ハーレーで出かけた日。
台風シーズンも終わり、日が経つごとに猛烈な日差しが和らいできた頃、僕は久々の晴れ間を使って、半日だけバイクに乗って出かける事にした。
漫然と走り回るのはつまらないから、僕はスマートフォンの検索エンジンを使って、半日程度で往復できる丁度良い場所が無いか調べた。とりあえず飲食店に行くのが良いだろうと思って、東京から少し離れた地域に何かないだろうかと探すと、埼玉県の北部、加須市の大利根に自家製の米粉を使ったシフォンケーキを出すカフェがあるというのを知った僕は、そこに行って米粉のシフォンケーキを食べに行くという予定を立てた。
そして休日、平日に日本列島を襲った台風は夜中に熱帯低気圧に変わってくれたので、僕は一週間ぶりにバイクにかけてあるカバーを外して、去年購入したハーレーのダイナスーパーグライドを薄曇りの空の下に出した。買ってから約一年、僕はマフラーにエアクリーナー、ハンドルやステップを交換したおかげで、納車から一年経たずに六十万以上の改造費が掛かってしまったが、すべて自己満足なので問題は無かった。一週間保護カバーの下で雨に耐えていたハーレーは、湿気で車体の一部が結露して、ハンドルにカビが発生し始めていたので、それらを綺麗にしてからフルフェイスヘルメットを被り、跨ったあとにエンジンを掛けて走り出した。
国道一二二号を北に向かって進み、白岡久喜のインターチェンジの辺りから東に進んで、利根川を遡上するようなルートを使って目的のカフェへと向かう。道を逸れたのは、無機質でまっすぐな国道の風景より、夏の盛りを過ぎた田園地帯の空気を感じたかったからだ。国道から逸れた二車線の県道の光景は、少し輝きを失った草木と、色づき始めた稲穂が頭を垂れていた。少し離れた畑や用水路の土手には、その役割を終えたヒマワリの花が、真っ黒に変色して萎れている。用水路の傍を走ると、夏の盛りとは明らかに異なる、湿度と冷たさを帯びた風が、半袖で露わになった二の腕に心地良い。用水路の水は量が増し、鈍い色に染まって流れが速かったが、反射する日差しは以前よりも柔らかく、水田も場所によっては稲刈りをしているようだった
国道よりも季節の変化が感じられた県道を暫く走ると、目的のカフェに着いた。自家製の米粉を使ったシフォンケーキを出す店には似つかわしい、「コーヒー」とプリントされたオレンジ色の幟が経つ店だったが、僕は気にしない事にした。
地元ナンバーのついた軽自動車が二台と停まる駐車場の端に僕はハーレーを止めてエンジンを切った。止まったエンジンの熱気が直接自分の身体に触れるのと同時に、近くの林や茂みからミンミンゼミの鳴き声が響いてきた。この蝉たちの鳴き声も、あと二週間もすればもっと弱々しく、小さくなってゆくだろうと僕は思った。
フォークロックを掛けてヘルメットを脱ぎ、ハンドルのミラーにかけて店内へと向かう。コンクリ―トの床に敷かれたマットの上に立ってドアノブを開くと、薄暗い店内の光景と冷房によって冷やされた淀んだ空気が僕の前に広がってきた。
「いらっしゃいませ」
少し遅れて、女性の声が聞こえてきた。聞こえた方向に視線を移すと、四〇代半ばらしい女性が立っていた。
「一人です」
僕が人差し指を立てて人数を報せると、女性の店員は「どうぞ」と小さく断って僕を席に案内した。
