国語は世界を変えるのか?(3)
「ようこそ、勇者ミームさん」
コトダマ様は、やや肉付きのいい、人の良さそうなおばあちゃんだった。
「おばあちゃん、聞いて。さっきの戦いはすごかったんだよ」
サクラちゃんが興奮気味に報告する。
「ああ、そのようだね。あたしも窓から見てましたよ」
俺はその時、気づいた。サクラちゃんの話す言葉と、コトダマ様の話す言葉に若干の違いがあるのだ。発音のわずかな違い。唇の形はちゃんと日本語になっている。けど、何かが違うのだ。
その違いはコトダマ様にもわかったのだろう。
「あなた、日本人よね」
「はい。気がついたらこちらの世界にいました」
ホニャララ教団との戦いや、北の魔王との戦いについて詳しく話す。
そして、肝心の話になった。
「ところで、この世界の言葉が日本語なのはどうしてなんでしょうね」
……
沈黙が続いた。
「文字は、日本語とは似ても似つかないですよね」
「そうね。このことは話さねばならないでしょうね。いい機会です。サクラもよくお聞き」
かつてコトダマ様は一言主の神に使える巫女だった。
巫女としての才能があったのかどうかは彼女自身にはわからない。
ただ、気がついたらこの世界にいた。
その頃はまだ、日本語が通じなかった。
なんとも不便だった。
そこで一言主の神に必死に祈った。
この世界の人々と意志が通じますように、と。
そんなある日、コトダマ様はホニャララ教団に拉致され、生贄になりかけた。俺と同じだ。
無力な巫女にできたのは、一言主の神に「助けたまえ」と必死で祈ることだけだった。
すると、突然、激しい光があふれ出して世界に広がった。
その光は数十時間続いただろうか。
コトダマ様はその光の中を手探りで逃げ出し、最初に会った人間に助けを求めた。
すると、人々はコトダマ様の言葉を理解してくれた。
「祈りが通じたのかしらねえ。それ以降、私は言葉に不自由しなくなったのです。サクラは、この話に独自の説があるようね」
「はい、お婆さま。私は、この世界に『言葉』が召喚されたのではないかと考えているのです。そして、古典語を研究することで、その謎を解き明かそうとしているのです」
「言葉、ねえ。私は少し違う考えなのですよ。『概念』というか、『思考のひとかたまり』というか、そういうものが世界に覆い被さってしまった気がするの」
「つまり、OSがアップデートされた、と」
……二人は「それ何のこと?」という顔つきでこちらを見る。
「すみません。気にしないで下さい」
コトダマ様は、ふふっと笑った。
「そうねえ。私がこちらに来てから、もう七十年もたちますものね。新しい言葉もどんどん出来ているのでしょうね。……ところで、大東亜戦争はどうなったのかしら」
……はっ?
今度は俺がぽかんとする番だった。
日本が戦争に負けたという件は、コトダマ様にはさほどショックではなかったようだ。戦時中にこの世界に来たコトダマ様にも、日本の敗色が濃いことはわかっていたと言う。むしろ、「竹槍でビー公をを落とす」とか言っていた周りの大人がなんともバカに見えた。そして、伊勢神宮神託事件である。神がかりで日本の敗戦が予言され、世間は騒然となった。妖怪の件があらわれて敗戦を予言したとの噂も流れた。「贅沢は敵だ」の標語の裏で、民衆は「贅沢は素敵だ」とひそかに言いあっていた。
天皇の人間宣言。GHQによる占領。朝鮮半島と台湾が日本領でなくなる。新憲法の発布。高度成長期。インフレ。バブルの崩壊。デフレ。
学校で習った知識を総動員してコトダマ様に戦後史を伝える。
「あらあらあら、まあまあまあ」
コトダマ様は、目を丸くしている。そして、サクラちゃんは異国の歴史についていけず、お茶を入れたりお菓子を調達してくれたりした。
こんこん。
ノックの音がした。
サクラが出る。
「運営局から来ました。勇者ミーム様はおられますでしょうか」
「どういったご用件でしょう」
「新たな魔王が復活しました。お迎えの使者が来られています」
ずかずかと中に入ってくる。
するとコトダマ様は急にぽかんと口をあけて天井を見上げた。顔つきもボケた感じだ。
「はあ、なんですって。年金かい?」
……この婆さん、さてはボケたふりをしているな。
「コトダマ様にはご機嫌うるわしく…… 王命で可能ならお越し下さいとのことですが……」
「こし餡はいいねえ。桜餅が食べたいよ。桜餅はおいしいよ。さーくーらー、さーくーらー……」
……歌い出しちゃったよ!
「無理そうですね。そうだ、お嬢さん、魔法学校の生徒ですよね」
「はい」
「全ての、戦える魔術師に出動要請が出ています。あなたも来て下さい」
「はわ?」
サクラが拳を口元にあてて可愛く驚いた。