19話 困惑の試着
目を開く動作さえも億劫になるほどに、体が重たく、気怠い気分だ。息ができない。体が熱いのに、寒くてしょうがない。ずっと真っ暗な闇の中を歩き続けている。ここが夢だと分かっているのに、出口がない。見渡す限りの黒。温度が感じられなくて怖い。
光に手を伸ばしたいのに、光がない。助けてほしいのに、声が出ない。
時折、視線を感じる。得体のしれない何かに付きまとわれている。自分よりも強く、高次の存在であると分かっているから、どうにもできない。逃げ場もなく、終わりのない悪夢。
『ラジュネスや、起きまいか…』
何度か聞いた声。どこから聞こえているのだろう。分からない。分からないままに進んで、どこに立っているか分からなくなる。暗闇の中で一人ぼっちの迷子。黒い靄が背後から押し寄せてくる。手のようなものが肩に触れる。背筋が凍る。恐怖で動けない。手は、輪郭をなぞって、口に指を入れてきた。抗えない。そのまま見上げると、虚ろな目を捉えた。何も感じない虚空、果てしない畏怖を覚えた。
抵抗しようとも声が出ない。掠れ声だけ。手を振り払う勇気がない。
息ができない。苦しい。だれか、助けてよ…
『ラジュネス!!』
「ぁ…」
大きな声で目を覚ました。混乱するラジュネスの額に、手を当てて落ち着かせる。金色の澄んだ瞳に安心して、ラジュネスは乱れた息を整える。汗ばんだ体に、髪がへばりついて気持ち悪い。
「あの、私…」
『一週間。一週間寝ておったぞ』
「…ごめんな、さい」
『我の配慮が足りなんだ。疲れておったのに、酷な提案をした。お主が回復次第、ネージュ・セルクイユを発つ予定となった。体は起こせそうか? 汗を流そう』
グロワールが促すと、ラジュネスは素直に従う。起き上がろうと手に力を入れると、ずきっとした痛みを感じた。腕を見る。腕を無意識のうちに引っ掻いたのか、血が滲んでいる。自傷行為だと、ラジュネスは理解した。
(最近無かったのに…どうしよう、また心配かけちゃう。一週間も寝てたなら、かなり迷惑かけたよね)
ラジュネスが深い罪悪感に苛まれていると、グロワールが担ぎ上げて、一瞬で着替えを終わらせた。汗も乾いている。
「…」
『うむ、可愛らしい』
「これは…?」
『この後、お主はエテルネルの坊やと外出することになっておる。三月後に開催される宴の衣装合わせじゃ。あとはそうじゃな、デートとやらでもしてくるとよい』
グロワールが扉を指さす。外から、エテルネルの声が聞こえた。
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目覚めてから、一刻と経たずに城外を出た。馬に乗り、市井まで移動する。その間にエテルネルとラジュネスの会話はない。しかし、エテルネルはラジュネスを力強く抱いている。
珍しく雲がないネージュ・セルクイユの空は青に染まっている。今は昼頃なのだろう。市井を行き交う人の量が多く感じる。
物珍しさに視線を動かしていると、エテルネルが馬を止めた。白皙の景観の立派な建物が目に映る。見惚れていると、エテルネルが軽々と馬から降りる。その時に建物の扉が開き、一人の男が出てきた。ひげを生やして、四十代半ばに見える。整った顔立ちだと、ラジュネスは思った。耳の形状からして、精霊の血を引いている。
「きゃ~~~! エテルネルじゃな~~い!!」
「…」
その男は開口一番に乙女のような口調で言って、エテルネルに抱きつこうとした。驚きの人格と、ボディータッチの多さに驚く。
「ひっさしぶりじゃなぁ~~い!! 月一で来る約束はぁ?」
「してない」
「んもぉ~~! 恥ずかしがり屋さんねぇ!」
ボルテージの高い男と、冷静なエテルネルを交互に見て困惑する。一歩後ろに下がろうとしたラジュネスの肩をエテルネルが持って、前に出す。
「俺の婚約者の服を身繕いに来た」
「あら、この子が例の? やだぁ! とっても綺麗な子ね!」
男は美しい所作で礼をした。
「高級仕立て屋”トゥ・エ・ベル”のオーナー、ヴォラ・フェルメよ。今回は足を運んでくれて感謝するわ!