僕が通された席は、丸テーブルと椅子が二つある窓側の席だった。窓の外を見ると、青々とした利根川の土手と空が見える。僕の地元では絶対に観る事が出来ない光景で自然を感じたが、いい景色ではなかった。
窓の外から店内に視線を移すと、照明が落とされた店内は落ち着きと共に、昭和末期から平成初期の雰囲気が仄かに漂うようなインテリアだった。長方形の店内を観葉植物の棚で区割りしているから余計にそう思えるのかもしれない。近くの席では、地元の人らしき高齢男性がレアチーズケーキとアイスコーヒーのセットを注文し、小難しそうな表情で文庫本を読んでいる。暇なときに読書するならぴったりの店かもしれないと勝手に思っていると、先程の女性店員さんがラミネートされたセットメニュー表とお水を持って来てくれた。
「ありがとうございます」
僕は小さく礼を述べて、ラミネートされたメニューを見た。そこには事前に調べておいた『自家製米粉のシフォンケーキと飲み物のセット 八〇〇円』と書かれた文字を見つけた。シフォンケーキはプレーンと紅茶、飲み物は紅茶またはコーヒーのアイスかホットと印刷されていた。
「紅茶のシフォンケーキとホットコーヒーのセットをお願いします」
僕が注文を頼むと、女性店員の人は小さく「かしこまりました」と答えて、奥の方へと下がって行った。埼玉の利根川沿いのお店で、ハーレーで米粉のシフォンケーキを食べに来るというのは中々にシュールな組み合わせだ。手持無沙汰な気持ちを紛らわす為に僕は本が読みたくなったが、文庫本を持ってくるのを忘れた事を思い出した。仕方なくスマートフォンでも見て、何の役にも立たない事をしようかと悩んだが、それよりも早くシフォンケーキとコーヒーが僕の音へとやって来た。
僕は伝票と共に供されたシフォンケーキに口をつける事にした。皿の上には紅茶の茶葉を練りこんだ米粉のシフォンケーキがあり、彩りと味変化の為に、生クリームとミントが添えられていた。コーヒーは月並みと言った感じで、ミルクも砂糖も加えずに飲むのがスマートな気がした。
何もつけずに一口フォークでシフォンケーキを食べると、米粉のシフォンケーキは小麦粉のシフォンケーキよりしっとりした口当たりで、お腹にたまりそうな印象があった。
米粉のスイーツも悪く無なさそうだ。そんな印象を抱くと、ついさっき見ていた窓の外にある、利根川の土手の向こうで鈍い音が聞こえた。何だと思って視線を外に向けると、雨雲らしい雲が浮かんでいるのが見えた。
「台風が過ぎ去ったのに、また雨かよ」
別の席に座ってレアチーズケーキのセットを食べていた地元の老人客が、外の様子を見ながら不満そうに呟いた。僕はバイクで、雨用のレインウェアを持って来ていなかった。どれくらいの雨が降るのだろうと思い、スマートフォンの気象予報アプリを開いて確認すると、それなりに激しい雨が降るが十五分もすれば過ぎ去るという予報だった。
「また、あの子どもが出るかもしれませんね」
口を開いたのは、地元の老人客ではなく応対してくれた女性店員だった。
「そうだよね、あの可哀そうな子ども。もう何十年もひとりぼっちで家族の行方を捜している」
「報われて欲しいですよねえ」
老人客の言葉に女性店員が他人事のような相槌を打つと、僕は二人の会話に出てきた〝あの子ども〟という言葉に興味を持った。不審者か、それとも怪異のような存在だろうか?
