでもあるんだ。だから、止めないでくれ」
エテルネルの熱弁と、どんな声も無視するという意思表明を受けて、三人は顔を見合わせる。暴論にも等しいが、彼を知る三人は仕方がないと内心でほくそ笑む。
「私達の負けです。今回ばかりは君の望みどおりにしてみましょう」
ヴォヤージュは悔しそうに言う。彼の言葉を聞いたエテルネルの顔に笑顔が戻る。
「じゃあ、ヴォク・ラテクの攻略策でも考えようかねぇ」
「子供はどうすんだ?」
「報告では他の奴隷と違って、自我を維持できているようですし…対話を試みましょう。彼らだって、あのような環境から抜け出したいと思っているはずです」
目標が定まった彼らからは憂鬱な空気が打ち消される。ほんの僅かな時間に芽生えた蟠りは、彼らの信頼の元消えた。四人が作戦会議だと意気込んで、中庭を離れようとした。
―!!
四人の背筋が凍る。脳から伝達される警告音と、戦慄の警戒心。歴戦の戦争を経験し、それから培った生存本能のまま、武器を持ち、攻撃の構えを取る。中庭を通り過ぎた奥の建物から、二つの影が動く。
コツッ、コツッ…
ペタン、ペタン、ペタン…
異なる二つの足音。音が大きく聞こえ、ゆっくりと近づいてきていることが分かる。
「あれぇ~~~? 強そうなのが揃ってるみたい。ラッキー!!」
溌溂とした声が響く。建物の陰から抜け出し、影が露呈する。こげ茶の肌に、金色の目。黒髪を緩い三つ編みで束ね、白いフードで隠す。バングルやネックレスに、腰や髪を赤い紐で結んでいる。高身長の部類では小柄な体格で、特徴的なギザ歯の少年。
「仕事、捗りそう…」
少年とは対照的に訥々と話すターコイズブルーの髪を持ち、桃色の瞳で空虚を見つめる少女。踵の高い靴を履いているせいもあるのだろうが、少年に劣らずの身長。大人びた二人の子供を見て、四人は会議で出された似顔絵と酷似していると思った。いや、合致する。宿敵ヴォク・ラテクの最高戦力、スィエルとヴェリテだ。
(想像していたよりも意識がしっかりとしている。だが、無意識のうちに出ている。純粋な悪意と殺気。本人たちも気づいていないのか?)
エクラが考える。警戒は緩めず、二人の動向を探る。一言も話そうとしない大人を見て、スィエルは口角を上げながら、首を傾げた。
「なんか想像してたのと違うね。殺しにかかると思ってたんだけど?」
「…殺してほしいのか?」
「いやぁ? 今まで会った大人はそうだったから。面白いよ?」
スィエルは無意識のうちに悪意を滲みだしているが、受け答えはしっかりとしている。彼の隣で何かを察知したヴェリテは声をかける。
「あっ…スィエル、お喋りはお終い。この人たちだ」
「りょ~~かい」
スィエルとヴェリテが纏う空気が一変して、冷たくなった。それは悪意もなく、気配もない。無機物のような、脳が少し反応するだけの異質なものだ。ヴェリテはどこからか杖を取り出し、構える。
「魔法だ!」
ヴォヤージュが声を上げると、大量の魔法が撃ち放たれた。轟音と、建物が半壊する音が交わる。四人は各々で避難して、事なきを得た。
「今の、見えた?」
「微かに。恐ろしいほどの高速射撃ですね」
「だよね。これ、ほんとに人間なの?」
ヴェリテの魔法攻撃に恐怖からか汗ばむ。そんな四人に襲い来る物理攻撃。殺気と気配が感知できない怪物が頭上から殴りかかってくる。スィエルの拳を受け流すと、地面に直撃する。大きくひび割れた地面を見て、その破壊力に四人は唖然とする。体の扱いが猛獣のように豹変して、迷うことのない実直な攻撃。これだけで、スィエルとヴェリテから怪物の片鱗が窺える。
「さっき、ちょっと聞こえたんだけどさ? 俺っちと話したいの?」
「!」
スィエルは雑談を交わしながらも、近接戦を仕掛けてくる。気後れしたヴォヤージュの頬を掠める。
「俺っちは構わないよぉ。でも、その代わりに頂戴…君たちの首!」
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『…』
「殿下、どうされましたか?」
時を同じくして、会議を終え、専用の居住区に向かう神人アンフィニが足を止めた。彼の行動に理解が追いつかない護衛は、敬称で聞いた。だが、アンフィニは不信感を募らせ、眉を顰めたまま話そうとしない。
『中庭が騒々しい。侵入者かな、お前達は援護に回りなさい』
「は…しかし…」
アンフィニの指示に護衛は戸惑う。
『私は一人でも大丈夫だ。早く行かないと大変なことになるかもよ』
手で払い、催促する。部下はアンフィニの意図が読めぬが、彼の命令と忠告を無視するわけにはいかず、素直に従った。手を振り、作り笑顔で見届けたアンフィニは真顔になる。しんと静まり返る回廊。部下の気配が遠のくと、銀髪の少女が姿を現す。
『へえ、予想外の客だ』
「人払い感謝いたします」
新緑の眼を持つ麗しい女。しかしながら、少し幼さが残る少女。丁寧な言葉遣いと礼節を弁えた所作。報告では齢十五だったか。年に相応しくない冷静な対応に、アンフィニは興味を注がれる。少女はある程度近づくと、手を胸に添えて深々と礼をする。
「ヴォク・ラテク軍部最高司令官並びに総帥を務めるラジュネスと申します。此度は我が主デスティネ様の命により、貴殿を拐いに参りました」
少女ラジュネスの名乗りを受けて、アンフィニに衝撃が走る。
(ヴォク・ラテクは軍事国家であるため軍人の地位が高い。権力の集中を避けるために最高司令官と総帥が存在するが、二つの役職を受け持っているのか!? それが本当だとすれば、目の前に居る少女がヴォク・ラテクのNo.2!)
