愚かな王子に婚約破棄された後、隣国でもっと愚かなマザコン皇子に溺愛されています?
タイトルはマザコンですが、実際はおねショタです。
王道(?)の婚約破棄モノです。よろしくお願い致します。
「イオナ! 貴様との婚約を破棄する!」
国王夫妻が外遊の今、この国で最も高い地位に着き、最大の権力を持つ者……それがイディオット王太子殿下、つまりイオナ・カステー侯爵令嬢の婚約者だったわけであります。
なんとその王太子殿下御自らが、華やかな夜会の最中に突如婚約を破棄しようという前代未聞の出来事。夜会の参加者……この国の貴族達は皆、度肝を抜かれ王族の前であっても声を抑えることはできません。会場は大きなざわめきに満ち溢れておりました。
そのざわめきの中心、此度の騒ぎの当事者であるイオナ嬢はと言いますと。白い肌が血の気を失い更に青白くなってはおりますものの、持ち前の気丈さから気を失う事も取り乱す事もなく、しっかとイディオット王子を見据えて口を開きます。
「イディオット殿下、如何なる理由でそのような事を仰せになるのですか? 僭越ながら、私は今まで殿下の婚約者に相応しくあろうと努力して参りました」
「はっ、身に覚えがないと!? このライアの前でも同じことが言えるか?」
王太子は側に控えていたひとりの可憐な令嬢を指差します。男爵令嬢ライアはそれを受け前に進み出て、愛らしい瞳を潤ませこう言いました。
「イオナ様、酷いですぅ。いくら王妃教育が辛いからって、私に八つ当りするなんてぇ」
「貴女が私の名前を馴れ馴れしく呼ぶことを許した覚えはありませんけれど」
「ほらっ! ほらっ! そういうとこですよぉ。すぐにイジメてくる~」
「イオナ、貴様はそうやってライアを大勢の前で貶め続けた! なんという狭量で意地の悪い女だ。貴様は国母には相応しくない!」
「では、そちらの令嬢こそが国母に相応しいと仰せになるのですね」
間髪入れず、イディオット王子の言葉を先取りする形で返したイオナ嬢。王太子はぐっと一瞬怯みましたが、声を更に大きくします。ご本人はそれで威厳を保っているおつもりでしょうが、端から見れば子供の癇癪のように見えも致します。
「そ、そうだ!! ライアのように美しく優しく愛に満ちた女性こそ、未来の王妃、国母となるべき人物だ! 俺は新たにライアを婚約者に迎える!」
会場のざわめきは一旦波を引くようにすうと静まり、そして次には細波のようなヒソヒソ声があちらこちらから漏れ聞こえてまいりました。
「これは……」
「どう見ても……ねぇ」
先程イオナ嬢自身が口にした通り、普段は王太子の婚約者として何ら恥ずべき行いなどしていない、というのが周りの評価です。それどころか、お世辞にも賢いとは言えぬイディオット王子にびしびしと物を言い引っ張っていく態度に、家臣や貴族達は「カステー侯爵令嬢が王太子の手綱を取るならば、この国の将来はそれほど悪くならないだろう」とさえ思っていたのです。
ところが最近、イディオット王子はイオナ嬢という婚約者がありながら、ライア嬢と人目も憚らずベタベタしておりました。これは愛妾として召し抱える気か、という噂まで出ていた矢先、この婚約破棄騒ぎでございます。
招待客は誰も彼もが口を濁し目配せをしますが、おそらく皆考えていることは同じでしょう。イディオット王子は高貴なお立場ゆえ、大っぴらに「愚かな」とは口が裂けても言えませんが、実際はその冠を頭に頂いた王太子。そしてイオナ嬢に比べれば立場も態度も明らかに卑しいライア嬢。この二人の言い分を鵜呑みにし「侯爵令嬢が王妃教育のストレスから男爵令嬢を虐め、貶めた」と信ずるなぞ、それこそ周りから「愚か」と指をさされ笑われてしまいます。
「聞き捨てなりませぬぞ王太子殿下!」
中でも一番「愚かなり!」という言葉をぐっと呑みこんだであろう人物、すなわちイオナ嬢の父であるカステー侯爵が声を上げました。
