第五十話 バトン
この作品は一話ごとに登場人物や時系列、舞台が変わります。それをご理解の上でお読み下さい。
電車に揺られ、一人の女性が後ろの曇る世界を見ている。肩肘を背凭れに当てながら、手に頬を当てている。その表情は、どこか寂しそうだった。
◇◆
雨が降っている。傘を差しながら、一人の女性が濡れたアスファルトの上を歩き出す。
八島陽咲。ロングの赤い髪に、一七○センチほどの身長。モデルのような長い足は、クリーム色の長いスカートによって隠されている。
水溜りに反射する顔、八島は雨の町を歩き続ける。空は、青みがかった灰色をしていた。そして、あるところで彼女は足を止める。そして、顔を上げた。
「お疲れ様」
八島がそう言った。目線の先には、濡れていることもお構いなしに、軒端の下にある段差に座っている男が居た。
「……終わったよ」
男は顔を上げない。
「うん、知ってる」
八島の声も変わらない。
「どうして、来なかったんだ?」
水溜りに、彼の顔は反射していた。
「……あの子に、そんな顔は見せたくないから」
「……」
八島は傘を男の上に寄せ、ハンカチを手渡した。
◇◆
二〇一二年――綾奈紫瑠花は、人外との戦闘に命を捧げた。
動こうとしない西米を、八島は腕を引っ張って歩かせた。既にスーツは、傘が要らないほどに濡れていた。それでも八島は、西米が雨に濡れないよう傘を寄せながら歩いた。
「……仕事は」
西米は絞り出すようにそう言った。
「今日は休み。行く気になれるわけないでしょ」
西米は、それ以上喋らなかった。八島も喋ったりはせず、ある場所に向かって歩いていた。
――目的地に着くと、鍵を開けて中に入る。
「服、脱いで」
西米は何も言わず、動くこともしない。
「西米らしくないね」
玄関に、水溜りができそうなほどに水が滴っていた。
――廃人という言葉が似合うだろう。西米には、もはや何をする気力もなかった。
「お腹空いてる?」
返事すら、西米の方からは出てこない。すると、八島が不満そうに顔を無理やり向けさせる。
「女の子にばっか頼ってんじゃないよ。あんたが失うものばっかりの散々な人生なのは知ってる。だけどな、一人の親友無くしただけで廃人になるんじゃ。今度は私が悲しくなっちゃうよ⁉︎」
体を揺さぶっても、ソファに凭れかかるだけの人形でしかなかった。そんな西米に、今度は優しい声で言葉を放つ。
「西米は何がしたいの、どうして欲しいの?」
西米は小さく口を開け、呟くように言った。
「一人に……させて」
枯れるような声だった。
「……分かった。一人が嫌になったら、名前を呼んで」
そう言うと、八島はキッチンに向かった。
◇◆
ソファの同居人が増え、八島も有給を大量消化する時が来た。
「いや〜、病院勤務からの解放は良いね〜! たまには家でゆっくり過ごすに限る」
ソファの前に座り、ポテトチップスを摘みながら八島はテレビを点ける。ソファに横になったままの西米は、ただぼーっとテレビを見ているだけだった。
八島がふと、チップスを摘んで西米の口に運ぶ。しかしその口は、閉ざされたままであった。
「ダメか」
日に日に弱っていく西米に、八島の表情も悲しさを増していった。
ある日、八島はとある人物と連絡を取っていた。
「もしもーし、羽田さーん」
明るい声で、八島は喋っていた。
「待雪ちゃんはどうよ、良い感じ? うんうん。そ〜なんだ! 凄いじゃん!」
その楽しそうな会話は、リビングのソファで横になっている西米の耳にも届いていた。
「ねぇ、一つお願いがあるの」
テレビ画面には、民間の隊員二名が、覚醒した人外の討伐に成功したとの報道がされていた。彼らはまだ、民間になってまもないルーキーだったとのことだ。
「見てあげてほしいの――」
――その日の夜、八島はウィスキーを飲みながら、西米に話をしていた。
「聞いてたよ、瑠花ちゃんから。仇を取るんでしょ?」
八島は、後ろのソファに横になっている西米を見ずに話を続ける。
「あの子、君に幸せになってほしいんだってさ。面白いこと言うよね、十分幸せそうだったのに」
西米は黙って、ただ話を聞いていた。
「それでさあの子、私に相談してきたんだ。もし自分が死んだら、西米は仇を取るために隊員になっちゃうってね。あの子にとっては、オペレーターである君で居てほしいみたい。でも、そんなことできるタチじゃないでしょ?」
優しい声のまま、手に揺らされているグラスから「カラン」っという音が聞こえた。
「だからね、知り合いに羽田さんって人が居るんだけど、その人も大切な人を無くしたの。オペレーターとしての腕も凄ければ、隊員としても凄かった。明日から、その人の下で隊員として修行しなよ」
八島は、簡単にそう言った。
「ここに居ても、何も変わらないんでしょ? 私が、これだけ尽くしても。決して、あなたの心は揺るがないんでしょ? きっと、大切に思ってくれてる。だから、もう大切な人になりたくないんだよね?」
八島はグラスをテーブルに置き、西米の上に跨る。
「ねぇ、西米はどうしたいの? ここに居たいなら、そう言ってもいいんだよ。私は叶えてあげる」
八島を見上げる西米の目には、一筋の涙が溢れていた。
「……やっぱり、私じゃダメだったか」
残念そうに八島は、彼の上から降りてグラスを手に取った。
「あーあ、フラれちゃった。……行って来なよ。応援してるからさ」
彼女は知っていた。このままで終わるような男ではないことを。彼が、幾度も失おうと、立ち上がり続けたことを。
――翌日、予定通り西米は自分意思と足で、羽田の下へと向かった。
◇◆
電車に揺られ、一人の女性が後ろの曇る世界を見ている。肩肘を背凭れに当てながら、手に頬を当てている。その表情は、どこか寂しそうだ。
「これでよかったよね、瑠花ちゃん。私にできることはしたし、私がしたかったこともしたよ。……さようなら――」
――願わくば、もう一度、三人で飲みに行きたかったな。
あとがき
どうも、焼きだるまです。
祝! 人外、五十話達成! いぇーい‼︎
気が付けばもう五十話。百話まで半分に到達した訳です。文章練習のつもりで始めた作品が、こんなにも続けることができるのは、間違いなく私の作品を待ってくれて、応援し読んでくれる読者様のお陰です。本当にありがとう。
最近は毎日投稿も怪しいくらいに、休みも多くなってしまっていますが、このまま百話まで歩んでいけるよう頑張っていきたいです。
長くなってしまいましたので、この辺で。では、また次回お会いしましょう!




