13話 虚ろな少女
目の前で、子供が死んだ。
その理由は私が逃げようとしたから。腹いせでも、あれは私のせいだ。抵抗しなければ、あの子たちも今は生きられていたかもしれない。
『また、お前のせいで人が死んだ』
「っ…」
ラジュネスは目を覚ます。悪夢に魘されていたのか、呼吸が荒い。汗が気持ち悪くて、どこか焦っている。ここがどこなのか、一瞬分からなかった。でも、すぐに受け入れる。
傷で軋む体をゆっくりと起こし、辺りを見回す。サイドテーブルには水と処方された薬。食事が用意されていた。日が傾くごとに新しく用意されるが、手を付けない。匂いからして毒は入っていないだろうが、食欲が湧かない。
部屋にはラジュネスだけ。でも、外には見張りの兵がいる。談笑している。恐らく、二人。
点滴の音が響く。
ずきん、ずきんと体が痛む。痛み止めの薬もあるが、手は出さない。使うなんて贅沢だから。ただ、堪え忍ぶ。
ラジュネスはベッドの端にもたれかかり、蹲る。痛みを我慢しようと目を閉じると、悪夢が浮かんで、苦しい。いや、悪夢じゃない。実際にあったことだ。
抜け出そうと羽を持ったあの日、大人に飛ぶことを壊された。そして、羽を毟る為に、自分とは関係のない子供と大人が処刑された。デスティネからは毎晩責められた。
デスティネの洗脳は、洗脳じゃない。事実だ。
私がやってきたことと、周囲の反応。
成長していく度に、生きる手段が身について、生きるために誰かを殺さないといけない。生かしてもらう為に、技術を磨き、その度に殺す。
最高戦力と、軍部最高司令官になってから、仕事は増えた。
生きないといけない理由と、逃げてはいけない理由が増えていく。罰の数も増えて、でも、それは当たり前のこと。一度守れなかった命の代わりに、今生きている子を守るために。そして、贖罪のため。
守りたいと思うたびに、命を屠り、贖罪が増えていく。償えないなら、せめて周りに迷惑がかからないようにしていたい。
生きちゃいけない理由を理解されて、死にたい。
「ん、」
ラジュネスは足を触り、痛みが和らぐように解す。だが、痛みを背負うことが贖罪だと思っている彼女は、手を足から離す。
膝に頬を置いて、外の景色を眺める。苦しんでも、雲は絶え間なく流れて、日は昇る。本当に大切なら、曇天であってほしい。そうじゃないなら、生きる価値がないと教えてくれる。
「…なにすればいいのかな」
エテルネルという大人と話してから、何日経ったのだろう。一日の終わりにメリハリがない。任務をこなすために、体を酷使していたが、いざ何か欲しいものはなんだろうと考えると、何も浮かんでこない。虚空を感じる。
世界に、ぽっかりと空虚な穴ができたみたいだ。
コンコン…
扉をノックする音。返事はしない。関わりたくない。どうせ、食事を取れとか、薬を飲めとか、小言を言いに来ただけだ。
「ラジュネス、少しいいか?」
尋ねられても、言い返さない。声からして、エテルネルという大人だ。見張りの話だと、自分に好意を寄せているらしい。自分のことを知りたい愚かな大人という印象が先走って、よくは思わない。
彼は椅子に座る。手に何かを持っているようだが、事情聴取だろう。声無きため息をこぼしながら、顔を埋めたラジュネス。
エテルネルが手を伸ばして、彼女の横髪を耳にかける。
「ヴェリテに協力してもらった。軽い言葉ですまんが、ここにはお前を責める奴はいない。お前の苦しみを理解してくれている」
「五体満足であったなら、そうはならなかった」
「…」
「もし私が瀕死でなかったら、同情なんてされていない。牢獄に入れて、情報だけ得て、あとは捨てるだけだ。憎悪の対象が痛みに怯える小物だから、あなた達は助けた」
「だとしても、俺だけはお前を生かした」
エテルネルの言葉が癪に触ったのか、ラジュネスは彼の胸倉を掴む。
「そんな薄っぺらな御託いらない。さっさと言えよ! 憎いんでしょ? こんな子供に殺されそうになったら、矜持に欠けるものね? あんたたちが欲しいのは子供を助けた実績。所詮、国も大人も実績と利益だけを優先する。団長なら分かるでしょ、こんなちっぽけな子供を助けたところで、何の利益もない!」
ラジュネスの怒号を聞いた見張りが覗く。エテルネルに危険が及ぶと察知して取り押さえようとする。だが、エテルネルが止める。
「あなた達は、いつになったら殺してくれるの? こんなに私が生きちゃいけない証拠だってあるのに!