「どうかなさいましたか?」
『いや、そんなお偉いさんが自ら赴いてくれるとは光栄だと思っただけさ。君のことは知っているよ。ヴォク・ラテクの大英雄』
ラジュネスは虚ろな目で佇んでいる。生きているのに、目の前に居るのに、存在しないかのように沈黙を紡ぎ、存在を押し殺している。対話が可能だと理解したアンフィニは提案する。
『君達、アバンチュールに来ない?』
「…」
『君達の境遇を説明し、私が擁護すれば、国民からの反発はない。衣食住、他の待遇も与えるよ。残りの神人が怖いかい? 大丈夫、私が守ってあげよう。君達が望むことは可能な限り、実現しよう。悪い提案じゃないと思うのだけど、どうかな?』
アンフィニが手を差しのべた。それは神人としての権威は保ちつつも、相手が萎縮しないように配慮された対応だ。普通であれば、神人からの誘いを断る者はいない。だが、ラジュネスは毅然とした表情で、
「私は命に従うのみ」
断った。提案を蹴ったことにアンフィニの中の何かが燻り、欲に炎を宿す。
『手荒な真似だけど、力づくで往かせてもらおう』
アンフィニは呟き、ラジュネスが反応できない速度で距離を詰めた。そして、彼女の首に手をかける。ごつごつとした男性の手。頭二つ分背丈が異なる二人。アンフィニは覗き込むように、微笑む。彼のアクアマリンの瞳が淀む。ラジュネスの首を絞め、権能を使用した。
バキンッ!!
金切り声のような音が鳴り響いたと同時に、アンフィニに電撃の痛みが走る。まるで、雷に打たれたような不快な痛み。その後から浮上する毒のような痛み。ラジュネスから手を離し、咄嗟に後ずさる。肉体の中を掻き乱し、神経を貪り食われる鈍痛にしゃがみこんでしまう。アンフィニはラジュネスを掴んでいた手に目をやる。手に薄らと棘の文様が現れている。
(隷従の権能で無理やり手に入れようと考えていた。だが、阻まれた…)
アンフィニは権能を発動させた時の痛みを思い出す。電撃のようなそれに心当たりがあった。
(拒絶反応だ。普通、権能が衝突すれば相殺で終わるが、権能の量と相性によっては、稀に起こる。私も早々お目にかかれない。ラジュネスは人間だ。権能を持っているわけがない。まさか…)
「苦しいですか?」
アンフィニが何かに気づくと、ラジュネスが声をかけた。彼女は悠然とした態度で、近づいてくる。
「貴殿を苦しめているのは権能の拒絶反応だけではありません。デスティネ様が調合なさった神経毒も使っております。無臭なので、無意識のうちに吸ってしまう。神人にも通用するようで安心しました」
『全て計算ずくか。ねえ、君ってさ…デスティネの愛し子?』
ラジュネスの顔に影が落ちる。彼女は無言で、見つめた。その態度にアンフィニは鼻で笑う。
『しょうがない。久しぶりに会いに行ってあげよう』
「感謝いたします。では、しばし…お眠りください」
アンフィニの言葉に礼を述べ、ラジュネスは注射針を取り出す。そして抵抗欲のないアンフィニに刺す。彼の意識は微睡み、体は重力に従う。倒れそうになるアンフィニの体を、ラジュネスは優しく受け止める。彼女は耳に手を当てて、魔法を展開する。そして、状況を発信する。
「任務完了。スィエルとヴェリテを回収する」