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16話 勇断の夜

フィエルテに言われるがままに、エテルネルはテントに入る。ランプに照らされているが、中は仄暗い。ランプの近くで、じっと炎を見つめるラジュネスを見た。ゆらゆらと微かに動く橙の炎を瞳に宿している。つんつんとランプの硝子をつついて、遊んでいる。

何をするわけでもなく、ぼぅっとしているラジュネスを、どこか世界が違うように感じた。無意識のうちに、彼女の手を掴んだ。あの時掴んだ手と変わらない小さく、未発達の手。いきなり手を掴まれたのに、ラジュネスは驚いた素振りはなく、エテルネルに視点を合わせる。そして、エテルネルが持っていた椀に視線を動かした。

「少し食べようか…」

椀を受け取ったラジュネスと、その隣に座るエテルネル。ラジュネスは木匙で肉をどかして、汁だけを口に入れる。汁を飲み込むまでにも時間を使っている。

(食事はあまり気乗りしないか。でも、少しずつ栄養をとっている。野菜の方は完食に近いが、肉か…)

椀の中に取り残された肉。一度、小さく切った肉を入れた炒飯を出したことがあった。その時も、ラジュネスは肉を食べようとはしなかった。万人に好まれるハンバーグは、スィエルにあげていた。

(エネルギーと脂質を手っ取り早く取れるのは肉なんだが…)

「なあ、肉は好みじゃないのか?」

「…」

「人には好き嫌いがある。食感が嫌いって意見があるから、責めたりはしない。嫌いな理由を知ってれば、他の食材にも活かせると思ってな」

「…」

「嫌いなら嫌いでいいんだ。気が向いたら、教えてくれれば…」

「人を食べてた感覚を思い出すから」

エテルネルの頼みに、ラジュネスがぽつりと言った。思わぬ内容に、エテルネルは動きを止めた。ラジュネスは、淡々と真実を語る。

「私はデスティネの実験体だったから。デスティネは自らが調合した毒を試すために、私の食事に盛った。私の食事は他の子と違って、全部人肉だったのが…一番嫌だった。実験の一環で生だったし、毒もあったから、体を壊すのは多かったし…デスティネが見張ってたから、全部食べないといけなかった。食べなきゃ鞭が飛んでくる…ぐちゃぐちゃの食感が気持ち悪くて…

食べないといけないのは分かってる。用意してくれたものに毒が入ってないのも、人肉じゃないのも分かってる。けど、口に入れようとすると、罪もない誰かの肉を食べて生きようとする私を思い出して、嫌になる。

忘れるって決めてたことを思い出して、大丈夫なように大人が用意してくれた環境を疑ってしまう。大人が気にかけてくれてるのに、怖がって応えられない私がいる。みんなが出来ていることに私だけが躓いて、我儘言って周りを困らせてる。

何度も変わろうって決めてるのに、結局は変われない。過去に縛られて、進めなくて、こんな自分が本当に嫌になる…

スィエルとヴェリテは先々進んでるのに…足手まといになってるけど、変わらないから…結果を示さないと証明にはならない。だから、生きてていいのか分からなくなる」

空気が冷えて、沈黙が生まれる。気まずい空間が生まれる。ラジュネスはやってしまったと後悔して、肉だけが残った椀を置いて、立ち上がる。

「気持ち悪かったでしょ、理由。聞かなかったことにして、忘れて」

口を押えながら、テントを出ようとする。入り口付近で、エテルネルの手が届く。手を掴まれて、今度は驚いたラジュネス。

「気持ち悪くなんてねえよ」

「…!」

「なあ、夜の散歩に行こうか」


夜が更け、空には星々が輝いている。夜の主役である月が道を照らす。夜道を闊歩するエテルネルは、ラジュネスの手を握ったままである。歩くうちに、植物に霜が降りていることに気づいたラジュネスは、そちらに視線を落とす。進むにつれて、段々と植物が半透明になっている。氷で創られているようで、中々に興味深い。