立ち話もあれね。さあ、中に入って」
状況が上手く呑み込めていないラジュネスを、エテルネルが流れるような手つきでエスコートする。荘厳な外見よりも、ずっと華美な内装。至る所にドレスやスーツ、装飾品が飾られている。応接間に通され、ソファに腰かけるフェルメは真剣な表情で、ラジュネスを見た。
「おい、あまり見るな」
「あら、失礼」
「すまんな、ラジュネス。あれが気に入らなかったら、殴っていいぞ」
「…いや、そんな」
「酷い漢ねぇ。ラジュネスちゃんが困ってるじゃない!」
フェルメに殴りかかろうとするエテルネルを、ラジュネスが止めた。はぁとため息をついて、説明を始めた。
「三か月後に、賢者主催の饗宴が開かれる。そこでお前を婚約者だと発表する。そのためのドレスを仕立てに来た」
「この方が?」
「心配するな。これは俺の専属デザイナーだ。芸術家としての評価も高いし、グロワール殿の衣服も担当している神人御用達だ」
「んっふふふ。説明は終わったわね。早速取り掛かりましょ!」
フェルメが手を叩くと、何処からともなく複数の助手が現れて、ラジュネスを更衣室に連れていく。迅速な手つきで、採寸を終わらせる。脅威のスピードに、ラジュネスは唖然とする。
採寸表を見たフェルメは、ドレスの図案を机に広げる。
「美しい体だから、体のラインがしっかりした…マーメイドドレスがいいわね。露出を抑えるなら、背中と肩はレースで仕上げるわ。
可憐な少女を模したドレスもいいでしょうけど、女性をテーマにした方が、ラジュネスちゃんには合う。
でも、ドレスの装飾自体は小さな宝石を組み込む方がいいわね。顔全体は控えめだと思うけれど、パーツは派手だから」
「色はどうする?」
「う〜ん。柔らかな色合いは似合うけど、しっくりこない。かと言って、鮮烈な色はだめ。鮮やかで、朧気」
「…」
「雪のように白くも銀の波打つ髪と、若葉に似せた澄んだ新緑の瞳。銀髪に青の目を持ったお客様なら、かなりお相手してるけど…ラジュネスちゃんみたいな子は初めてねえ。
十五歳に見えないくらい洗練された所作に、プリンセスラインは似合わない。ドレス以外の装飾は銀と緑でいいわ。でも、ドレスの色がその二色に合わない。ごちゃごちゃしてるのは御法度。社交界の蕾に虐められちゃう」
「ドレスは白でいい。金糸で細部をこだわってくれれば…それと腰のラインに宝石をつけるのはどうだ?」
エテルネルが提案する。助手が宝石が仕舞われているトランクを開く。色彩豊かな宝石が並ぶ。
青みがかった緑で、鮮やかなパライバトルマリン。芽吹いた若葉のように柔らかで、その透き通った光を放つグリーンガーネット。
青緑のような色彩で、海を彷彿させる艶やかなアレキサンドライト。
他にも、多くの宝石を細かく指定して、ドレスの図案が完成していく。
「白と銀、緑ね。赤はいいの?」
「足に着ける」
「なっるほどね~。それなら、ドレスは足が開いたデザインにしておきましょ。次はフットアクセサリーね。
ここは大胆にしたいわ。太腿につける…そうね、ベリーダンスアクセサリーを軸にしていいかしら?」
フェルメが図案を見せた。銀と金に隙間なく埋め込まれた宝石が光を反射している。他にも、チェーンを繋げて美しく造られたものもある。
「…」
足を覆うようにチェーンが交錯するアンクレット。それにラジュネスが見惚れていると、図案を指差して、エテルネルが注文する。
「このアンクレットを取り入れた靴も作ってくれ。饗宴と普段使いのもの、合わせて五足」
「え…」
「デザインはお前に全部任せる。当日の準備も…」
「任せなさい! 私の作品は着飾るまでが仕事よん!」
「ああ、あとは普段着を見繕う」
「…ネル」
ラジュネスが呼び止めた。挙動不審な態度で、ラジュネスは彼に話す。
「そんなにいらないわよ」
「心配するな、金は有り余るほどある」
そうじゃないと言おうとしたが、エテルネルは助手らに意見を求めて離れた。何をすればいいか分からないラジュネスの隣に、一着の服を持ったフェルメが立つ。
「これ、ラジュネスちゃんのオーダーメイド」
服を差し出す。絹を染色した一枚の布を丁寧に縫い合わせたシンプルな造りの服。ゆったりとしたデザイン。グロワールが着用しているものに近い。
「鬼の男は不器用が多いからね、だから贈り物で示すのよ。その中でも服はメジャーね。アンクレットは…」
「?」
「これ着てくれたら教えるわ」
ラジュネスは更衣室に入り、ゆっくりと着替えた。鏡に映った自分を見て、少しは綺麗だろうかと思った。
「着心地はいかがかしら?」
「えっと、とてもいいです」
「そう、よかったわ」
更衣室から出たラジュネス。助手と話が終わったエテルネルが、着替え終わった彼女を見て、にやけた。嬉しそうに花を飛ばしている。
「…似合ってるかな?」
「とても綺麗だ」
エテルネルは抱きしめて、ラジュネスの首にキスを落とす。サンダルを履こうと椅子に座ると、エテルネルは膝をつく。手に持っていたアンクレットを、ラジュネスの足に着ける。二つのリングが交錯する。
「うん、これで完璧だな」
エテルネルが満面の笑みで言った。それに釣られて、ラジュネスも砕けた表情になる。フェルメが耳打ちする。
「鬼がアンクレットを贈る意味は、”共に人生を歩いていこう”」
「…!」
ラジュネスが満足そうにアンクレットを眺める。その光景を嬉しそうに見たエテルネルは、手を差し伸べた。その手を取り、立ち上がる。
「フェルメ、助かった。当日も頼んだ」
「んふ! 最高のドレスを仕立ててあげる。買ってくれたものは、アバンチュールに送っておくわねん。ラジュネスちゃんもまた来てね」
「ええ」
仕立て屋を後にする。そのまま城に帰るかと思えば、エテルネルは商店街に向かって歩く。ラジュネスは贈られた服が汚れないように、気を付ける。刺繍された布を肩から掛けているとはいえ、涼しい構造の服。寒いかと思ったが、吹く風は冷たくない。
「ネージュ・セルクイユは寒冷地域なのだが、月に一度熱波が飛んでくる。その夜は暖かく、夜の市場が開かれるんだ」
「へえ」
「お前は運がいい。今宵は楽しもう」




