一話 心酔の鬼
―周りは不幸になるから、誰ともいたくない
彼女は虚ろな目でそう言った。
戦場は果てしなく残酷で、復讐の怨嗟を生む。
敵と味方、どちらも生きるために必死で、文字通り命を懸けている。自分だけが無事でいられれば良い。逃亡者は後を絶たない。だが、殺される。
助けてくれと命乞いをする声も、殺してやると罵りを語る声も、家族を想い死にゆく同胞の声も、全てを捨て去り、敵を屠る。終わりが見えない地獄の時間。
時間が経つごとに増えていく死骸。踏みつけられて誰であるのか分からないほどに変形している。鼻を突く悪臭。血みどろな剣を握る手を、無情に降る雨は洗い落としてくれない。
朦朧とする意識の中、突如として脳天を刺す衝撃に出逢う。
黒々とした戦場に不一致な銀髪を靡かせる少女。少女が振り向くと、その新緑の瞳が、俺を射止めた。
ああ、綺麗だ。
次の瞬間には、脳を震わす攻撃が当たり、俺の体から血しぶきが飛んでいた。俺の体はゆっくりと地面に倒れ、力が入らない。
「エテルネル!!!」
少女が俺に追撃を仕掛けようとするも、それは俺の同胞によって阻まれた。
「エテルネル! おい、しっかりしろっ!!」
「ぁ…」
「~~~っくそ!! おい、エテルネルを守るぞ!!」
一人の同胞の声で、部下が集まる。俺に声をかけ続け、死なないでと懇願する声も、鬱陶しい。俺の意識はいつのまにか沈んでいた。
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「う~ん…」
俺は全身を鏡に映した等身大の自分を見る。赤の鋭い瞳と、橙色の髪。インナーとズボンが合成された服を帯革で締め、毛皮の外套を肩にかける。
アバンチュール軍団団長エテルネル・オンブル・セレニテである。
通常の装いと違うのは右目だ。先の大戦を受けて、右目を失明してしまった。たかが、右目如きを失っただけでショックはないのだが、こうして鏡で見ると、その痛々しさが身に染みる。
「エテルネル、どうしたんだい?」
俺が唸っていると、部屋の奥で着替えを終わらせた女が顔を覗かせる。ホワイトのスーツパンツに、胸の開けた黒シャツ。肩にかかる長さの藤色の髪。縦長の瞳孔と耳。姐御肌の口調。種族は竜族のアバンチュール魔法特務隊隊長レーヴ・クラージュ。
「レーヴ」
「まだ体が痛むのかい?」
「いや、俺って右目が無くなってもかっけえな」
「元気そうだね。オレが殴ってやろうか」
俺の発言を軽く受け流すレーヴは、机の上に置いてあったネックレスやらを手慣れた様子で装着する。
「あんたが二ヶ月も眠ってたのが嘘みたいだよ」
「…」
戦場から記憶が途切れている。次に起きた場所は血腥い戦場ではなく、ベッドの上だった。起きるなり、同胞や部下に抱きしめられ、罵声やら再会を喜ぶ言葉をかけられたのは、良い記憶だ。その時に告げられたが、俺は戦場で意識を失ってから二ヶ月もの間、眠りについていたらしい。そんなこと生まれて初めてだ。右目を失ったのも、その時だ。腕を動かし、寝ぐせのついた髪をかきあげる。
「ほら、あんた専用の眼帯だよ」
「ん」
レーヴが渡してくれた眼帯を右目に着ける。こんこんと扉を叩く音に、レーヴが返事をする。
「さてと、早く会議に行こうかね」
「ああ」
レーヴと肩を並べて、会議室まで歩く。途中にすれ違う部下が会釈してくるのを笑顔で返す。
「いつものあんたで安心したよ。あんたが大戦で負傷した時は軍団もうるさかったしねえ」
「俺も驚いてるよ。で、見つけてくれたか?」
「あんたを昏睡状態にしたっていう少女のことかい。銀髪に新緑の目。人間にしちゃあ珍しい特徴だけど、敵国にそんな人間はいなかった。戦場にいたならとっくに死んでるかもしれないよ」
「俺を倒した奴が死ぬなんてありえねえよ」
「それはそうだけど、でも見つからなかったよ。なんで、人間を探してるんだ?」
レーヴの質問に、エテルネルは黙った。
「鬼のあんたが、たかが人間に執着する気持ちがわからねえ。復讐っていう性分でもないだろうし、何の目的が…」
「俺もわからねえ。ただ、もう一度会ってみたい」
