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バイク小説集  作者: SARTRE6107
9/12

山の上のホテル

 僕がその山の上のホテルを予約したのには理由がある。

 定時制高校二年生の夏にバイクの免許を取得した僕は、親に二十万円の借金をして中古のヤマハ・XJR400Rを購入した。そのバイクは黒いカラーにセミアップハンドルとRPMマフラーが付いた免許取り立てのコゾー仕様で、無駄に大きな音を出しながら地元を走り回り、学校に乗り付けていた。つまり地元や学校の人間に見下されないためにバイクを購入して乗り回していたのだが、同じように高校時代にバイクの免許を取得して就職した親戚の叔父に「せっかくだから遠くに行ってみろよ」と提言されたのだ。

「遠くって、具体的にどんなところです?」

 純朴だった当時の僕は素直にそう訊き返した。

「まだ行ったことが無い場所、名前は知っているけれど行った事のない場所、この先には何がるんだろうと思っている場所、そんなところから行くと良い」

 叔父は少し得意げな様子で僕に語ったが、バイクに乗って日が浅い僕は素直にその言葉を聞いてどこか行ってみたい場所は無いかと考えて、友人宅へ行く途中で横切る、東京都内から東北方面に通じる国道を行ける所まで行ってみようと思いついた。

 そしてその年の冬休み、僕は可能な限りの厚着をしてXJR400Rに跨り、騒々しいRPMマフラーの音を奏でながら、その国道を北上した。次第に建物の高さと密度が低くなり、青空と収穫を終えた田畑の面積が増えてくると、自分が知らない場所に足を踏み入れているのだという実感が、僕の腹の底から沸々と沸き上がってくるのが分かった。その喜びを伴う感情の昂ぶりは、初めて一人で路線バスに乗った時よりも、林間学校で始めて外泊した時の感情の昂ぶりよりも強かった。

 感情の昂ぶりが喜びに変わってゆくのを感じながら国道を北上してゆくと、開けた田園風景の中に、美しい紅葉に彩られた山が進行方向左手に見えてきた。僕はあの山まで走ろうと思い、XJR400Rを走らせた。

 少し走ると、視界に入った山へと案内する標識があったので、僕はその標識通りにバイクを走らせた。その標識通りに県道を走ると、今度は『OO山神社入り口』と書かれた標識があったので、また標識通りに僕はバイクを走らせて、山の中腹に通じる神社の入り口に向かうと、『OO山ロープウェイのりば』と書かれた標識を見つけ、そこに向かう事にした。

 ロープウェイ発着場に通じる駐車場は有料だった。僕はバイクを停めるのに有料とは気が乗らないと思ったが、これも勉強だと思って駐車券を引き取り、バイク置き場にバイクを停めた。ロープウェイ発着場は地上の方から観光客を乗せてくる路線バス乗り場のほか、食事や土産物を売る店などもあってちょっとした観光地になっていた。両親に連れられてしか来なかった場所に、自分がバイクを運転して来訪している。その事実は自分の人間としての成長がはっきりと実現されているようで気分が良かった。僕の住んでいる都内からそれなりに北上して、冬の冷たい風が吹きつけてくる場所にいたが、嬉しさに湧く僕にはさほど寒くは感じなかった。

 喉が渇いたので暖かいコーヒーを売店で買って戻ると、山の東側に『OO山山頂ホテル』と書かれた看板がある事に気づいた。よく見るとホテル入り口の向こう側にはもう一つ専用の駐車場があり、職員が使う銀色の軽ミニバンが一台停まっているのが見えた。もう一度ホテルの看板を見ると、大手の私鉄グループが運営するちゃんとしたホテルらしく、国道沿いにあるカップル向けの安ホテルとは全く異なるようだった。

「こんなところにホテルがあるのか、何か縁があったら宿泊するのもいいな」

 僕は胸の内でそう呟いた。そしてコーヒーを飲んだ後、レストハウスで昼食の山菜そばを食べて僕は帰路に就いた。もし今より収入が増えたら、何にか理由を作ってあのホテルに泊まろうと胸の中に宣言して。



 それから十五年たって、僕はバイク雑誌やサブカルチャー関係に連載記事を持つライターになった。収入も高校当時よりも増えて、持っている資格も中型自動車とフォークリフトの免許、そして大型二輪車の免許とかなり増えた。移動に使う乗り物も、四輪車は三菱・トライトン、バイクはインディアン・チーフになった。どちらも中古車だったが、購入にあたってローンは組まなかった。

 二台のマシンを状況によって使い分ける生活をするようになって時間が経ち、今年もあと三週間で終わるという土曜日、僕は一泊二日分の荷物をリュックサックに収めて、インディアン・チーフを駆って小休止の旅行に出た。向かったのは、高校時代にXJR400Rに乗って見つけた山の上にあるあのホテルだ。高速道路を使って都心から離れた、温泉街のもっと豪華で歴史あるホテルに宿泊しても良かったが、ありきたり過ぎて興味がわかなかった。それにバイクを移動手段に使うのならば、個人的にバイクと関係がある場所に行きたかったというのも理由だった。