「何ですか、子どもって?」
僕は臆せず二人に質問した。急な質問に二人は驚いた様子だったが、すぐに表情を真顔にすると、地元の老人客がこう口を開いた。
「七十五年前、まだ日本が連合国の占領下だった時に、大きなカスリーン台風という台風があってね、それで利根川の堤防が決壊したんだよ」
老人客は神妙な顔つきになって、僕にこの地域の歴史を語り始めた。僕も戦後の連合国占領時代に、米国風に英語の名前を付けて呼称していた事は知識として知っていたが、その被害にあった場所に足を踏み入れていた事には気づかなかった。
「この辺りでも大きな被害が出てね、家が何軒か流されたんだけれど、女の子が一人家族の元に帰りたいって言ってこの辺りをさまよっていたんだ。話によると、濁流の中をさまよっていたらこの辺りにたどり着いたらしい」
「それで?」
僕は思わず真剣な眼差しで僕は老人客に食い下がった。老人客は僕が興味を持った事に驚いたのか、少し困惑したような様子でこう続けた。
「女の子は川に行けば流された家族が見つかるかもしれないと言って、川の方に行ってしまったんだ。今は台風の犠牲者を追悼する公園に記念碑が経っているんだが、雨の日になると、女の子が手掛かりを求めて、助けてくれる人を求めて記念碑に現れるっていう話だ」
「そうなんですか」
僕は硬い肉を咀嚼するように頷き、かつてあった災害とそこから生まれた悲劇の重さと結びつきの強さを噛みしめ、ゆっくりと飲み込んだ。その重さは僕の中で、米粉で作った紅茶のシフォンケーキよりも腹の中に溜まる物だった。
「そんな悲劇があったんですね」
僕は同情とも憐みともつかない感情を味わいながら、言葉を濁すように答えた。
「まあ、大きな災害が生んでしまった悲劇だよな。独りぼっちになってしまったら、怪異だの怨霊だの言われてしまって誰も助けてくれない」
老人の言葉には諦めに近いニュアンスが漂っていた。悲劇であっても自分の知らない赤の他人であれば、心が痛むだけで何もしない。というのは普通の感覚だろう。そのごく普通の事実が、僕はコーヒーよりも苦々しく感じられた。
会話に間が開くと僕は窓の外を見た。雨は思いのほか激しく、激しい音を立てて降り始めた。バイクだけでなく外に置いておいたヘルメットも濡れてしまうが、いまさら遅かった。
降り出した雨は気象予報アプリの情報通りに十分ほどで、僕のいる店から過ぎ去っていった。僕は雨が降っている間に米粉のシフォンケーキを食べ終えて、雨が過ぎ去ると同時に会計を済ませた。
「ご馳走さまでした。美味しかったですシフォンケーキ」
「お口に合いましたのなら嬉しいです」
僕が米粉のシフォンケーキの感想を答えると、応対してくれた女性店員は笑顔で答えてくれた。シリアスな話に僕を引き込んでしまったという、少し後ろめたい気持ちもあるのだろう。実際、僕の気持ちは先程の雨に日に現れる女の子の事で頭がいっぱいで、ケーキの感想はどうでも良い物になっていた。
店の外に出ると、乗ってきたハーレーは雨に濡れてしまったが異常は無かった。同じように外に置いていたヘルメットも、外側が濡れただけで内装までは濡れてはいなかった。
バイクは出発した時と同じようにヘルメットを被ってからバイクに跨り、エンジンを掛けた。店の駐車場を出ると、目の前の県道は雨に濡れていたが、運転に神経を使うほどではなかった。
僕はグローブの掌でヘルメットとミラー、シートの水滴を拭いて先程の女の子の事が気になって、県道を横切る小さな交差点を左折して、利根川沿いをしばらく走った。休日の川沿いという事もあり、道路を行き交う車の姿はほとんど無く、原付スクーターも含めてこの辺りを走っているバイクは僕のハーレーだけらしかった。
利根川沿いに下って鉄道の線路と並行に走り、県道と交わる交差点が赤信号だったので停車すると、『カスリーン台風記念公園』と矢印と共に書かれた標識が、交差点の向こう側に見えた。標識の事をよく見ると、記念碑まで八〇〇メートルと表記されている。さっき話したカフェからはもう二キロ近く離れて、到底近所とは呼べるような距離ではないと思ったが、人口密度がそれほど高くない地域と、僕の住む東京二十三区内では〝近所〟と形容する基準が違うのだろう。