助かるとか、もうどうだっていい!
それ以上に人を殺めたんだから…私は、死なないと………いけないんだよ」
ラジュネスは叫びながら、デスティネに言われ続けた言葉を思い出して、言葉が詰まる。急に威勢がなくなる。
エテルネルを掴む手が緩んだ。
「私は、私は…また、誰かを不幸にしなきゃいけないの?
…もう、うんざりだよっ…」
ラジュネスが切実に言う。彼女の手が震えている。腹に巻いてある包帯が血で滲んでいる。傷が開いて痛いだろうが、彼女自身が興奮していて気づいていない。傷のことを指摘すれば、かえって収拾がつかない。ラジュネスの視線は彼女自身の手に向けられている。何が見えているのだろう。
「…汚れる…やだ、もう関わるな…汚くならないで………だめだよ…ごめん、汚しちゃった…ああ、なんで、こんなに醜いんだよ…許して、許さないで…許されないよ」
ラジュネスがぼそぼそと呟く。彼女が見ている悪夢を覗いてやりたいくらいに、早く救いたいと思ってしまう。ひっ、と悲鳴を上げたラジュネスが顔を逸らす。目が合わないように、目を瞑って、深く心を閉ざす。それでも何かに怯えて震える。
エテルネルは胸倉を掴んでいるラジュネスの手をそっと包み込むように、手を添える。びくりと肩を震わせるラジュネスは、悲痛な顔をしながらも、じっと視線を送る。
「汚れたって構わない。俺が不幸になるときは、お前が苦しんでいる時だ」
「…」
「一目惚れしたと言われても、眉唾な話で信じられないのは分かっている。嘲弄してもいい。だが、これだけは知ってほしい。俺はお前を絶対に幸せにしたい」
エテルネルは手に持っていた物を、ラジュネスに渡した。紙が束ねてある。綺麗なものや、くしゃくしゃになっているものなど、様々だ。だが、どれにも何かが書いてある。
「ここ数日、子供たちのところを訪問していた。お前が直前で救った子だ。分かるか?」
怪しみながら、そっと白紙を捲り、下にある紙を見る。
《おねえちゃ、元気ですか》
そう書かれてあった。ラジュネスはゆっくりと捲り、時間をかけて、連なる文字を読み取る。
《ママ、パパは、とっても…やさしい。いっしょに遊んでくれる》
《ごはん、おいしいよ。ほかほかのパンが、やわらかくて、ほっぺたおっこちちゃいそう》
《ふかふか、おふとん》
《たくさん遊んだり、べんきょーすると、ほめてくれるの。もっと、がんばるね》
《ともだち、できた!》
《お手伝いもしてます。大変だけど、楽しい》
《なまえ、たくさん呼んでくれる。うれし、な》
拙いながらも必死に書いている字。潰れていたり、語句が抜けていたり、インクが滲んでいたりするが、使える限りの言葉で、思いを伝えてくれている。どの紙にも、絵が描かれてある。白を埋めるように色彩豊かなものが描かれている。
笑顔の太陽。雨と虹。パン。ママやパパの似顔絵。料理を描いた絵。練習中の文字も入っている。
「写真…」
友達と遊んでいる写真や、ご飯を美味しそうに食べている様子が撮影されているものだったり、どこかに旅行をしたときに撮ったであろう写真など、沢山だ。でも、どの写真に映る子は全員笑顔で、楽しそうだ。
「アンフィニ様と一緒にいた子供達だ。今は里親の下にいるが、どの子も異常なく過ごせている。お前が一人一人に書いたカルテのおかげだ。諸事情で子供を諦めてしまった大人が里親に名乗り出てくれた。最初は不安そうだったが、どの子も素直で、聞き分けもいい。写真は里親からだ。今まで子供たちを守ってくれたことへの感謝と尊敬の意を伝えてほしい、と。
お前が治療に奮闘していると伝えたら、子供たちは快く、手紙を書いてくれた」
エテルネルが経緯を話してくれた。ラジュネスは一枚一枚を丁寧に扱い、最後の紙を見る。それは他と違って、絵が描かれていなくて、装飾にこだわっている便箋だった。
器用な字で書かれてある。
「…ロクザン」
ラジュネスは便箋を認めた子の名前を呟く。
「ああ、ネージュ・セルクイユから届いた便箋だ。知り合いだといいが…」
《お久しぶりです。三年前、あなたに逃がしていただいたロクザンです。覚えておいででしょうか。
“あなた”は馴れ馴れしいですね。ここでは、貴殿と呼ばせていただきます。
