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6)あの小学校へ、再び引きずり込まれる日


「じゃあ、文化祭の出し物、なにやるか話し合おうぜー!」


ホームルームが始まると、クラス全体がざわつき始めた。

演劇、喫茶店、脱出ゲーム……出てくる案は王道ばかり。

僕も、何か適当に相槌を打っていた。


でも——


一人の女子が、軽いノリで言った。


「じゃあさ、みんなで朝の光踊るってのはどう?」


その瞬間、教室の空気が一瞬止まった。


僕の心臓が、ドクン、と跳ねた。


(……今、何て……?)


「え〜!あれ小学校でやったやつじゃん!懐かし〜!」

「でも逆に面白くない?全員であのフォーメーションやるとかさ」

「動画にしたらウケるかも!ちゃんと振り覚えてる人いる?」


クラス中に、面白ネタとしての空気が広がっていく。


でも、僕はただ、笑えなかった。


(いや、だって……あれ、俺……

本当に踊って、

覚えて、

帰ってきたんだぞ……?)


担任がホワイトボードに「朝のダンス」と書き加える。



拍手と笑い声が起こる。


その中で、僕はひとり、

机の中で手をぎゅっと握りしめていた。


爪が、掌に食い込む。


(やめろ……

やめてくれ……

ここまで戻ってきたのに……

なんで、あれが、また来るんだよ……)


「でもさ〜、せっかく朝の光やるなら、もう小学校のときの感じでやろうよ!」


誰かがそう言った瞬間、

教室にまた笑いが起きた。


「あ〜、あの白の短パンな!」

「マジで懐かし〜」

「名札つけてか!?」


心臓が止まりそうになった。


担任も、ノリノリで言う。


「いいねぇ。徹底的に小学校時代を再現して、

『あの頃の僕たち』を届けようってテーマにするのは?」


(やめろ、やめろ、やめろ、やめろ……)


でも、誰も異を唱えない。

もうそれが決定事項になっていく空気だった。


僕の視界が、遠くなる。


耳の奥で、

「朝の光を胸に抱いて〜♪」

あの音楽が、また流れ出していた。


視界の端で、

誰かの机の上に、畳まれた体操服が見えた気がした。


(俺、また——帰ってこれなくなるかもしれない)


「ねぇ、せっかくだから——」


女子のひとりが、机に手をついて言った。


「文化祭当日は、もう一日中、小学校の制服で過ごそうよ!」


「で、ダンスの時はさ、体操服に着替えて踊るの!」


一瞬、間があった——でも、それは否定のためじゃなかった。


「うわ、それ面白すぎ!」

「マジで完全再現じゃん!」


やろうやろう!

拍手が起きた。笑い声が重なる。

盛り上がりは最高潮に達した。


その中で、僕だけが、声を出せなかった。


胸の中で、何かが静かに崩れていた。


(もう……ダメだ……

この世界も、向こう側に引きずられはじめてる)


翌日もジャージで通学した。まだ高校の制服は見つからないからだ。そして、

翌日の放課後、ダンス練習の時間。


体育館の床に、バラバラに集まるクラスメイトたち。

みんな、軽く準備運動をしながら、高校のジャージ姿だった。


その中で、僕ひとりだけが——

白い小学生の体操シャツと、白の短パンを着ていた。


「うわ、気合い入ってんな〜!」

「マジで再現じゃん、それ!」

「文化祭本番、全員それでやったら絶対ウケるって!」


笑いながら、声をかけられる。

でもその視線には、ほんの少しの「感心」と「距離」が混じっていた。


先生がCDをセットする。

例のイントロが体育館に流れ始める。


「朝の光を胸に抱いて〜♪」

「進め前へ明日のために〜!」


……誰も動かなかった。


「え、ちょっと待って、これって最初腕伸ばすんだっけ?」

「足、こっちから踏み出すんだっけ?」

「全然覚えてない〜!ヤバ!」


誰も、あれを覚えていなかった。


小学校の頃あんなに完璧だったあの動きが、

今ではただの思い出の中の曲芸に成り下がっていた。


でも——


僕だけが、身体が自然に動いた。


腕が伸び、膝が曲がり、リズムが乗る。

音に合わせて、「あの場所」と同じように踊れた。


(……覚えてる。

身体が、忘れていない。

俺だけが、まだあそこにいる。)


「はる、すげぇ!完璧じゃん!」

「ちょっと前に出て、動き教えて〜!」

「リーダーやってくれよ!」


前に出された。

そして、僕が朝の光を、みんなに教える役になった。


まるで、あの学校のクラスメイトたちの代わりを引き継ぐように。


練習が終わり、音楽が止まる。

みんなが「疲れた〜!」と笑いながら体育館の隅に移動して、水を飲んでいた。


僕は一人、端のベンチで体操服から制服へ着替えていた。


着替え中、バッグの中に小学校の制服をしまっているところを、誰かに見られた。


「……え、はる?