行くべきだろうか、と僕は迷った。先ほどの台風の時に家族を失った女の子の話など、地元の人間たちが作った噂噺が、時間の経過とともに変容して怪異じみた内容になっただけに過ぎない。だが家族を失った女の子が出てくるという、物語にしては悲劇性を帯びた内容である事、そして自家製米粉のシフォンケーキと、田畑と川以外に観るべきものがない場所に、子どもじみた好奇心を刺激する場所とエピソードがあると知ってしまうと、確かめたい衝動に駆られた。
信号が青になると、僕はハーレーを発進させて、表示されていた看板の指示に従ってカスリーン台風の記念碑へと向かった。東武線の踏切を超えて川沿いの二車線の道を下流側に向かって進むと、堤防の上へと案内するカスリーン台風記念公園の指示看板に向かって、ハーレーを堤防の上へと走らせた。
段差のある堤防の上へ続く、段差の多い舗装された道路を走ると、目の前の視界が開けてきてきた。僕は川に一番近い駐車スペースにハーレーを止めて、エンジンを切ってサイドスタンドを掛けてハーレーを降りた。
ヘルメットを脱いで周囲を確認すると、下流方向には比較的新しい建物と、何らかのモニュメントが立つ場所があった。モニュメントが気になった僕はそこに向かって歩き、モニュメントを正面から見た。灰色の石で作られている、ねじれたカメの手のように見えるその記念碑には、『カスリーン台風の碑』と彫られた石碑が前に置かれていた。
その石碑によると、終戦から二年後の昭和二十二年の九月にカスリーン台風の飛来によって未曾有の大水害をもたらし、その事を忘れないためにこの記念碑と背後の施設が建てられたことを説明している。周囲の円状の石には台風によって決壊した利根川周辺の様子が石に彫られていて、建物の二階付近に迫る濁流の様子や、土石流から復旧する足尾線の様子など、被害とその後の様子が克明に記録されている。腰まで水に浸かりながら、命綱を掴んで進む人々の様子などが屋外に展示されているのは、カスリーン台風の被害を過去の出来事としてではなく、忘れてはいけない記憶としてしっかり記しておこうという、地元の人たちのただならぬ思いを感じた。別の石碑には利根川周辺だけでなく、関東全域に浸水等の被害があり、『カスリーン台風の概要』と彫られた説明文のレリーフには死者が一一三二人に達したという説明があった。先ほどの話に出てきた女の子も、その犠牲者の中の一人だろうか。具体的な地名や数字に触れると、僕は好奇心に動かされ軽い気持ちでやって来た自分が、少し軽薄な人間であるような気がして、苦々しい気持ちになった。
上流域に視線を移すと、渡良瀬遊水地がある方角には希釈されたような灰色の薄い雲が広がり、雲がほころんだ場所からは光の筋が差し込んで、下の世界を照らしている様子だった。住宅街のような人口密度が高い場所に居る時は差し込む光のありがたみを感じないが、視界の開けた場所に来て眺めると、なかなかに美しい。広い視界から遠くが見渡せて美しいと思える景色に出会えるのは、せめてもの慰めだろうか。
「何を見ているの?」
僕の背後で突然小さな女の子の声が聞こえた。心臓が凍り付くような衝撃を覚えて振り向くと、そこは無地の長袖シャツに紺色の綿のズボンを履いた、いかにも昭和の子どもと言った服装の八歳くらいの女の子が一人、愁いに満ちた眼差しで僕を見つめている。
「あっちの方、渡良瀬遊水地の方に太陽の光が差し込んでいるだろう。その光景がすごく綺麗に見えたから見とれていたんだよ」
僕は女の子に声を掛けられる直前にしていた事を簡潔に述べたが、女の子は愁いに満ちた表情を変える事はなかった。
「私、あっちの光がさす方向に住んでいたの」
女の子は少し声を震わせて僕に応えた。僕は女の子と同じ目線になるようにしゃがむと、愁いを帯びていた彼女の眼差しが変化したのが分かった。
「話は聞いたよ。一人になっちゃったんだよね」
僕は自分にできる精いっぱいの優しい言葉で、女の子の反応を待った。すると女の子は僕が他の人間とは少し違う事を感じとり、目元が熱くなったのか目じりを拭った。