「そちらこそ謂れの無い言いがかりで我が娘を貶めていること、理解しておられるか! これ以上のイオナへの侮辱はカステー侯爵家への宣戦布告と捉えましょうぞ」
「うっ! お、王家に歯向かう気か! よほど不敬罪で牢に入りたいと見える!」
「陛下の居ぬ間に自分勝手な持論を展開しておきながら、今度は王家の威信を借りて私を処罰しようとは片腹痛い。私の言葉が不敬にあたるか、国王陛下がお戻りになられた暁には正々堂々その裁きを受けてみせましょう」
「何っ!?」
「とは言え、婚約破棄の件は私としてもやぶさかではありません。侮辱には断固抗議致しますが、婚約の破棄は謹んでお受け致します」
カステー侯爵はゆったりと礼を取ります。慇懃無礼に。
「情け深い殿下のお心によりイオナは今日から自由の身となれました。これ、この通り御礼を申し上げます」
あからさまな嫌味を交えたカステー侯爵の態度を見た王太子は、顔を真っ赤にして怒りを吐き出します。
「カステー!! お前、覚えておけ!」
「そちらこそ、今日のことをお忘れ無きよう。では失礼致します」
もう一度、今度は暇の挨拶と共に礼をしたカステー侯爵に合わせ、イオナ嬢も淑女の礼を取ります。
「殿下、私、これでも少しは傷つきましたのよ」
少しも傷ついてなどいないような微笑みを見せながらそう言い残し、彼女はくるりと踵を返したのでございます。
★
そこから先はあっという間。一時期は社交界の花とも謳われたイオナ嬢はその日より、カステー家以外の者とは誰とも会わずに雲隠れを致しました。
国王陛下不在の場で王命だった婚約を破棄したのですから、それは正式な婚約解消とは少々言いがたい行為ではありました。が、しかしそれでも次の日からイオナ嬢への愛の告白の手紙や贈り物、新たな婚約者候補に名乗りをあげるための釣書きなど、まあそれはそれは。多くの貴族達から様々な物が送られてきたのです。
しかし当のイオナ嬢はそのどれにも反応せず、全てカステー侯爵家の家令より丁寧な返信と共に送り返されてしまいました。
そうして暫く後。イディオット王子の暴挙を耳にした国王夫妻が予定を切り上げ、慌てて国外から戻って来たのと入れ替わるように、美しき侯爵令嬢は隣の帝国へと旅立っていたのでございます。
国王陛下に呼び出され、イオナ嬢の行方を尋ねられたカステー侯爵はこう説明しました。
「我が娘は見聞を更に広めたいと申しまして。帝国が快く受け入れてくれましたので留学をすることに致しました」
「それは結構だが、しかし、その間の王妃教育はどうする」
「おお、陛下。殿下に婚約を破棄され、今や自由の身となった我が娘がどこに行こうと何をしようと問題はない筈でしょう。王妃教育は当然、新しい婚約者に受けさせれば宜しいかと」
「しかし、あの男爵令嬢ではとても」
「おお、おお、他ならぬイディオット殿下が『彼女こそ国母に相応しい』とお選びになった御方ではありませんか。親馬鹿と言われるでしょうが我がイオナは素晴らしい娘だと自負しております。そのイオナよりも相応しい女性だと殿下が仰るのですから間違いありますまい!」
嫌味たっぷりなカステー侯爵の言葉に、国王は苦いものを口に流し込まれたかのような表情をなさいましたが、これを否定するのはすなわちイディオット王太子殿下の行動を否定すること。無理矢理に婚約破棄をなかったことにすれば、王太子とカステー侯爵家の両方から不満が一気に噴出するでしょう。
国王陛下はここは一旦退くことに致しました。王太子に灸を据えつつ、後日カステー侯爵にきちんと詫びを入れて元の鞘に納めるか、あるいは新たに別の令嬢を婚約者を選定すべきかを検討するのが最善と考えたのです。
「うむ……そうだな。少し考えてみよう。だが、イオナ嬢との婚約は正式には破棄されておらぬ。彼女が留学から戻った際に、改めて話し合いをしようぞ」
カステー侯爵はにこりと首是を致しましたが、その目の奥は笑ってはいませんでした。
