18話 寂寥の神
侍女に連れられた部屋は、恐らくこの城で最も広い場所だ。細部の装飾に目が行く。よほど、大切な場所なのだろうか。
ラジュネスは、部屋の中央にある天蓋に進む。もぞもぞと動く何かに、焦点を合わせた。
『近う』
天蓋のある寝台から声がする。ラジュネスはその声に従って、近づいていく。ある程度の距離を保って、膝をつき、頭を垂れる。
「ネージュ・セルクイユを治める神人グロワール様に、拝謁いたします。此度は急な訪問にもかかわらず…きゃっ!」
ラジュネスが挨拶をしている最中に、その腕を掴まれた。突然のことで困惑するラジュネスは、いつの間にか天蓋の中に腰を下ろしていた。まだ、手を掴まれている。ラジュネスは視線を落とした。
黄金色の髪が無造作に波打っている。髪と同色の瞳は、透き通っている。中性的な見た目。長い布は縫い合わせておらず、そのまま着られている。白の布に、紫の布を肩からかけている。金糸の刺繍が華美を与えて、美しい。
「ご機嫌麗しゅう、グロワール様」
『あな愛しや』
見上げたままの神人グロワールは手を伸ばして、ラジュネスの頬をくすぐった。ゆっくりと体を起こす。
『やつれておるの、ここまでの道のりは長かったじゃろう』
「御心配には及びません」
『いつも気丈に振る舞うな。感心感心。さて、胸の痛みはあるかのぅ?』
グロワールが、ぺちぺちとラジュネスの体を触って診察する。一見戯れているかのように見えるが、肉体の箇所に権能を当てて、血流を改善している。
『肉が足らんのぅ。もうちと食え』
「…善処します。それで、私の中は…」
『権能の残穢が少しばかりあるが、ご飯を食べ、健康に過ごしていれば、毒素は抜けよう。アンフィニから症状は聞いておったが、もうあんな思いはせぬ。我が保証しよう』
「感謝いたします」
グロワールの診察結果に安堵したラジュネスは胸を撫で下ろす。ネージュ・セルクイユでの目的を一つ達成した。
『子供らしくなっておるが、まだまだ固いな。アバンチュールは平和か?』
「はい、とても。私がグロワール様とこうしていられるのも、アバンチュールの方々の支援のおかげです」
『然様か。のう、ラジュネス。やはり、ネージュ・セルクイユに止まらぬか?』
提案にラジュネスは硬直した。
『引き離そうとは考えておらぬ。じゃが、我なら、その背中の傷を治せるやもしれぬのだ。平穏に暮らしたいのであれば、ネージュ・セルクイユに来た方が良い。
お主も分かっておるはず。あの男エテルネルや周りの者に迷惑をかけたくないのであれば、神人と賢者の研究をしておる我の庇護下に加わる方が得策じゃ』
「でも…」
『答えをすぐに出せれぬのは知っておる。お主にはあまり言えぬが、事態はお主が思うているよりも複雑で復古的じゃ。アンフィニは神人の中で若い。信じておらぬわけではないが、我の方が安全ではある』
つい最近、エテルネルの求婚に頷いたラジュネスは俯いた。どうしようかと模索している。グロワールは彼女の頭を撫でる。
『一週間の猶予じゃ。そこで答えが出ぬようならば、お主は我が引き取る』
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日が昇っていた朝が沈んで、夜空を見上げる。窓がかたかたと静かに揺れる。星は雪のように青白く輝いている。
エテルネルは暖炉に薪をくべる。炎がパチパチと軽快な音を立てる。
(ラジュネスはもう大丈夫だと、グロワール殿から仰せつかった。不安要素が一つなくなれば、課題が増えていく。試練が増える。覚悟はしていたが、きついな。
いつか、他国にラジュネスについて言及されるとは思っていたが、ここまで素直であるのはやりにくい。しかも、ロクザンは一時でもラジュネスと共にいた。活動に理解がある彼なら、慰めになるかもしれん。それに提案自体は悪くない。ただ、アバンチュールの環境に慣れるだけでも、かなり時間を要した。
ネージュ・セルクイユは良い国ではあるが、気候による土地柄は安定していない。ラジュネスにとって、ここが住める環境であるか…)
「ネル?…寝れないの?」
「!」
悩んでいると、寝台で寝ていたラジュネスが声をかけてきた。寝ぼけ眼で見つめながら、体を起こす。エテルネルが暖炉の火を消して、テーブルにあった水瓶を持って、寝台へと腰を下ろした。グラスに入れた水は冷たい。氷を入れなくてもいいだろう。エテルネルが差し出す。
ラジュネスがぼんやりとしながらも、喉に通す。不安そうな顔をして、エテルネルを下から見上げた。
「?」
にかっと微笑むエテルネルを見て、ラジュネスが話す。
「グロワール様に、ここに止まれと提案された。私が知らないところで、危険が迫っているらしい。ねえ、その危険が私が関係しているの?」
ラジュネスが、エテルネルの腕を掴んだ。
「私はネルと一緒にいたいし、ネルの言ってくれた言葉を信じてる。私も変化していきたいけど…危険が周りに降り注ぐのは嫌なの。
私は思っているよりも世界を知らない。だから、自分のことしか考えられない」
ラジュネスの本心を聞いたエテルネルの口角が少し上がる。ラジュネスの頬を優しく包み込んで、笑いかけた。
「言ってくれてありがとう。俺は誓ったんだ。お前の望みを一番に尊重する。ラジュネス、今回の判断は俺に預けてくれ」
「……いいけど、ネルは辛くないの?」
「責任は俺が持つ。お前に一目惚れした時から決めていたことだ。辛くなんてない」
エテルネルは、ラジュネスを横たわらせ、毛布をかける。ラジュネスが寒いと感じないように、抱きしめて、体温を共有する。ラジュネスは、舟を漕ぐ。野営が続き、今日到着したばかりだと言うのに、決断を責められて疲労が溜まっている。すぐに眠りにつけそうだ。
「ネル…私は、ネルが痛い思いをするのが一番嫌だから」
エテルネルは目を見開いた。最後に零れたラジュネスの甘えに嬉しくなる。
(この子は優しい子なんだ。大人が悪者に仕立て上げただけで、ただの被害者。それを分かってくれる大人は少ないだろう。どんな状況でも、俺だけは守ろう)
ラジュネスの寝息が聞こえる。すぅすぅと整ったリズムだ。エテルネルは彼女を抱きしめて離さない。冷たさが伝わってくるが、徐々に暖かくなっていく。
(どうか、この子が傷つかない優しい世界でありますように)
翌日、ラジュネスは高熱を出した。
長い道のりと寒冷の気候で、疲労がたまり、体調を崩した。
それは一週間ほど続き、滞在期間を伸ばすことになった。