「大雨の後川が氾濫して、家が飲まれた後に気が付いたらここに流されていたの。必死で家族の姿を探したり、他人に聞いてみたりしたのだけれど、みんな自分たちの事で必死で誰も助けてはくれなかった」
女の子は自分が味わってきた辛い経験を、自分に出来る範囲の言葉で話してくれた。大丈夫だ。僕の目の前に居る女の子はこの世の存在ではないかもしれないが、少なくとも怪異や怨霊と言った存在ではないのは確かだった。
「そうか、辛かっただろう」
僕が一言声を掛けると、女の子はうん、うんと頷いた。
「俺に出来る事はあるかい?」
僕は女の子に質問した。女の子は涙を拭ったあと、絞り出すような声でこういった。
「家のあった場所に帰りたい」
「そうか、分かった」
僕は女の子の願いを聞き入れる事にした。
僕は女の子をハーレーの後ろに乗せて、エンジンを掛けた。この世のものではなくなった女の子には、オートバイは特別な乗り物ではないのか、驚いた様子も戸惑うような様子も見せなかった。
「俺はこの辺りの事はよくわからないから、大体の方向でいいから道案内してくれるかい?」
僕がまた尋ねると、少女は再び渡良瀬遊水地の方角を指差した。
「よし。それじゃあ渡良瀬遊水地の方にまず向かうよ」
僕は少女にそう告げてギアを一速にして記念碑のある公園を後にした。来た道を戻って、利根川にかかる埼玉大橋へと向かう。コンビニ近くの交差点の赤信号で止まると、背後に一台の国産乗用車が止まった。僕はヘルメットを被っていない女の子を後ろに乗せているから、どんな反応をされるのだろうと思って、ミラー越しに後ろの車の運転手の様子を確かめたが、女の子は僕以外に見えないのか、後ろのドライバーの視線に変化はなかった。
右手に見える『道の駅おおとね』を通り過ぎて埼玉大橋を渡る。遠くの方には渡良瀬へとつながる一本の県道と、渡良瀬遊水地がある土手が見えた。
「あの土手の向こうにあるの、川の向こうに私のおうちがあるの」
女の子は僕の背後でそう叫んだ。彼女はこの世の存在ではない、僕以外の人間にはその姿を見る事が出来ない存在であったが、僕の事を抱きしめる、小さいながらも確かな力と感触があった。
渡良瀬川にかかる橋の手前の信号で止まると、女の子は再び僕が進むべき方向を指で示した。示した方向は渡良瀬川を越えて、茨城県の五霞市から栃木県の佐野へと通じる方向だった。僕はウィンカーを右に出し、渡良瀬川を越える進路を取った。
渡良瀬川にかかる橋を越えてさらに左折する。堤防から住宅街に下る道を進むと、女の子はさらに「あっち」と堤防の方を指差した。僕が彼女の指差した方向を見ると、集落が少なく、林や畑が広がっている地域だった。
「私のおうちはあっちなの」
「あっちなんだね」
僕はすぐに答えて、ハーレーを女の子が指差した方角へと走らせた。道を一本入ると、建物の数が少なくなり、田畑の面積が多い地域に入った。道路は農耕車が付けたであろう泥で薄汚れており、稲刈り作業が行われている事を示している。戦前戦中は、道路も未舗装で農産物を積んだ牛舎が行き交う光景が、今くらいの季節には見られたのだろう。
「こっち」
僕にはっきりと聞こえる声で、女の子は進むべき道を指し示してくれた。次第に道路の舗装が荒れて道が狭くなってくると、茂みに覆われたトンネルのような薄暗い道が現れた。そしてその前には『道路陥没につき通行止め』と書かれた看板があった。
僕がハーレーを止めると、女の子は勝手にハーレーを降りた。僕はエンジンを止めてサイドスタンドを掛けた。
「どうしたの?」
僕が声を掛けると、女の子は振り向いてこう言った。
「この先に私のおうちがあるの。ここから先は私でも行けるから」
「そうか」
僕はヘルメットを被ったまま答えると、再びかがんで女の子と目線を合わせた。
「それじゃ、俺が行けるのはここまでだね。気を付けてゆくんだよ」
「うん。今までありがとう」
女の子は小さく僕に感謝の言葉を述べると、弾むような足取りでトンネルのような小道に向かっていた。トンネルの闇に彼女の姿が消えると同時に、女の子の存在も消えたような気がした。
僕は再びハーレーに跨り、空を見上げた。空に浮かんだ雲は仄かに赤く染まり、夏が終わりに近づいている事を告げているようだった。
(了)