★
さてさて。そこから半月あまりも経った頃でしょうか。イディオット王太子殿下はげっそりとやつれ、見る陰もなくなっておりました。
イオナ嬢の助けが無い今、王太子とライア男爵令嬢に国の未来がかかっていると言われ、二人揃って帝王学と王妃教育をみっちり仕込まれていたのですが……ライア嬢はその教育の厳しさに早々に音を上げて王太子に八つ当たりを致しました。
「毎日毎日つまらない話ばっかり! しかも覚えてないとめちゃくちゃ怒るのよ! イディオット様の嘘つき! ちょっと書類にサインするだけで、あとはのんびりお菓子を食べたり遊んだり出来るって言ってたじゃない!!」
「嘘じゃない! 以前はこんなに勉強に忙しくなかったんだ! イオナがちょっと口うるさいくらいで後はゆっくり出来てた……」
はっと身を固くする王太子。ここに来て漸く、ようやっと、イオナ嬢のサポートが如何に大きかったかを思い知らされたのです。まあ、彼本人を覗いて周りの皆はとうの昔にそれを知っていたからこそ、余計に二人への教育は厳しくなったというのもあるのですが。
兎にも角にも、そんなわけで癇癪を起こしたライア嬢は部屋に閉じ籠って出てこなくなってしまわれました。イディオット王子は八つ当たりをされなくなったと喜んだのも束の間、
「では、殿下がおひとりで国を背負われるということになりますね」
と、冷徹な教師は言い、倍の量の課題を王太子の目の前に積みました。彼は寝る間を惜しんで勉学に励まねばならなくなったのでございます。
「父上……助けてください」
遂に泣き言を言い始めた息子を見て、国王は痛む頭を押さえました。王太子が挫けるのは折り込み済みでしたが、もうひとつの方が上手く行っていなかったからです。今回で懲りたイディオット王子が、妻となる賢い女性が支えてくれることに感謝し、共に手を取り合って国を導く未来を期待していたのですが……肝心の、妻となる賢い女性が見つかりません。
イオナ嬢のその後は全くの行方知れず。隣国に間者も放ちましたが、隣国はこの国よりも強大な帝国であり、簡単には情報を探れるような相手ではありません。一方でイオナ嬢以外の女性を新たな婚約者候補に、と各高位貴族の娘に打診をしても全員が示し合わせたかのように断りを入れてくるのです。
「あのカステー侯爵令嬢ですら殿下のお眼鏡にかなわなかったのですから、うちの娘ではとてもとても……」
「そも、カステー侯爵令嬢との婚約は完全には破棄されていないというお話ではありませんか? それでは先のお話など出来ぬというものです」
その言葉に忍ばせた本意は「大勢の前で婚約者を貶める嘘を平気で吐き、婚約を無かったことにしようとする王太子など信用ならぬ。王家との縁が出来ると飛び付けば、また同じように後から引っくり返されて傷つく令嬢が増えるだけ」ということでしょう。
国王陛下は静かに奥歯を噛みしめ、懇々と王太子を諭したのでございます。
「よいか。カステー侯爵令嬢の居所が判明次第、お前は直接そちらに訪れ、誠心誠意詫びて彼女が戻ってくるように請い願うのだ」
「父上! あの女に平伏せと!」
「他に方法はないぞ。全て上手くやりおおせたなら、あの男爵令嬢を妾にすることは赦してやろう」
「ぐっ……」
こうしてどうにかイディオット王子に灸を据え、まずは第一段階に到達したとほっと息をつく国王陛下のもとに、隣の帝国から報せが届きました。
『イオナ・カステー嬢は我が帝国の第二皇子エディファスの婚約者となった。更にカステー侯爵家及び侯爵領はそれまで属していた貴国より独立し、今後は帝国の庇護下に入る。この件に関して不満があればカステー侯爵家ではなく直接我が帝国に申し立てよ』……と。
★
勿論不満はございますとも。しかし相手が悪うございます。帝国の方が武力も力関係も圧倒的に上。今までは自分達より下にあるカステー侯爵家が相手だったからこそ「婚約は完全には破棄されていない」と、王太子の所業を棚に上げて無理筋を通してきたのです。しかしこれでは抗議をするにしても、下手な事を言えば帝国の怒りを買ってしまうかもしれません。