エテルネルが複雑な思いを抱いていることに、レーヴは顔を伏せた。話をしていると、二人はいつのまにか会議室の前に到着していた。黒ずくめの部下が扉を開ける。すでに、会議室には幹部らが揃っている。円卓に供えられた四つの椅子。その一つにエテルネルが腰を下ろす。
「よお」
「?」
直後に、向かいの席に座る男に声をかけられた。深緑の短髪と金色の目。小柄な体格で、外見は完全に子供そのもの。だが、その見た目とは裏腹に、エテルネルよりも年上の竜族であるアバンチュール秘匿部隊隊長エクラ・エトワール。
「復帰できたみたいだな」
「お前が俺の仕事を担ってくれたからな。助かったぜ」
「そうだよ、エテルネル。感謝すべきだ。エクラはあんたのことを誰よりも心配してたんだ」
「おい!」
レーヴの横槍に、エクラは怒る。
「起き掛けだと言うのに、騒々しいですね」
レーヴの向かいの席に座る黒髪の男。ミステリアスな紅い瞳が、三人を見据える。レーヴと同じとんがった耳。種族は精霊。そして、アバンチュール随一の魔法の使い手の称号を持つアバンチュール隠密部隊隊長ヴォヤージュ・スクル・レゾンだ。
「ヴォヤージュ」
「煩くすると傷が開きますよ。そうなれば、治療師に迷惑がかかる」
「へっ、肝に銘じておくぜ」
「分かればよろしい。それでは会議を始めましょう。神人様がまだお見えになっていませんが、調査報告でもしましょうか」
ヴォヤージュが部下に合図をして調査報告書を配る。
「二ヶ月前に勃発した我がアバンチュールと、宿敵ヴォク・ラテクとの大戦。我々アバンチュールの完敗。エテルネル君が意識を失ったところから、我が軍は総崩れ。だが、面白いのはヴォク・ラテクは、オレ達アバンチュールの他に三か国に戦争を吹っかけているらしい」
大陸には多様な人種が存在しており、その中でも最高位に君臨する”神人”と呼ばれる五柱。現在の大陸は五つの国に別れ、それぞれを神人が治めている。神人同士の仲がいいとは限らず、アバンチュールの神人とヴォク・ラテクの神人は昔から険悪な仲であるため、建国当初から戦争が続いている。
「…」
「ヴォク・ラテク帝国は人間奴隷を戦闘に起用しているが、二ヶ月前の大戦では、その奴隷の一部がおかしかった。まるで意志を持ったように動いていた。それも踏まえて、魔法式隊と隠密部隊が協力して調べてみたよ。調査報告は部下にでもお願いしようかね」
レーヴとヴォヤージュ、それぞれの側近らが調査報告を発表する。
「ヴォク・ラテクを治める神人は建国以来変わらぬ政治体制を行っています。人間を奴隷にすることで、他の種族の不安を取り除いています。潜入捜査官の報告によれば、人間は戦闘や雑用・性奴隷に分類され、功績を立てれば、ある程度の待遇を望めるらしいのですが、それでも劣悪な環境であることに変わりはありません。地下での医療実験。関係者の話では毎日行われているらしいです。使い物にならない人間の数が多いそうですが、治癒魔法で治すことで、何度も使いまわしができると愉快そうに笑っていました。ヴォク・ラテクでは人間奴隷が合法なので、それに基づいた賭博・人身売買は日常茶飯事。それに関する税も開拓されています」
「地下には実験室の他、人間の赤子を量産していました。赤子を宿らせた妊婦に時間魔法を用いて、妊娠を早め、生む。体力が回復していない女を孕ませ、短期間のうちに奴隷労働者を生み出していました。また、労働の観点だけでなく、最近では戦争に備えて、戦闘兵を育成しています。少しでも魔力を持っている子供だけを選抜し、大量の魔力を注ぎ、適応させる実験も行われていました。私が潜入先で見ただけでも、五十人程の子供が命を落としていました」
部下らの報告に、会議に居合わせた者達は、あまりの惨さに言葉を失う。
(人間は、竜族や精霊、獣人よりも特化した能力がない。だから、人間は俺たちの脅威にはならない。それを逆手に取った道徳に欠けた行い。やはり、ヴォク・ラテクを残しておくわけにはいかん…)
エテルネルは怒りがこみ上げる。これが調査結果の一部だという事実が信じられない。
「報告を続けます」
「……頼む」