 荷物が入ったリュックサックを背負い、フルフェイスヘルメットを被ってインディアンに跨る。山の上のホテルに向かう。高速道路を使っても良かったのだが、懐かしい気分に浸りたくて下道で向かう事にした。

 国道周辺の景色は、僕が高校生の頃に観た光景とほとんど変化が無かった。フィットネスジムの店舗が開業していたり、自転車走行レーンが青く色分けされたりという程度の変化はあったが、基本的に何も変わっていなかった。都市と都市をつなぐ国道は、人と物がきちんと流れていればそれで良いという事なのだろうか。変化したといえばそこを走る僕という人間が、学生という保護された立場から社会人として成長し、乗っているバイクが国産の中型バイクから、外国製の大型バイクになった事だろうか。道や風景も変化していなくても、そこを走る存在は着実に変化している気がした。

 国道を北上すると、十五年前と同じ位置で目的の山が見えた。僕は初めて来た時と全く同じ道順で山に進み、ロープウェイ乗り場の 駐車場に入った。そこからバイク駐車スペースには入らず、ホテル入り口の駐車場にバイクを停めた。

 バイクでこのホテルに宿泊する客は珍しいのだろうか、エントランス越しの初老の男性コンシェルジュの意外そうな視線が僕に向けられているのが分かった。僕はエンジンを切ってサイドスタンドを出して、乗ってきたインディアンから降りた。

 グローブを外してヘルメットを脱ぎ、エントランスに向かう。僕と目が合った初老の男性コンシェルジュは頭の中にある記憶をたどり、バイクでやってくる宿泊客を思い出しているのだろう。

 僕は入り口の自動ドアを潜り、初老のコンシェルジュを見ながらこう言った。

「ごめんください、予約をしたMと言う者です」

「バイクでお越しのM様ですか、お待ちしておりました」

 コンシェルジュは恭しく僕を出迎えてくれた。僕は受付でチェックインを済ませ、宿泊に必要な代金を支払った。そして背負っていた荷物をコンシェルジュさんに運んでもらい、予約していたツインの洋室に向かった。

 コンシェルジュさんに部屋の扉を開けてもらい、部屋の説明を受けた後、僕はベッドの上に寝転がった。高校時代の夢を達成し、その達成感を程よい疲労感と共に味わう。最高の時間だった。

 程よい疲労感と満足感に緩んでしまった僕は、少し眠ってしまった。目が覚めると日が少し西側に傾き、うっすらとオレンジがかった光を部屋の中に差しこませている。このくらいの時間帯に行けば露天風呂からの光景が素晴らしいと、予約を取った時のホテルのホームページにあったので、僕は風呂場に向かう事にした。

 着替えを用意して、風呂場に向かう。宿泊客は僕以外にビジネス目的で宿泊している客が数人いるだけのようで、眺めの良い風呂場はほとんど貸し切り状態だった。露天風呂に薬草湯、ガラス越しに景色を楽しむ風呂などがあり、普段の早風呂の僕が長風呂してしまうほど居心地がよかった。

 風呂が終わり、さっぱりした気分で部屋に戻る。売店でビールを買えばよかったと思ったが、夕食時に追加注文で瓶ビールを頼んだのを思い出して胸を撫でおろした。部屋に戻り、仕事を忘れてタブレットで好きな動画を観る。住んでいる家の部屋では仕事に追われているから、一泊二日で過ごす、自分の家ではない別の部屋が僕にとって息抜きの空間になってしまった。自分の家がのんびりする場所ではなくなったのは、変化ではあるが成長とは違うような気がした。

 僕は部屋に備え付けてあるテレビをつけて、地元のローカル局にチャンネルを合わせた。地元を離れて地方の旅館に泊まったのだから、在京キー局とは違うニュース、スケールは小さいが面白いニュース、ほっこりするようなニュースが、多くの情報に触れなけれればならない今の僕を癒してくれているような気がした。以前なら何とも思わなかった小さな出来事に心が落ち着くのは、一人の人間として大きな事に対峙している裏返しだろうか。

 ニュースを観て時間を潰していると、夕食の時間になった。僕はテレビを消して、夕食が用意された食事会場に向かった。

 夕食で出されたメニューは地元産の食材をふんだんに使った季節の御膳だった。固形燃料の炎で温められた肉と山の幸の一品や、マグロの赤身が入った御作り盛り合わせ、あんかけを掛けた一品など。こういう品々が並んでいる夕食は、温泉旅館に来たのだという感情を強く抱かせた。用意された料理を堪能し、瓶ビールをグラスに注いで飲めるのは、僕が大人になってしまった証拠だった。

 夕食が済んで腹ごなしに部屋に戻ると、僕はベッドの上に寝転がった。かつては日帰りで帰るしかなかった場所で、外国製の大型バイクに乗って一泊しようとしている。それは間違いなく、僕自身の成長に間違いなかった。


(了)



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