国王は悩みに悩んだ結果、お目付け役をつけて王太子を隣国へ向かわせることに致しました。あくまでも「誠心誠意、イオナ嬢に謝罪をすることが目的で、ついでにカステー侯爵家の独立はできれば取り消して欲しいと懇願する」ように、と何度も言い含めて。
★
さて、一連の事情を確認したい、と言う建前で一応国の正式な使者として隣国にやって来たイディオット王子を出迎えたのは、件のエディファス第二皇子殿下とイオナ嬢でございます。出迎えたと言うよりも、第二皇子の私室に通されたのですが。しかも、ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは流石のイディオット王子でも呆気にとられる光景でした。
「ハイヨー、ハイヨォ!」
「ひ、ひひーん……」
エディファス皇子は家来の兵を馬に見立て、四つん這いにさせた上に跨がっていたのです。年の頃は十をゆうに超えているであろうに、まるで幼子の様な振る舞いでございます。
しかも以前はこういった行きすぎた行為を率先して諌めていたはずのイオナ嬢は、ゆったりとソファに腰かけ、まるで我が子を見るかのように彼の様子を微笑ましく見ているのです。
「な、何をしている!」
思わずイディオット王子が声を荒げると、エディファス皇子はびくりと身を固くし、その赤い瞳を潤ませました。次の瞬間、火が着いたように泣き出します。
「うわああああ!! 恐いよう、ママぁ!! ママぁ!!」
頬には止めどなく涙が流れ、地団駄を踏む様子も益々幼子のそれを思わせます。
「殿下、大丈夫ですよ。こちらに来てくださいまし」
イオナ嬢が優しく両手を広げると、彼は一目散にそちらに駆け出しました。
「うわぁん、イオナ、知らないおじちゃんに怒られたぁ」
「お、おじ……!?」
「まあ殿下、恐かったですね。よしよし」
「イオナぁ~」
皇子はイオナ嬢に抱きつくと、その胸の膨らみにぐりぐりと顔を押しつけております。イオナ嬢はと言いますと、それを意に介さず皇子の頭を抱き、優しく撫でてやるのです。
「よしよし。殿下には私がついておりますからね」
「イオナぁ、えぐっ、えぐっ、イオナはママみたいに居なくならないで!」
「ええ勿論。ずっと殿下のお側に居りますわ」
イディオット王子は憮然とした顔でそれを見ておりました。イオナ嬢が自分の婚約者であった時には胸を触らせることなど決して無かったのに、ましてや顔を埋めるのを許すなど誠にけしからん。ここは注意してやろう、と思ったのです。
「イオナ、いくら子供が相手でも、それは少しばかり慎みが無いのではないか?」
王子のお目付け役が「あっ」という顔を致します。今回の訪問はイオナ嬢に謝罪をする目的だったのに、愚かな王太子は最初の一手から大間違いの手を切っていたのでした。エディファス皇子はそれまでイオナ嬢の胸に埋めていた顔を上げると、キッと隣国の王子を睨み付けます。
「ちょっとおじさん! イオナを呼び捨てにしていいのは僕とイオナの家族だけなんだ。お前を許さないぞ!」
「そ、そっちこそおじさんとはなんだ! 無礼な! 許さぬぞ!」
「で、殿下、ここはお控えください。相手は子供ですぞ!」
お目付け役が諌めようと致しますが時既に遅し。第二皇子はすっかり怒った様子を見せ、眦を吊り上げました。
「なんだこいつ! お前こそ無礼者だ! 僕はこの国で父上と兄上の次に偉いんだぞ!!」
「殿下、このお方は隣国のイディオット王太子殿下です。以前私が婚約していたお相手ですわ」
イオナ嬢に説明されると皇子は一瞬考え込みましたが、すぐさま恐ろしい事を言い放ちました。罪悪感の無い明るいお声で。整った可愛らしいお顔で。
「ねえイオナ! こいつらを捕まえて首を刎ねてもいいよね? ねっ、そうしよう!」