三年前、本当は貴殿が助かるはずだったと聞いています。なのに、私を送り出してくれたことも聞きました。
ですが、そのおかげで、私はこうして手紙を書くことが出来ています。ご飯も満足に食べられ、ふかふかのベッドで寝れています。仕事もして、将来のことを考えることができています。働くことは大変です。とんだ皮肉です。
働きながら、私たちを守り、そして助け出してくれた貴殿の苦労がやっと理解できました。ほんとうに、感謝しきれません。
貴殿が苦しんでいると、風の噂を耳に挟みました。三年前の感謝と謝罪を伝えたく、使者を遣わせるに到ります。
今更かもしれませんが、御礼がしたいです。ネージュ・セルクイユ総出で、貴殿を歓迎します。
そして、この手紙が、貴殿の心に響いてくれれば幸いです。
少し皮肉になりますが、理解していただきたい。この世界は様々なもので溢れています。美味しい食べ物や、綺麗な景色。鬱陶しいと思うことも愉快に思うこともあります。困難にぶち当たった時に、助けてくれる人がいます。言葉にできない気持ち。見返りを求めない人もいます。不思議で、理解できないけど、そんな時に生を実感します。
心からの恩人には、その全てに出逢ってほしい。貴殿を大切に想ってくれる人がいることを、知っていてほしいです。私ロクザンも、その一人です。》
「う゛あ゛あ゛…あああ、、」
手紙を読んでいたラジュネスの瞳から、涙が溢れ落ちる。零れる涙が宝石のように光を反射させる。必死に止めようとするも、涙は止まらない。エテルネルは朗らかに微笑んで、ラジュネスを抱きしめた。
「お前は悪いこともした。だが、良いこともした。お前の不幸を願う人間がいるように、幸せを願う人間もいる。影を指摘し、罵倒する人間がいようと、お前の光に照らされて生きている人間もいる。苦悶は報われる。この手紙が示してくれているように…」
手紙の最後の文。
《貴殿に逢わなければ、私は今生きていません。
貴殿が生まれていなければ、私はいなかった。
だから、生まれてくれてありがとう。
生きていてくれて、ありがとう。》
その文にラジュネスは涙がぼたぼたと零れる。
「お前が怖いと思うものや、一人では立ち向かえない脅威は俺が壊す。大丈夫じゃないなら、俺が大丈夫にする。この世界で好きを見つけていこう。お前が生きててよかったと思えれる世界を見せる」
エテルネルはラジュネスの目を見つめる。新緑が揺れ、潤んでいる。それに向かい合う太陽を彷彿とさせる赤い瞳。
「生きることに理由が必要なら、俺がなる!」
「―!」
「これから出会う全てが、いいものであるとは限らない。それでも、綺麗なものは確かにある。俺はそれを、お前に見せたい。だから、今だけは俺の為に生きてみないか?」
涙ぐむラジュネスは一瞬考えるが、手紙をぎゅっと握りしめて、決意した。そして、エテルネルの手を握る。とても可愛らしい力加減で、懇願するような仕草。
「もう一回……もう一回だけ、信じたい」
「おう…」
「私が、生きていい理由…見つけたい…」
「一緒に見つけような!」
眉を下げて笑うラジュネスと、明朗に笑うエテルネル。ラジュネスの頬に涙が伝う。エテルネルはごつごつとした手で、それを拭い、言った。
「ラジュネス、俺を信じて選んでくれて、ありがとう。その選択が間違いでなかったこと、証明するからな」
その言葉に、ラジュネスは再度涙を流す。
それは、これまでの苦労を暗示しているのかもしれない。一人で闘ってきた苦境が、落涙とともに流れる。慟哭は、ラジュネスの身を案じている大人に届く。
でも、その涙は甘いだろう。
大人のふりをして、本当の姿を隠していたラジュネスが、今は感情に素直な子供になる。やっと子供の姿を曝け出す少女を、責める大人はいない。
流した涙の数だけ、喜びが訪れることを願う。
過去を消すことはできないが、未来を明るくすることはできる。
一人で、道を照らすことは難しい。だが、道を知っている者が照らせば、歩いて行ける。また、新しくやり直せる。そして、一緒に道を歩く者がいれば、楽しいことにきっと出会える。
エテルネルは誓う。
「これから進む道を照らす灯火に、俺がなる」