「ラジュネス」

「ん」

「俺と初めて会った時、どう思った?」

「…変な大人で、あまり関わりたくない」

「今はどうだ?」

エテルネルがぎゅっと力を込めた。変わらず優しいが、ラジュネスの手が僅かに軋む音がする。だが、ラジュネスは握り返す。

「嫌じゃない。エテルネルの近くにいたら、安心する」

「ああ、そう思ってくれてるなら…ちゃんと進んでる」

エテルネルが立ち止まる。

「信念を変えることは大人でも難しい。幾千の時を生きながらえる神人にも困難だ。でも、できてる。目に見えてないだけで、ちゃんと進歩してる」

「でも、私は…心配してくれてる大人を疑ってる」

「子供なんてそんなもんだ。気にすんな」

エテルネルが植物に覆われている隠れ道を見つけた。今度は肩を並べて、隠れ道を歩いていく。少しと経たないうちに、ラジュネスの瞳に、神秘が映る。

流れる川がきらきらと反射しながら、発光している。他にも、氷の大樹、花々、飛び交う蝶も氷でできている。月星の輝きを吸収しているのだろう。全てが氷でできた大地は、誰かの力を借りて、それ以上の燦爛を齎して、感動を与えてくれる。氷の上を進むシャリシャリとした音が愉快だ。憂いが吹き飛ぶ青の洗礼に、ラジュネスは微笑んだ。初めて見たラジュネスの笑顔に、エテルネルは深い感動を味わう。


(この子は…こんなにも穏やかに笑うんだな)


「綺麗ね」

「ああ、そうだな」

ラジュネスは小川に手を入れて、水がくすぐってくる感覚を楽しんでいる。目覚めてからずっと思いつめたような、つらい表情だったラジュネスが歓喜で満ちている。

穏やかな笑顔をずっと浮かべているラジュネスの隣で、同じようにしゃがみ込んで、小川を眺める。

「好きを見つけるより、嫌いをなくすことは難しい。今まで怖かったこと、嫌なことを腐らずに続けてきたお前なら、絶対に克服できる。

大人の期待に応えようと、信念を向けてくれるなら、お前のペースでいい。ゆっくりでいい。回り道でいい。いつの日か、誰かに頼れる子に、助けを叫べる子に…成長して欲しい」

「待てれるの?」

「もう何百年と生きてる。そんなん楽勝だぜ」

「……そう」

「明日にはネージュ・セルクイユに着く。お前の苦しさが少しでも緩和できるように頑張るから、ちゃんと見ててくれ。もし、お前に危害を加えるような奴がいたら、ぶん殴っていいぜ。責任は全部負ってやる。一回、好きなように生きてみろ」

ラジュネスは新緑の瞳を大きく開けた。今までは綺麗だと感じていただけの瞳に、無邪気さが見えて、人間味が増した。

ふわりと笑う。

あどけなさが残る顔。愛らしくて、庇護欲が掻き立てられる。

この短い時間で、距離が近づいた気がした。

エテルネルがラジュネスの頬を優しく包み込む。大柄なエテルネルの手で、ラジュネスの顔が覆いつくされそうになる。彼女は怖がる様子もなく、エテルネルの温もりを感じて、目を閉じた。穏やかで、この笑顔を壊したくない。

エテルネルが顔を近づける。二人の唇が重なった。吐息が漏れる。静寂は、小川の囁きに遮られる。

「、ん…ぅ」

「大丈夫か?」

「うん…」

火照る顔を恥ずかしそうに隠すラジュネス。悪びれることはないが、心配の声をかけるエテルネル。二人の間に異質な関係が結ばれる。

「ラジュネス」

「…ん」

「結婚しよう。なるだけ早く、お前の傍にいて、お前を守りたい」

太陽を彷彿とさせる瞳が、新緑を穿つ。ラジュネスは、ごつごつとした彼の手に、雪のように白い手を添えた。

「いいよ」

温もりが冷却されて、適温になる。


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