「なっ……!?」
焦る王太子とお目付け役の方を見もせず、イオナ嬢は優しく微笑んで再びエディファス皇子の頭を撫でております。
「駄目です。国の未来を担う王太子殿下ですし、一応隣国からの正式な使者なのですから。もしも彼らを打ち首になどしたらお隣と戦争が始まってしまいますわ。めっ、ですよ」
「えっ、別に良いじゃない!」
さっきまでの涙はどこへやら。第二皇子はその赤い目を爛々と光らせて語るのです。
「だって父上も兄上も、うちの帝国がいっちばん強いんだって言ってたよ! 気に入らない国なんて戦争で潰しちゃえばいいじゃん! そうすれば国を継ぐ王太子もいらないもん!」
「まあ、なんて恐ろしいことを」
口ではそう言いつつも、イオナ嬢は聖母のような微笑みを崩さず、小さな暴君エディファス皇子だけを見つめております。
「大丈夫。恐くないよ。大好きな僕のイオナ! 君は僕が一生守ってあげるからね。絶対に隣国なんかに帰さないから安心して!」
「ま、嬉しゅうございますわ」
イオナ嬢の膝に乗ったエディファス皇子が楽しそうに語る様子を唯々呆然と見ていた王太子とお目付け役。そこに声をかけたのはエディファス皇子付きの老齢の侍従でありました。彼は恐怖のあまりか、身体が震えるのを止められない様子です。
「イディオット様……どうかお帰りくださいませ、ささ」
「いいや、俺はイオナに話が……」
「嗚呼……貴方はエディファス殿下の恐ろしさを知らぬからそのようなことを……殿下は一度言い出したら聞かぬ御方。本当に首を刎ねられますぞ」
「えっ!?」
「殿下はまだ小さき頃に母君を亡くされたショックで今も幼さが抜けぬのです。わ、わ、我が皇帝陛下は殿下の境遇を哀れに思い……ついつい甘やかしておられます……」
「甘やかすとは?」
思わず聞き返すイディオット王子。ですが愚かな彼にも、うっすらと嫌な予感はありました。往々にしてそういった予感は当たるものです。
「陛下はエディファス殿下の我が儘をできるだけ叶えようと致します。……いっ、今まで、何人もの人間が、殿下の機嫌を損ねた為に首を刎ねられたことでしょう……嗚呼、恐ろしや……」
「!?」
「ささ、殿下がイオナ様に気をとられている今の内に早く。本当に捕まる前に国へお帰りくだされ。もしも私が貴方様を逃がしたことを気づかれれば、私も首を刎ねられるかもしれませぬ」
「わ、わかった。感謝する」
老侍従に急かされ、王子とお目付け役は小さな暴君に殺されてはかなわない……と、青い顔で逃げ帰ったのでございます。
★
「ふう……ふっふっ」
ドアを閉めた侍従は、ずいぶんと妙なやり方で息を吐き出します。
「ふ、ふふっ」
その身体は先程よりも強く震え、揺れておりました。
「ふふふ……うわははは!」
遂に老侍従は笑い出しました。実は恐怖のために震えていたというのは間違いで、彼は必死に笑いを堪えていたのです。
「こら、爺。笑いすぎだぞ」
「申し訳ありません殿下。でも、あんまりにも可笑しくて……まさか殿下とムキになって言い合うなど……あれではどちらが子供かわかりませぬぞ!」
皇子に諌められてもひいひいと笑い続ける侍従。更には、その場にいた他の者も多くが笑いを堪えております。皇子に馬代わりにされていた兵士までもが、です。
「まあ笑いたくなる気持ちはわかるがな。イオナから話を聞いていたが、その聞きしにまさる愚かさだ。イオナへの謝罪がひと欠片も出てこなかったのには驚いたぞ」
そう話すエディファス第二皇子は、先程までとは別人のようでありました。既にイオナ嬢の膝からは降り、子供らしい表情や口調は煙のように消え失せています。
「だから申し上げましたでしょう? 私、あの方に振り回されて少しは傷ついていた、と」
