56 東洋編5。
『起きたか』
「何で毎朝眺めてますかね、おはようございます、お帰りなさい」
『生きているか心配になった事は無いか』
「有りますが、そこまで綺麗に寝るクセは無い筈で」
『飯は食えるか』
「はい、直ぐに伺います」
『あぁ』
変若水、とは万病を治す妙薬とされていますが、寧ろ怪我なのですよね。
骨折は勿論、擦り傷は痕も無しに綺麗に治ります。
《ですけど処女膜再生に使うだなんて、流石お兄様は変態ですね》
『以降、アレにおかしな事は吹き込むな』
《あら、お相手がお困りになる程、贈り物をする方が悪いんですよ。少し前は》
『気が変わった』
《はいはい、心中お察し申し上げております、こんなにも可愛げの無い妹に育ってしまいましたから》
『あぁ』
《まぁ、お兄様のせいでも有るのですけどね?》
「お待たせしました、おはようございます」
《おはようございます、直ぐにお出ししますね》
今日は真面目でした。
だからなのか、早目に切り上げたな、と思っていたんですが。
『変若水入りだ、ゆっくり浸かれ』
「半ば冗談かと」
『幾らでも手に入る、遠慮するな』
少なくとも、大失敗の痕跡は消える。
心の傷を消すには、先ずは物理から。
確かに一理有るかも知れない。
「ありがとうございます」
『あぁ、気にするな』
コレで何が変わるのか。
気持ちだ。
少なくとも体の大失敗の痕跡は消える、事実が消えなくとも、痕跡だけは消える。
にしても、贅沢の極み。
変若水で処女膜再生とか、贅沢過ぎるだろう。
いや、寧ろ適切と言えば適切かも知れない、それこそ事故や事件で失ったなら利用されるべきだし。
うん、甘んじて受け入れよう。
「ありがとうございました」
『3日目だ』
何の事か、やはり分からないか。
「はい、お世話に」
『3日、寝屋に通う意味だ』
「いや、まさか」
『気が変わったと言っただろう』
「え、何でですか」
『幼い妹に触れる気は、本来なら起きない』
「私にはアナタは」
『覆せ』
「何で」
『触れられる事が嫌なら拒絶しろ』
「その前に、他からも既に」
『迷いが有るからこそ受けてはいないんだろう』
「だとしてもアナタは兄です、そのままで居て下さい、お願いします」
『義理立てか』
「それも有りますが、今の私が受け入れない事も、既に分かって頂けているかと」
『支えを失った、一時の気の迷い』
「はい、なので今は無理です、時間が経てば経つ程にアナタは私の兄になる。どうか、御縁が無かったとご理解下さい」
無理だと既に理解していたが、僅かな望みに賭けた。
叶わないと既に知っていた、理解していたが。
『だが揺らいだだろう』
「はい、居心地の良さは昨今では抜きん出ていますので」
良く似た違う何か、妹となる者に心の臓を捧げる事になるだろ。
生まれた時から知っていた、理解していた。
捧げる事はあれど、捧げられる事は無いとも。
『ならば妹然としろ』
「もう少しお時間を下さい、ご存知の通り人見知りですので」
『さっさと慣れろ』
「はい、善処します」
翌日からは、いつも通りだった。
アレも試験だったんだろうか。
次の日も次の日も、特に様子には変わり無く。
とうとう、期限の10日目が訪れた。
『守護を授ける、俺は旅に出る事になった』
「明朝には居ないんですね」
『あぁ、夜に経つ』
「夜行性だったとは思いませんでした」
『鱗持ちは大概夜行性だろう』
「確かに」
『最後の晩酌だ』
「松風怖い」
『送らせる、いつでも取り寄せろ』
「ありがとうございます」
『あぁ』
どうしてか、短い付き合いながらも気が合った様な気がした。
本来なら、付き合いを考える程。
けれど、同時に単なる甘えにしか思えなかった。
さぞ楽だろう、さぞ平和に過ごせるだろう、と。
ソレが勘だったと分かるのは、もう少し先になる。
そして、夫婦とはならない事も。
「無理でした」
『あぁ、眠れ』
恋や愛は鮮度が命。
彼女の守護に、お兄様は成る。
お兄様の心臓、命と血を使い切る、お兄様は守護神と成る。
《続けても叶わないのですね》
『あぁ、ただ裏切る事になる』
龍人族、神霊種の愛は時に苛烈です。
得られぬとなれば平気で命を投げ打ってしまう、それ程に苛烈なモノが生まれてしまう場合が有る。
《私は、良い補佐が出来ていたでしょうか》
『あぁ、お前は賢いが、可愛げが無い』
《良く存じております》
『お前も、幸せになれ』
《はい、勿論》
お兄様の死を見届ける事が、私のお役目。
もし、万が一にも互いに惚れたなら、平和に終わった事なのですが。
私達は違う、と最初から理解していた。
