小さな屋敷
役所に諸々の手続きを終えた頃、辺りはすっかりと暗くなっていた。
この街は、陽が落ちるのが早い。
道の両脇に建っている電灯が眩く光り、道行く家々の窓からは、ぼんやりと暖かい光が差していた。
『アイリス、大丈夫かい? もう少しで家に着くけど』
『は、はい。 大丈夫です』
アイリスは私の問いかけにそう答えたが、足取りは重く、大丈夫ではなさそうだった。
アイリスの服装は余り防寒の対策がされていない服装になっており、そのせいで足先が冷えてしまい、上手く歩けないのだろう。
私の住居としている場所が街から少し外れた場所にあるせいで、長く歩かせ過ぎたのも原因かも知れない。
『アイリス、少しだけ我慢してくれ』
『へ? って、キャッ!』
アイリスをお姫様抱っこの要領で抱き抱えると、アイリスは驚いたのか短い悲鳴を上げながら狼狽えている。
『ラ、ライアーさん! 急に何をするんですか?』
『家まではまだ距離もあるし、嫌かもしれないが少しの間だけ我慢してくれ』
『い、嫌とかそうじゃなくて……』
アイリスは顔を赤くしながら、腕の中で縮こまってしまった。
やはり、寒さと疲れのせいで体調を崩したのか、いつのまにか顔が赤くなっている。
『アイリス、顔が赤くなっている。 体調が悪くなっているなら正直に言って欲しい』
『い、いえ。顔が赤いのは……その……』
アイリスは言いづらそうに言葉を濁す。
アイリスからすればいきなり出会った男にいきなり買われ、奴隷だと言ってくる相手だ。
此方を信用できずに自分の意見を言いづらいのも仕方がない。
アイリスを抱き抱えながら歩いていると、所狭しと並んでいた家々が歯抜けのように減っていき、家と家との感覚が広がっていく。
そうして歩いていると一軒の小さな屋敷に着いた。
『待たせたね。 此処が私の家だよ。 夜も遅いからすぐに食事にしよう』
ライアーは玄関でアイリスを下ろして、部屋にある暖炉とストーブに火を付ける。
火はすぐに大きくなり、部屋の中を熱で徐々に埋め尽くしていく。
『アイリスは先にお風呂に入って身体を温めて。 使い方は分かる?』
『た、多分平気だと思いますけど……いいんでしょうか?』
『? ……あぁ、先に入って貰っても全然いいよ。 私は食事の用意をするからね』
『え、えと、で、ですけど……』
アイリスは先にお風呂に入ると言う行為に、申し訳ないと感じているのかどうか分からないがかなり食い下がって来る。
どうやら彼女は見た目に反してかなり頑固な性格のようだ。
『そ、そうだ! それなら一緒に入りましょう! …………っーーーー!!!!』
良いことを思いついたと言わんばかりにアイリスは提案し、そのあと顔を赤くしながら声にならない悲鳴を上げるアイリス。
私の子供の頃はよく覚えていないのだが、この年頃の子供を一人でお風呂に入れて良いものなのだろうか?
私は今更になってアイリスを一人でお風呂に入れると言う行為に不安を覚えた。
『……一緒に入るかい?』
『っ! なっ! な〜〜〜っ!!』
『お風呂で溺れると大変だし、もう少し大きくなるまでは一緒に……』
『は?』
先程からアイリスの表情がコロコロ変わっている。 一体どうしたのだろうか。
『……私は一人で入れる年齢です。 心配しないでください』
『そ、そうかい? 何かあったらすぐに呼んでくれよ?』
先程まで騒がしがっていた彼女は、すっかりと静かになって風呂場へと向かっていった。
やはり、慣れない環境で不安定になっているのだろう。
そんな彼女のためにせめて美味しいものでも食べさせてあげなければ。
そんなことを考えながら暗所にある食材を取り出し、調理に取り掛かった。
この一年を通して雪が降る街では、生鮮食品の保存が他の町や国よりも容易にできる。
その分野菜などの食品は入手が難しいのだが。
ライアーは鍋に水を張り、竈門に火をつけ終わると食材を切り分けていく。
アイリスがお風呂に入っているのか、お風呂の水音が此処にまで微かに聞こえてくる。
思えばいつもは自分の音以外、この小さな屋敷から聞こえてくることは無かった。
この非日常的に感じる音が、いずれは日常になる日が来るのだろうか。
ライアーは不思議と心の奥がくすぐったくなりながら今日の夕飯を作って行った。