「確かにな。俺は少し喋っただけで済んだが、別に好きでなかったとしても……いや、好きでは無いからこそだ。あんな愚かな男とずっと一緒にいて世話を焼き続けないといけないのなら、心がすり減ってしまうだろう。イオナが完全にまいってしまう前に婚約破棄されて良かった」
彼は座るイオナ嬢の前に立つと、先程とは逆に彼女の髪を愛おしそうに撫でました。
「俺の大事なイオナ。一生お前を俺が守る」
「ま、もう演技は終わりましてよ」
「何が演技なものか。俺はお前の婚約者だぞ」
「あら、それは私をあの人や国から逃がすための方便でしょう。私は殿下より五つも年が上ですのに」
「それがどうした。まさかこの俺に、同じ十一歳の小便臭い餓鬼をあてがい、共に庭で遊べとでも?」
エディファス皇子はその赤い目を歪ませ、悪魔のようにお笑いになりました。そう、美しい少年の姿形をした悪魔がいるならば、きっと彼のように違いありません。
「お前のように既に美しく賢い女が居るのにそれを手に入れず、他の餓鬼の五年後を期待するなんて実に馬鹿げた話だよ。それも五年後に美しく賢くなる保証なんてないというのに」
「では五年後に、他に美しく賢い女性が居れば私はお払い箱ですのね」
「そんなことは決してするものか。それに五年後なら戦争を仕掛けるのにも丁度良い」
「……戦争を?」
「ああ、隣国はあの愚かな王太子に国を任せれば必ず崩壊する。あと五年は今の王は退位せずに粘るだろう。だから五年後だ。あの国を手に入れ、俺の領地にして大公を名乗るのも良いかもな。それならイオナ、お前は大公妃だ。不満はなかろう?」
「……なんて恐ろしい御方」
イオナ嬢はため息をつきました。ただ、そのため息は。
「恐ろしい皇子が嫌なら、引き続き愚かなマザコン皇子を演じて見せるが。その方が良いかな?」
「……いいえ。恐ろしい殿下をお慕いしておりますわ」
美しい少年の見た目とは裏腹に、大人顔負けの辣腕を振るい王家に仇なす者の首を容赦なく刎ねる。更には、それを「子供の我が儘」だと周りには思わせることにより「第一皇子こそが皇太子に相応しい」と信じさせ、無用な皇位継承争いを避けている皇子。それがエディファス第二皇子殿下の正体です。
イオナ嬢の口から溢れたのは、そんな彼に魅了され、うっとりとしたため息だったのでございます。
「俺も、お前を愛している」
皇子はイオナ嬢の額に優しく口づけたのでした。
【登場人物の名前と、本作の文体について】
今回はマザコンの代表格「エディプスコンプレックス」の名称でも有名な、戯曲「オイディプス王」(暴君オイディプス)になぞらえてヒーローとヒロインの名付けをしてみました。
イオナ・カステー → 元ネタの「イオカステー」だと馴染みが薄く言いづらいので、駄洒落で「いい女」にも引っかけ、イオナにしています。
エディファス → そのまんまエディプス(Oedipusの英語読み)でも良かったんですがGoogleの読み上げ機能での英語の発音だとプというよりファに近い気がしたので、この名前にしました。まあ、そこまでGoogleを信用して良いかは微妙ですが(;´∀`)
イディオット→ これはそのまんま「idiot(愚か、バカモノ)」です。
ライア → こちらもそのまま「Liar」から。
★
今回は、わざといつもと文体を大幅に変えてみました。昔オイディプス王や、シェークスピアなど海外戯曲の翻訳を読むと、こんな感じの地の文だったな~なんて思い出したので。
名付けて「似非昭和レトロ文体」です。(冗談ですよ!)
★
お読み頂き、ありがとうございました!
現在、こちらとは文体が違うのですが毎朝更新で異世界恋愛の連載を書いています!
「 美貌の宰相様が探し求める女性は元気いっぱいの野太い声の持ち主らしい……それ私かもしれない 」
https://ncode.syosetu.com/n8798iq/
↓のランキングタグスペース(広告の更に下)にリンクを置いています。もしよろしければそちらもよろしくお願い致します。(*- -)(*_ _)ペコリ