『始めろ』
《はい、お兄様、さようなら》
お兄様の胸を開き、心の臓から命を移す。
そうして彼女の背に、お兄様を彫り入れます。
彼女を守る守護の刺青、龍神となったお兄様。
清い水に困る事無く、彼女の望む天候となる。
それは日出る国でなくとも効果を発揮する、神の守護。
あんなに神になる事を嫌っていらっしゃったのに、あっと言う間に惹かれ、あっと言う間に心変わりをなさった。
そして覚悟をお決めになり、彼女の守護神となられた。
けれど、彼女がこの背の真っ赤な龍を見る事は無い。
コレは一方的な祝福であり、呪い、魂の形まで変え寄り添う呪縛。
神とは、時に一方的に人に肩入れするもの。
人に、神との意思の疎通は決して叶わない。
ココは、そうした世。
いつか、2人が添い遂げる世に生まれ変わります事を、どうか叶えて下さいませ。
何処ぞの神よ、仏よ。
「あ、もしかして寝坊を」
《いえいえ、お兄様の代わりに眺めてましたの、おはようございます》
「おはようございます」
《お兄様はもう出てしまったのですけれど、どうぞごゆっくりなさって》
「はい、ありがとうございます」
もう少し、しっかり挨拶すべきだったろうか。
けれど、お互いに不得手だろう、望まないだろう。
それこそ今生の別れでも無いのだから、と。
多分、互いにそう思うだろう、と。
心細さが紛れていたのは確かだった。
離別は当然で、悲しむモノでは無いし、いつか会える可能性を含んでいる事なのだからと。
《また、いつか何処かで》
「はい、ありがとうございました」
《いえいえ、どうかお元気で》
「お元気で」
ユノちゃんの居る場所も、彼の過ごす場所も、妹さんが過ごす場所も。
今日位は、過ごし易い天候で有って欲しいと思う。
出来れば皆が、幸せになれる道が有ればと思う。
《お姉様》
黒の強欲の城に戻って直ぐに、そんな清々しい気持ちは消えた。
「えっ、コレ」
《お兄様です》
「えっ」
エル様に手を引かれ向かった先は、ルーイ氏の私室。
そのベッドには、どう見ても丸くなったルーイ氏の石像が有り。
『私から、良いかしらエル様』
《はい、お願い致します》
「えっ?」
『少し前に、実はこうなっていたの』
「あの、陛下」
『アナタが日の出国に向かう日、早朝の出来事から、ね』
そんな前から、一体何故。
『ルーイ、何を』
《レオンハルト、飲んだだけだよ、卵を》
『まさか、生で』
《ネネの居た国では、生卵を良く食べているそうだし、大した事では無いよ?》
『食用の、鶏卵であれば、だが』
《飲み込むなら大した違いは無い、それに、豚を食べても豚にはならなかった。蛇の卵を丸呑みすると蛇になる、だなんて古い迷信を、未だに信じているの?》
『バジリスクの卵には』
《毒が有る、それも迷信、バジリスクになれるのもきっと迷信だよ。だって、僕には何とも無いんだから》
そう言った直後、ルーイは異様な体の動きを見せながら地面へと座り込み、まるで卵の様に丸くなると。
僅かに手先が灰色へと変色した直後、一瞬で全身が石化の様相へと変貌した。
『ルーイ』
ルーイは死か変身か、その道しか残されていない行為を敢えて選んだ。
分かった上で、理解した上で、ルーイは選んだ。
《お兄様?!》
『申し訳御座いません、時既に遅く』
『我が国で起きた事は、私の責任。丁重に運んであげて、壊しては本当に死なせてしまうもの、ね』
『はい』
ルーイは、追い詰められていた。
俺が思っていた以上に。
『あら、おはよう』
まぁ、失敗は犯させないのも、周辺諸国の王の義務。
卵をすり替えられていたのよ、危うさを感じた時から、ね。
《すみません陛下》
『構わないわ。それより、アナタに確認する為に、敢えてすり替えておいたの。本物はココよ』
至ってしまった王族皇族が望む事は、意外にも普遍的。
愛、幸福、そして身分を捨てる事。
《一時の気の迷いでは無いですよ、僕はネネの傍に居る事を選ぶ為、変身を願っての事ですから》
『どの様なモノになるか、分からないのよ』
《ネネは受け入れてくれる、僕はもう、そこに縋るしか無いんです》
『自信が無いのね』
《勿論、ネネの疎む部分ばかりですから》
『もし、拒絶されてしまったら、どうするのかしら』
《生まれ変わりを信じて死にます、確実に》
『そう死ぬ、とは脅さないのね』
《流石に死を盾にする程、どうにかなってはいませんしね》
『良いでしょう、差し上げるわ、この卵』
《何故、でしょうか》
『私はそこまで愛されたかった者、愛されたかった者、応援して当然でしょう』




