数学は世界を救う、のか?(2)
「勇者だ!」
「さすがは勇者だ!」
……え? 俺、まずいこときいちゃった? まさか本名が火星人と書いてカスタードとかデジャー・ソリスと読むとか!?
王女は、にこりともせず答えをくれた。
「勇者ミームはご存じないのでしょうね。殿方が女性の名を聞くということは、求婚したととられても仕方のないことなのです。普通ならこの場にいる何人かの貴族が剣を抜くところですが…… さすがに国を救った英雄に刃を向けるようなふとどき者はいないでしょう」
それと同時に、一部の殺気に対しての牽制もこなした。この王女、かなりの切れ者の感じだ。
「そうよ。この国ではよほど親しい者か身分の低い者以外は、名前で呼び合うことはないの。名をたずねるのは高位の者からの好意のあかしよ」
聖女がすかさずフォローしてくれた。
そして、なぜか日本語のシャレに吹いている。
……そうか。だから王様以外の誰からも名をきかれなかったのか。きかれたらヤバいところだったな。
「勇者ミームには、我が名を伝えても構わないのかもしれません。いずれ、王宮のラウンジでお話ししましょう」
王女はそうささやくと、あいかわらず無表情のまま侍女たちを引き連れて去って行った。
「聖女さん、これって脈ありなのかな」
「そう感じたのなら、そうなんじゃないんですか」
聖女さんは、ちょっぴりむくれていた。
その時、バタバタと騒々しい足音が宴会場に響いた。
見れば、数名の兵士が三角の旗をかかげて走り込んでくる。
「王にご報告、王にご報告!」
人々が道を空ける。
鶏モモにかぶりついていた王様は、それを従者に投げ与えると威儀を正す。
「北の魔王が復活しました。多くの幽鬼が進軍を始めております」
「なんと、あの伝説の魔王が!」
「コトダマ様を呼べ! あの方の霊力ならば幽鬼の魔王などイチコロじゃ!」と大臣A。
「無理じゃ。コトダマ様はもほやボケておられてどうにもならん」と大臣B。
……いやな予感がした。
王様がこちらに歩みを進める。
「勇者ミームよ、頼まれてくれるか」
がしっと肩をつかまれる。鶏油のついた手で。
「はい」
この状況では、うけたまわるしかなかった。
装備を整えた上で、転移の魔法陣を使って北の城へと向かう。ちなみに、城の間には常設の魔法陣があるのだ。
元勇者とその仲間たちも、武装してしては魔法陣に飛び込む。
行き着いた先は、同じサイズのドームだった。
ドームを一歩出るとそこは緑あふれる楽園のような花園……の残骸だった。どうやら幽鬼の軍団は美しい物が眼に入ると見境なく壊す習性があるようだ。後からどっと沸いて出た王の軍勢は、四方に散って戦いはじめる。
「地縛霊よ、自爆せよ」
魔術師ちゃんの渾身の呪文は、何の効力も発揮しなかった。
……だって、地縛霊が一体もいなかったのだから。
俺は一生懸命考えた。
……コトダマ魔法に使えそうないいネタが思いつかない。
「幽鬼、か。どう退治すればいいんだろう」
そのうちに、城の庭に北の魔王らしいのが現れた。ガスタンクほどの大きさで、真っ黒なウニのよう。そこにでっかい口とにやついた目がついている。遠近感がバグり、口と目が手前のレイヤーに描いてあるようにすら見える。最初に倒した牛頭魔王がまだまともに思えた。
「ふっふっふっ、愚かなる人間よ。我は北の魔王。我に逆らおうとは片腹痛いわ」
……腹がどこにあるのかな、と心の中で突っ込みつつ、剣を構える。
が、突っ込むわけにも行かない。そんなことしたらトゲトゲに串刺しになってイチコロだ。
「お前たちに勝ち目はない。もはや我がレベルが無限大に達するのは時間の問題。能力値がどんどん増えていく! 今がレベル一四八五だから、次がレベル一五四〇、ざっとそんな具合だ。我が魔力と知力はどんどん増えていくのだ」
……なんか地味な増え方だ。
そこで、脳の片隅にピカーンとひらめきの光が輝いた。
「ひとつたずねたい。お前の能力値とやらは自然数なのか」
「当然だ。この世に自然な数以外の数などない」
「というと、まさか二時間前はレベル一四三一だったとか……」
「ふっふっふっ、人間にしては頭がいいな。暗算ができるとは、さすがは勇者だ」
……こいつ、無限大までひたすらレベルアップしていくつもりなのか。絶対に到達出来ない高みをめざして。
俺は頭を抱える。
その時、とても愛らしい声が脳内に響いた。プロの声優さんの神ボイスのような響きだ。わずかにエコーすらかかっている。
「そなたは知っているはずです。魔王のレベルをマイナスに転じ、封じ込める方法を。今こそ前世の記憶を生かすときです」
……そう。確かインドの数学者ラマヌジャンの有名な証明、というか誤謬があったはずだ。そして、それもまた女神から与えられた知識だったはず。
その時、俺の口から謎の呪文が口をついて出てきた。
「ラマヌジャンの英霊を召喚!」
なんか神経質そうなインド人がぽわーんと現れた。目力が凄い。
俺は、勇者の剣でその英霊をざくっと貫いた。
「そして、ラマヌジャンの英霊を生け贄に女神ナマギーリを召喚!」
うぎゃー、と叫びながら霧となって消えていくラマヌジャンのあとに、今度はシタールを抱えたインドの女神が現れた。
「女神ナマギーリよ! 問おう。自然数の総和は」
ふくよかな女神は答えた。
「マイナス十二分の一です」
俺は会心の笑みを浮かべた。
え? という魔王のいささかマヌケな叫びが響いた。
どっかーん!
そして魔王は無限大のレベルに到達する前に消滅した。
心の片隅に残っていた数学の豆知識が世界を救った瞬間だった。