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バイク小説集  作者: SARTRE6107
8/12

山の神様に出会った日

 スズキのバンディット1200SからハーレーのXL1200Sに乗り換えた半年後、僕は人生で初めてバイクの増車を行う事を決めた。買ったのは中古のカワサキ・ZX‐6R。大型バイクの二台持ちというのは人生初の試みだったが、新しく始めた事業も軌道に乗り始め、自分の人生の価値や能力を高めるためには、大型バイクの二台持ちというのは丁度いい負担であるし、また地震にもつながると僕は思った。

 ハーレーを買った時と同じ馴染みのバイク屋に行き、キーと車検証を受け取ってバイクを受け取る。車検と納車前整備に行ってもらったのは、タイヤをダンロップのスポーツマックス2の新品にしてもらった事くらいだ。

 納車から二日後の土曜日、早起きした僕は以前のバンディット1200Sに付けていたベルト固定式のシートバッグが取りつく事を確認すると、そのまま栃木方面へと向かって走り出した。理由は新しくしたタイヤを馴染ませるのと、僕自身がこのバイクに慣れるためというのが理由だった。

 浦和の料金所から東北自動車道に乗り、ETCゲートを抜けると同時に、少し強めにアクセルを回す、まだ薄暗い世界にイヌ科の猛獣の叫び声を思わせる排気音を響かせて、あっという間に東北道の制限速度を超えてしまった。この叫び声の様な排気音と加速は、ハーレーには出せない日本製スポーツバイクだけの特権だった。

 タイヤがまだ温まっていなかったので、急の付く加減速は出来なかったが、新しいバイクの性能の断片を見るには丁度良かった。

 法廷速度プラス数十キロの速度で巡行を続け、利根川を越えて群馬から栃木県に入る。東京都心より北上したせいなのか、身体に吹き付ける風の冷たさが摂氏四℃ほど下がったようだ。佐野サービスエリアに立ち寄り、トイレとコーヒー休憩を行う。建物に入って高速道路情報を確認すると、目的の鹿沼まで渋滞はないようだった。

 再びバイクに乗り、高速降り口の鹿沼まで向かう。加速と安定感を堪能できる高速道路のあとは、ツイスティなワインディングロードだ。バイクを乗り回すことの楽しさを味わうには、最高の組み合わせだった。

 鹿沼インターで降りて、日光方面に向かう。目指すはいろは坂を上っての中禅寺湖。そこまでに到達するまでの道をこのバイクで走るのが、今回の最大の目的だった。

 日光市内に入る交差点の赤信号で止まると、僕はトリップメーターを見た。もうすでに走行距離は100キロを超えていた。新品タイヤも完全に馴染んで、本領発揮といけそうだ。

 国道沿いに大型店舗が並ぶ地域を走り抜けて、横の県道に入る。県道沿いは一気に風景が変わり、畑と木々の緑以外に何もない殺風景な道路になった。こういう道路は前に車がいない時、非常に快適に走れるのだ。

 県道を二キロほど走りいろは坂に向かう丁字路で止まる。ここを左折すればいろは坂に向かう道だ。僕は自分が意気揚々なってゆくのを感じながら不意にメーターに視線を落とすと、液晶表示のガソリン計が残り一メモリになっている事に気づいた。

「この先に確か個人経営のお店があるはずだから、そこで給油しよう」

 僕は軽く考えて、信号が青に変わった瞬間走り出した。無駄なガソリン消費を抑えるために少しエンジン回転を落として走った。

 やがて進行方向左手に目的のガソリンスタンドがあったが、入り口にはビニールのトラロープが張られていた。僕は入り口近くまで来て様子を確認すると、定休日ではなくまだ開店していない様子だった。

 仕方ないので僕はエンジンを切ってサイドスタンドを出した。店が開くまでのんびり休憩するのも悪くはないだろうと思い、ヘルメットを脱ぐ。周囲は湿った冷ややかな空気が満ちており、近くでは小鳥たちの軽やかな鳴き声、遠くからはキジバトの間の抜けたような鳴き声が聞こえて来る。バイクのエンジンが紡ぎだす産業技術の音に慣れた耳が、自然の音によって柔らかくなってゆく。その感覚が程よい疲労感と眠気を運んできて、僕の瞼を重くしていった。