それ、小学校の制服じゃね?」


視線が集まる。


「あっ、本当に持ってきてたの!?

ガチのやつ!?マジで??」

「すげぇ、そこまでして再現する人いる!?」

「え、てかサイズ合ってるの怖いんだけどw」

「ってか名札ついてるし!

『イチノセハル』って、カタカナじゃん!!」


笑いと驚きが、交じり合った空気で僕を包んだ。


でも僕は、笑えなかった。


みんなは楽しそうに見てる。

でも、これがネタじゃないことを、僕だけが知っている。


僕は答えた。


「……うん、ちょうど見つかって。

サイズも……合ったから。

せっかくだし、ね」


(せっかくだし、ね)


自分の口から出たその言葉に、

自分がこの空気に合わせてしまっていることに気づく。


あの学校で着させられた服。

苦しくて、怖くて、逃げたくて仕方なかった服を——

自分の意思で持ち出して、着て、今、笑われている。


誰も悪気はない。

でも、誰も本当のことを知らない。


「え〜、はるさ、せっかく持ってきてるんだからさ」

「ちょっと見せてよ!本番こんな感じ〜って!」

「写真とか撮って文化祭のポスターに使おうぜ!」


軽いノリだった。

誰も悪気はなかった。

みんな笑ってた。


でも——僕はもう、わかってた。


「これ、また着たら……戻るかもしれない」


それでも、バッグから制服を出す。

畳まれたシャツと深緑のズボン。

胸元には、カタカナで刺繍された「イチノセハル」の名札。


着替えは、もはやスムーズだった。

ボタンを留め、ズボンを履き、靴下を揃える。


袖を通した瞬間、空気が変わった気がした。


でも、教室の雰囲気は明るいままだった。


「うわっ、ほんとに似合う!やばw」

「てかマジで違和感ないんだけど!」

「これ全員でやったら絶対ウケるわ〜」


みんなの声が、遠く感じた。


ホームルームの時間、担任が笑いながら言った。


「えー、さすがにこれだけのために

みんなに小学校の制服と体操服を買わせるのはアレなんで——」


教室が笑いに包まれる。


「小学校に問い合わせたら、昔の制服と体操服を一式貸してくれるって!

だから今日、みんなのサイズを確認します!」


わぁ〜!

やったー!

拍手が起こる。

「絶対ウケるわ〜」と誰かが言う。

クラスは完全にノリと企画の空気だった。


でも、僕だけは——笑えなかった。


先生がサイズを提出させる。


「はる、あなたは提出しないの?」


僕は、少し間を置いて答えた。「持ってます。」と


文化祭


朝、制服に袖を通す。


白いシャツ。深緑の半ズボン。

カタカナで書かれた名札——「イチノセハル」

あの頃とまったく同じ場所に、まったく同じように縫い付けられていた。


鏡を見なくてもわかる。

もう、この服を着ることに、違和感はなかった。


リビングに入ると、母が一瞬だけ顔を上げた。


そして——

何も言わなかった。


でも、その目には確かに

なぜそうしてるのか聞きたくないという拒絶が宿っていた。


父はテレビを見たまま、何も言わない。


「……行ってきます」


靴を履いて、ドアを開ける。

背中に浴びたのは、言葉ではなく、

ただの視線だった。


扉が閉まる音が、

今日という日を決定づけた気がした。



外は晴れていた。

鳥の声。通学路。

制服姿の高校生たちとすれ違うたびに、

一瞬、僕を見る目が止まる。


「え、小学生?」

「……え、高校生じゃないの?」


誰も声をかけない。

でもその視線が、全身に突き刺さっていく。


(……今日、戻れるかな)


その思いが、ふと頭に浮かんだ。


それは——「学校から」ではなく、

「この世界から」だった。


通学路。

電柱の影が斜めに伸びて、朝の光がまぶしい。


僕は、小学校の制服を着て歩いていた。

半ズボンが風にさらされるたびに、

ひざ下の空気の感触が、あの頃のようによみがえる。


そのとき、後ろから声がした。


「おーい!はる〜!」


振り返ると、クラスメイトが手を振って走ってきた。

高校の制服姿で。


「うわ、マジで着てきたの!?本気だなぁ〜!」

「でもさ、さすがにそれで電車とか乗ってきたの?ヤバw」

「てか学校で着替えればよくない?」


笑い声。

からかうでもなく、ただイベントの一部として消化された反応。


僕は、小さく笑って返す。


「……うん、なんとなく、こっちのほうが……合ってたから」


(合ってた、ってなんだ?

俺は本当に、高校に行ってるのか?)


「てかさ、『朝の光』のダンスまじでリードしてな。みんな期待してるし!」


そう言って、彼は先に歩き出す。


僕は、その背中を見つめながら、

小さく手を握りしめた。


(たぶん——俺だけが、本気なんだ)


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