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バイク小説集  作者: SARTRE6107
12/12

展望台のインパルス

 正月まであと二週間になった金曜日、仕事を終えた後に立ち寄ったスターバックスで、部下の下田さんにこんな質問を受けた。

「明日は今年最後の平日の休みですけれど、蕪木さんは何かされるんですか?」

 質問内容は当たり障りのない内容だった。おそらく僕の予定を聞き出して、自分の予定の参考にするのだろう。

「僕はバイクの洗車をするよ。今年の苦労を労うつもりでね」

「バイクって、確かハーレーに乗られていたんですよね」

 下田さんは僕の反応が意外だったのか、少し驚いた様子だった。僕は我が家のバイク用ガレージで眠る、自分のハーレーのソフテイルデラックスの事を思い浮かべた。

「ああ、高校時代から憧れていたバイクだからね」

 僕はそう答えたあと、下田さんと別れた。



 翌日、例年のこの時期なら三十分は長くベッドにこもっている所を、僕は起き上がって洗車道具を準備してガレージに向かい、寒空の下にハーレーを引っ張り出した。休日のあさイチにやると決めたのは、最優先で取り組む課題を一日の最初に行うという事を自分のルールにしていたからだ。バケツの水に電気ポッドのお湯を継ぎ足してカーシャンプーを溶き、洗浄液を作って、水を掛けた車体にスポンジで拭いてやって綺麗にしてやる。フレーム附近に付いた汚れや、メッキパーツに付いた水滴の後などを落としてやり、艶出し材を塗ってやると、新品同様とはいかないまでも、認定中古車で買った時の輝きをいくらか取り戻したような気がした。

 作業が終わると、僕はハーレーを寒空の下に暫く置いて、ハンドドリップのコーヒーを飲んでいると、今日に行うべき事を全てやってしまった事に僕は気づいた。後は食事をして寝るだけ。というのはあまりにも無駄な時間の過ごし方であるような気がしたので、僕はきれいにしたハーレーに跨って出かける事にした。

 必要な物を準備し、ハーレーに跨ってエンジンを掛ける、ギアを入れて近所の国道に出ると、年の瀬という事もあり多くの大型トラックが道路を行き交っている。毎年何度も見ている光景だが、何故だか飽きたような感覚は無かった。

 無計画に国道を走っていると、郊外に向かう別の国道と交差する交差点へやって来た。僕は高校時代、ちょうど今くらいの季節にバイクに乗って関東平野が一望できるバイクで行ったのを思い出した。不意に懐かしさを感じた僕は左折して、その展望台に向かう事にした。

 高校時代に乗っていたのは中古のスズキのインパルスだった。当時工事現場のアルバイトをしながら必死に三七万円を貯めて買ったのを今でも覚えている。手に入れたのは俗に言うクーリーレプリカと呼ばれるモデルで、青白のカラーにヘッドライトにビキニカウルが付いていたモデルだった。

 まだ高校生でETCの機械を取り付けられず、所有していた三年半はほとんど高速道路を使った経験は無かったが、それでも色々な場所に出かけた。特に印象に残っているのは、僕の住む街から約五十キロ離れた場所にある、関東平野を一望できると有名だった山の展望台駐車場だ。インパルスの後は国産の大型バイクを二台乗り継ぎ、今はハーレーに乗っている身分からすれば大した距離ではなかったが、認識論も収入も小さい当時の僕からすれば、ちょっとした小旅行の感覚だった。碌な防寒用のウエアも持たず、冬用の服を重ね着しただけで山の方へ行くのは、若造には試練だったが苦痛ではなかった。

 寒い、寒い、と小声でつぶやきながら展望台にたどり着き、バイクを降りて関東平野を見下ろすと、自分の住んでいる地域や、大きく見えた建物が小さく見えたのを覚えている。当時はスカイツリーも、観光バスでやってくる外国人のツアー客も居なかったから、有名スポットに来た賑やかさというよりも、遠い場所に一人で来たという実感が強かった。かじかむ手を使って自動販売機の缶コーヒーを買って飲むと、普段より苦みが強かったのを覚えている。

 その当時から今を見ると、僕は一人の大人として尖った個性と新たな刺激に対する驚きを鈍らせてしまったが、大学を卒業して就職して、今は中古のアウディとハーレーの二台持ちをしている。いろいろな物を後悔と共に過去へ追いやった分、手に入れる事が出来たのはそれくらいだ。

 山が近づくと、吹きおろしの風がまた吹き付けてきた。ハンドルに付いた大きな風防のおかげで、初めて来た時よりは幾らか風が弱く感じられた。

 山坂道を登って、目的の展望台に着く。初めて来た時は一時間近く感じられた道のりは、実際には二十分もあれば到着してしまう距離である事に気づいたのはごく最近の事だ。

 僕は展望台に設けられたバイク置き場にハーレーを停めて降りた。ヘルメットを置いて展望台に向かうと、初めて来た時とは少し光景が変わっている関東平野が一望出来た。遠くの方にはスカイツリーがあり、ビル群に埋もれた向こう側にはオリンピックの時に建てられた様々な建物があるはずだった。展望台から見る景色も、展望台にやってくる人間も、時間が経てば変化してしまうのだろうか。

 そんなセンチメンタルな感傷に浸っていると、僕がハーレーで来た道からバイクのエンジン音が聞こえてきた。国産のおそらく四〇〇CCのバイクのエンジン音、それも僕にとって聞き馴染みのある音だった。

 背後を振り向くと、一台の青白カラーのスズキ・インパルスがやってきて、僕のハーレーのすぐ隣に停まった。運転していたのは高校生くらいの若い男だったが、後ろにもう一人、女の子を一人乗せていた。インパルスも良く見ると、僕が乗っていたクーリーレプリカ風の奴ではなく、モデル終了間際に生産された、タンクに『SUZUKI』の文字ではなく、『S』マークの立体エンブレムが張られているモデルだった。被っているヘルメットも、当時の僕のようなコルクではなく、ちゃんとしたフルフェイスだった。

 二人はバイクを降りた後、ヘルメットを脱いで何か会話を始めた様子だった。すぐに展望台の方へと向かわないのは、ここに来る途中に、色々と会話するような出来事が何度もあったのだろう。そうやって共通の話題について話し合えるという事は、幸福な事だ。やがて二人が僕と同じような年頃になり、再びここにやって来た時に見下ろす関東平野の様子はどうなっているだろうか、そしてこの展望台に来るための手段は何になっているだろうか、二人の関係はどのような物になっているのだろうか。

 やがて二人は僕のハーレーを見て何か話した後、展望台へと向かって歩き出した。僕はくすぐったい気持ちになって、展望台から離れる事にした。


(了)


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