 瞼が閉じて意識が遠くになったかと思うと、僕は慌てて目を見開いた。目の前に広がる世界はそのままだったが、先程まで聞こえていた様々な小鳥やキジバトの鳴き声は耳に届いてこなかった。急に聞こえていた音が聞こえなくなる事などあるのだろうかと、訝し気に周囲を見回していると、ジャージ姿の自転車に乗った初老男性が僕の方にやって来た。

 初老男性はゆっくりと僕に近づいてきて、ガソリンスタンド前でのんびり佇む僕を見た。

「開店待ちかい、ここは朝の一〇時にならないと開かないよ」

「そうなんですか」

「ガソリンを入れるなら、麓に戻ってセルフスタンドで入れた方が良いよ。それに昨日山の方は雨が降って所々路面が濡れているから、あまりペースを上げずにゆっくり走った方がいいよ」

「わかりました。ありがとうございます」

 僕が生返事に近い感じに答えると、初老男性はそのまま麓の方に消えていった。僕は初老男性の言葉に操られるようにしてヘルメットを被り、エンジンを再びかけてスタンドを外し、来た道を戻る事にした。追い抜きざまに感謝のしるしを示そうかと思ったが、どういう訳だが初老男性の姿は見えなかった。どこに行ったのだろうかと考えたが、ガソリンを給油することが最優先だった僕は構わずスタンドに向かった。

 県道を戻り、国道に戻ったところに初老男性が言っていたセルフスタンドはあった。僕は客のいないスタンドにバイクを滑り込ませて、機械を操作してハイオク満タンを選択する。黄色いノズルで給油する。満タンになるまで掛かった代金は一九〇〇円。ちょうどいい感じの代金だった。

 満タンにした後、僕はまた道を戻っていろは坂に向かった。先ほどの開店前のスタンドを通り抜けると、僕が開店を待っていた頃より車とバイクの数が増えている。少し開店を落としてみると、エンジン音の向こう側から、鳥たちの鳴き声が聞こえるのが分かった。さらに進んでいろは坂入り口に入ると、日陰になっている部分は濡れた落ち葉が溜まっていて、滑りやすくなっていた。

「おじさんが言っていたように、安全運転で行くか」

 僕は心の中で漏らした。




 そのあと僕は中禅寺湖の湖畔にある、ベンツのウニモグが看板代わりのレストランにおもむいてニジマスのムニエルを食べて、戦場ヶ原を経由して群馬から関越道を通って帰宅した。結局、僕は想定していたバイクの性能を半分程度しか出せずに今日の日程を終えてしまったが、転倒もヒヤリハットもなく無事に帰宅することが出来た。

 夕方五時前に帰宅した後、付き合っている美咲から駅前のステーキハウスで飲まないかと、LINEでお誘いがあった。僕はお邪魔するよと返信を送り、久々の前傾ポジションでぎこちなく動く身体を動かして駅前のステーキハウスに向かった。

 駅前のステーキハウスに着くと、店内ではもう美咲が辛味ソーセージと生野菜でビールを飲んでいた。僕も同じテーブルに着き、生ビールとチリビーンズを頼んだ。そして注文された品が届いた後、僕は今日あった事を美咲に話した。

「それはあれじゃん。結果としてよかったんじゃないの?」

 女友達の美咲が漏らした。彼女は大学時代に日本の土着文化や伝統行事を学んでいて、田舎の世界観に詳しかった。

「そうかな?」

「よかったと思うよ。納車されて一週間しかバイクを傷つけず、自分も怪我せずに帰ってきて、こうして帰ってきて生ビールが飲めるんだから」

 美咲の言葉に僕は素直にうなずくしかなかった。確かにあの時の初老男性の言葉が無かったら、僕は転倒して美咲の前で生ビールなど飲めなかったかもしれない。

「あの忠告をくれた初老男性は、もしかして山の神様だったのかな?」

「多分そうじゃない?神様っていうのは当たり前に近くにいて、普通の姿でいる物よ」

 美咲の言葉に僕は素直にうなずいた。結果がどうであれ、こうして楽しい一日を過ごせたのは、ある意味神様のおかげなのかもしれないと思いながら。


(了)



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