第三十八話 もしもし
夏休みも残すこと半分くらいになった。
旅行という唯一カレンダーに記載されていた予定も終わると、自堕落に過ごすのみとなる。
学生最大の敵である宿題も既に終わってしまい、本当にやることがない。
何もすることがないという響き。これが幸せなんだなぁ……。
「部屋で寝てるだけなのに、なんでそんなに幸せそうなのお兄ちゃん」
「何もないという幸せが分かんないのか。あと勝手に入ってくるな」
泉はそのまま俺のベッドに座ると、足をパタパタさせる。
「泉も暇なんだよー! どっか連れてってよー! それか数学の問題集やってよー!」
「ナチュラルに夏休みの宿題を兄にやらせようとするなって」
読書感想文はやってやったというのに、まだたかろうとしてくる妹に頭を抱える。
まぁ多分、ここで断っても結局どっかで俺がやることになるんだろうけど。
毎年のことなので先の展開にも慣れたものだ。妹の宿題を手伝わされるってあるあるだよね?
ベッドの上でまだごねている泉は、睨むように俺を見ていた。
「お前友達多いんだから、その子たちと行けばいいじゃん」
我が妹は友達が多い。
よく家に友達を招いては仲良く遊んでいるのだ。
あれな、気まずいんだよな。
家の中で女子中学生に会っても何言えばいいか分かんないし。泉の友達なので一応は「ごゆっくりー」と引きつった笑顔で言ってはみたが、苦笑いで返されたときは本当に泣きそうだった。
「みんな家族旅行だって。いいなー、泉も遊びに行きたいなー! それか理科の問題集やってほしいなー」
「増えてんじゃん……」
理系科目を完全に回避しに来ている妹に呆れてしまう。
「そういえば旅行どうだったの? 楽しかった?」
「楽しかったよ。バイトも大変だったけど、終わってみれば良い思い出になった」
すると泉は何故か手で口を押さえて泣いたふりをする。
「まさかお兄ちゃんが友達と旅行に行く日が来るなんて。泉は嬉しいよ」
「誰目線なんだよそれ……」
「もちろん妹目線」
こいつもこいつなりに、俺のことを心配してくれていたということなのだろう。そう思うと心が暖かく――ならないな。
妹に兄の交友関係を心配されるとか情けなくて仕方がない。
「つてそうだ! 旅行で思い出した!」
「どうしたの?」
俺は机の上に置かれた虫刺され用の塗り薬を見る。
旅行中、蚊に刺された俺に恋伊瑞がこの薬を貸してくれたのだが、鞄に入れたまま返し忘れてしまったのだ。
「返すの忘れてたー……」
「早めに返しといた方がいいよ?」
「だよな」
俺はスマホを立ち上げると、恋伊瑞へチャットを送る。
すると――電話の着信音が鳴り響いた。
普段から聞き覚えのないその音に驚きつつも、相手を確認すると、恋伊瑞と映し出されている。
「えぇ……。もしかしてそんな怒ってる……?」
確かに一週間ほど返すのを忘れたわけだし、怒られるのも当然である。
俺は覚悟を決めると、電話に出た。
「もしも――」
「あ、相馬!? ごめん今ちょっと忙しくて!」
「え? あぁそんな時にごめん。俺、お前に虫刺されの薬返し忘れててさ」
「そんなの別にいいわよ。てか今東京の方まで買い物来てて、これから水道橋まで行こうとしてるんだけど、もう本当に大変で!」
慌ただしい声でそう言ってくる。
「あんた今どこいるの? 暇なら来て欲しいくらいなんだけど!」
「え!?」
「ほら水道橋に遊園地あるでしょ? あそこ行こうとしてるんだけど――。 あー! ちょっと待ちなさいって!」
ブツ。ツー、ツー。
いきなり通話が切れ、唖然としてしまう。
何が何だか分からないが、最後の言葉的に何かあったのか?
まさか何か事件に巻き込まれたとか……。
それは考えすぎだとは思うが、少なくとも良い事は起こって無さそうだった。
水道橋。水道橋かぁ。
「あー、泉。遊園地でも行くか?」
部屋を飛び出した泉は、瞬きの間に準備を整えた。
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