「潜入捜査官は城内部の調査にあたりました。軍事記録を調べていますと、興味深いものが見つかりました。もしかすると、エテルネル様が探していらっしゃる方かもしれません」
部下が複製した軍事記録の一部と、三名の似顔絵を提示する。右から、ターコイズブルーの髪と桃色の目を持つ少女。こげ茶の肌の金色の目で、黒髪を白いフードで隠すギザ歯の少年。そして、銀髪に新緑の瞳を持った少女。
「右から順に、スィエル。ヴェリテ。ラジュネスと呼ばれています」
「人間?」
「はい。この三人を知る者曰く、量産的に生まれた子供で、魔力により濃く適応した被検体です。ヴォク・ラテクの神人が直々に奴隷にし、使役しているそうです。そして、この三名は数々の戦場に赴き、単独で功績を上げています。言うなれば、ヴォク・ラテク帝国最高戦力でしょうか…」
「魔力を持った人間の子供。魔力に富んだとなれば…接触はできたか?」
エクラの質問に、部下は顔を見合わせた。そして肯定も否定もしない返事をする。
「スィエルは先ほど報告した赤子の大量生産所で、ヴェリテは魔力適正の研究で接触に成功。しかし、業務内容だけで、あとは沈黙。看守の獣人を終始気にしている様子でした」
「…最高戦力なのに、立場が低い?」
「戦力として扱いが丁寧になっているだけで、元より被検体という立場なので…ですが、調査を進めていくと、ヴォク・ラテクがなぜ急成長を遂げたのか。その真相を推測するに至りました」
部下は最後までとっていた銀髪の少女について話し始めた。
「彼女の名はラジュネス。二ヶ月前の大戦でヴォク・ラテク側の指揮を執り、我々に勝利した英雄です。そして、軍事記録や役職の名簿を遡った結果、ラジュネスは五年前…十歳で初陣に臨み、その戦いでも勝利しています。以後、彼女のいる戦場ではヴォク・ラテクの勝利は確実なものとされています」
「ヴォク・ラテクの英雄…こんな小さな子供が?」
「信じられませんが、潜入中、彼女との接触は一度もありませんでした。城内の噂では、神人の相手やら、他国との戦争で多忙を極めているそうです。私たちの調査結果は以上となります。お役に立てず申し訳ございません」
深々と謝罪する部下に反応したのは、直属の上司レーヴとヴォヤージュではなく、エテルネルであった。
「いや、最高の結果だ」
エテルネルはラジュネスの似顔絵を手に取って、不敵に嗤った。
「この娘だ。俺が探していた。俺の右目を奪った奴だ」
興奮しているエテルネルの息は荒く、目がギラギラと輝いている。凶暴で、獰猛な笑みは欲望を曝け出している。
『元気そうだな』
彼に声をかけづらく、気まずい空気に陥っていると、甘美な声が部屋に響く。その声を聴いて、咄嗟に礼をする。ヴォヤージュ、レーヴ、エクラ、エテルネルは椅子から立ち上がり、頭を垂れる。
『楽になさい』
甘美な声の主は不服そうに、彼らを正す。ヴォヤージュが代表して聞いた。
「御尊顔に拝し、恐悦至極に存じ奉ります。アンフィニ様」
『お前はいつ見ても麗しいな、ヴォヤージュ』
アンフィニと呼ばれる長身の男。アクアマリンの瞳が朧気に輝き、同じくアクアマリンの緩やかに波打つ髪が絡まる。ゆったりとした一色の服と、華美な羽衣を纏う。彼こそが、アバンチュールを治める神人である。
『エテルネル、元気なのはいいが、お前の殺気に耐えられるものは数少ない。配慮なさい』
アンフィニがゆるく説教をする。だが、怒りは感じられない。アンフィニは席に座ると、円卓の上に置いてある子供の似顔絵を見た。
『場所が違えば、もう少し輝けただろうに…あの愚兄にはもったいない』
「御命令とあらば、暗殺部隊も編成します」
「殺すなら、いつでも動けるぜ」
ヴォヤージュとレーヴの殺気を帯びた言葉に、一瞬アンフィニは思案する。そして、
『ぜひとも、私のものにしたい。保護しよう』
アンフィニの命令を受けて、四人は頷き、部下らもすぐに動く。
『エテルネルは何か望みがあるかい? 一人くらいなら譲ってもいいよ』
浮かない顔をしていたエテルネルを見て、アンフィニが問う。予想外の配慮に戸惑うことなく、彼は言う。
「ラジュネスを俺の妻にする!」