第五十四話 待つもの祭り
息を飲むとはこういうことなのだろう。
まるで世界がスローモーションになったような、そんな感覚だった。
そう感じたのはきっと俺だけではなく、教室にいる誰もが同じ思いを抱いていると知らしめるようにある一点を呆然と見つめている。
青と赤を基調としたトップスに、腰の高さがよくわかる黄色いロングスカート。
頭には赤いリボンが付いており、そこから伸びる黒髪に思わず目を奪われてしまう。
まるで物語の世界から飛び出してきたような、白雪姫の格好をした椎名さんがそこにいた。
「りーちゃん可愛い〜!」
そんな椎名さんに、横から飛び出てきた森川さんが抱きついた。
「ありがとー! 鈴ちゃんも似合ってるよー!」
「ほんと〜? ありがと〜!」
そう言われて満更でもなさそうな森川さん。
彼女も同じように自分の役である王子様の衣装に身を包んでいた。
柔らかそうな髪は纏め上げられ、おっとりとした可愛らしい垂れ目も男装になるとこれはこれでありだなと思わせる。
そして何よりも真に驚く場所。
見間違えではないことを確かめるために目を擦るが、瞳に映るその光景は変わることがなかった。
胸が無い、だと……。
彼女の特徴でもありアイデンティティでもある巨大な山脈は、平野を思わせるほどに真っ平。それこそ恋伊瑞と張り合えるレベルである。
え、マジでどこいったの? 取り外し可能なの?
もしそうなら是非とも俺に貸して欲しいんですけれども!
「Bホルダーで潰して腰にタオルを詰めればこんなもんよ!」
着付けを担当したメガネ女子は誇らしげである。
「すごいねー。相馬君もそう思うでしょ?」
「うん。あれは魔法……ってなんでもないです……」
つい自然に返答してしまうと、白波さんに白い目を向けられてしまう。
「やっぱり見てたんだ」
ちょっと待ってよ! 今のは誘導尋問ですよね!?
俺が胸以外も見てたのならこんなことには……。これからは周りを警戒しながらチラ見することを心に誓おう。
そんな傍ら、白波さんは何故か自分の胸元を両手で持ち上げると。
「わたしもそこそこあるんだけどなー」
……やめて下さい。どう思う? みたいな目で見つめてくるのをやめて下さい。
「じゃあ練習始めよー。霞ちゃーん」
「おっけー。今行くよー」
そう答えると呼ばれた方へかけていく。
文実として頼られてるなー白波さん。ちなみに俺がした仕事は書記くらいです。
「痛っ! えなに!?」
突然背後に衝撃を受け何事かと振り返ると、カラーペンで彩られた宣伝看板を持った恋伊瑞が仁王立ちで睨んでいた。
「まさかそれで殴ったんじゃないだろうな」
「殴ってないわよ。はたいたの」
「同じだろそれ……」
もう痛みはないが、体裁としてはたかれた場所をさすりながら口を開く。
「それお前が作ったのか? でかくない?」
「えーよくない? 大きい方が目立つし可愛いし」
見せびらかすように看板を掲げてくるが、どう見ても恋伊瑞の身長半分ほどの大きさがある。
「人にぶつかることもあるからさ。一回り小さくしてくれ」
「えー。しょうがないわねー」
不満げな顔をしながらも、ダンボール製の看板を躊躇なく折り曲げた。
貴方それ気に入ってたんじゃないの?
「むかしむかし──」
恋伊瑞に引いていると、どうやら演劇の練習が始まったようだった。
特にやることもない俺たちは、その様子を並んで眺める。
話は次第に佳境に入り、美しい椎名姫が倒れてしまう。
そんな光景を見つけた森川王子は、すぐさま姫の元へと駆け寄った。
ご都合主義万歳と両手を挙げて叫びたいところだが、森川さんなら出来かねないと思ってしまうのは何故だろうか。
そしてメインの見せ場。復活のキスを──
いや待って。顔ヤバいよあの人。ハァハァ言ってるし、涎垂らしてますよ!
しかもナチュラルに椎名さんの手とか握ってるし、獲物を前にした獣ですよあれ!
「初めての練習なのに凄いわね。普通に出来てるじゃない」
「……そうだな」
森川さんのヤバさに気づいていない恋伊瑞に取り敢えず同意しとくが、実際に大きなミスが見られなかったのも事実だ。
やはり椎名さんが主役ということで皆んな張り切っているのだろうか。
「練習といえばお前はどうなんだ? バンド上手くいってるのか?」
自然を装いながら聞いてみると、何故かドヤ顔を向けられる。
「昨日メンバーの人達とスタジオに行って練習したんだけど、めちゃ褒められたの!」
「よかったじゃん。本格的にやってるんだな」
「そうね。まぁベースの人が二人で遊びに行こうとか誘ってくるのはウザいけどねー」
「お前それ、大丈夫なのか?」
三B常連のバンドマン、ベーシストだって危ないのに、バンドマンのベーシストとか二重で危険信号が出るだろう。
「平気よ。雰囲気壊さないようにしながら断ってるし、佐久間君も止めてくれるし」
「そっか」
素っ気ない返事をした俺だったが、そんなことは気にしていない様子で彼女は口を開く。
「心配してくれてありがと」
「……おう」
どんな顔をしたら良いのか分からず、迷った結果顔を背けることしか出来なかった。
「だからまぁ楽しみにしてていいわよ!」
そう言い残すと杏奈さんの元へと帰って行き、小道具作りを再開したようだった。
教室の真ん中では劇の練習。その周囲ではクラスメイトがワイワイと作業をしている。
文化祭は生徒一丸の祭り。
全員が主役であり脇役であるこの一幕に、俺の居場所はあるのだろうか。
賑わう風景を傍観しながら、教室の隅でそんなことを考えた。
お読み頂きありがとうございます。
星での評価やブックマークをして頂けると執筆の励みになりますので、よろしくお願いします。




