第四十七話 進み行く時
この作品は一話ごとに登場人物や時系列、舞台が変わります。それをご理解の上でお読み下さい。
風に靡くカーテンの向こう。ベランダから、顔を出した女性が、どこか遠くを見ている。その顔はどこか、不安で胸が締め付けられているようだった。
――――――
二○二二年 八月二三日、火曜日。
駅前のロータリーで、女性が一人立っている。壁に寄りかかり、誰かを待っているようだ。
正午、時間ぴったりに男が現れた。慌てた様子で、女性の下へと走っていく。
「ごめん! 待たせたかな」
手を合わせて謝るように、彼は片手のみで軽く頭を下げて謝る。
「時間丁度だからいいよ。いつも時間通りだね」
女性はまるで、彼が時間通りに来ることが分かっていたかのように怒ることもなく、ただ微笑んだ。
「これでも、少しは早めに出たんだけどな……」
「遅れてる訳でもないから、大丈夫だよ。それよりお腹空いたし、早く行こ!」
女性は手を引っ張り、まだ呼吸の整っていない彼を無理やり連れて行った。
◇◆
カドカワレストランで、二人は食事をしていた。
「心はほんとに、チーズ系が好きだね」
心と呼ばれた女性は、笑顔で答える。
「こひぇばかりは――やめられまひぇん」
チーズたっぷりのピザを美味しそうに、幸せそうに頬張っている彼女を見て、彼は本当に心の底から嬉しそうな笑顔を見せていた。
「リストは纏めてるし、今日はさっさと買うもの買って帰ろっか」
「楽しみは旅行の為に温存しなきゃだしね〜」
食事を終えると、二人は近くのショッピングモールへと向かう。
二人は旅行に必要なものを揃えていき、楽しそうに会話をしていた。
「これだけ買えば、問題はないかな。必要なものは既に揃えてあるし、買い忘れたものも買えた」
「大丈夫? 子供用のおもちゃ買わなくていい?」
「誰が使うんだよ。ちょっと欲しい」
彼がそう言うと、心は笑ってしまった。
「帰るぞ、早めに寝ないとな」
「――うん」
笑いが落ち着き、心は頷いた。
◇◆
二○二二年 八月二四日、水曜日。
電話は朝、突然心の下にかかってきた。
「……ごめん。緊急で出動要請が出た。……ごめん、約束してたのに……ごめん」
電話越しの彼は、とても悔しそうに謝罪の言葉を何度も言っていた。
「……大丈夫だよ。旅行ならまた落ち着いた時に行けばいいから、今は無事に仕事を終えて帰ってきてほしいかな」
心は悲しそうに、しかし彼の心配をしていた。
「……分かった。必ず戻る」
彼がそう言うと、電話は切れてしまった。すると心は、どこかへ向かって歩き出す。
風に靡くカーテンの向こう。ベランダから、顔を出した心が、どこか遠くを見ている。その顔はどこか、不安で胸が締め付けられているようだった。
◇◆
――心の下に彼が帰ってきたのは、その日のうちであった。記憶を失った状態で――
心は泣き叫んだ。記憶を失ったことだけじゃない。彼の家族によって判明したことがあった。それは、彼が旅行で結婚について話そうとしていたこと、将来のことを家族に話していたのだ。しかし、それが叶う前に彼は記憶を失ってしまった。
「どうして……」
絶望の中、病室で呟いたその一言に反応するように――彼が心の頭を撫でた。
「橋田……さん。どうして、泣いているのですか?」
すると、橋田と呼ばれた彼女は、その腕を抱き締めて泣き続けた。
「さん付け……しなくていいですよ」
◇◆
医師から、彼の状態が心に伝えられた。それは、記憶喪失だけでなく、記憶のリセットもされているということであった。
一度寝て仕舞えば、昨日の出来事は忘れてしまう。記憶喪失だけではない現実に、心の顔には疲れすら見えていた。
――病院の側にある公園で、心は空を見上げていた。しかし、疲れた顔ではなかった。深呼吸を何度かしている。目を閉じ、顔を下ろす。開かれた眼には、覚悟が見えた。
「私も同じだよ、そう思ってた。大丈夫、私が何度でも教えてあげる。リセットされても、時を進めてみせる。あの時、止まるはずだった私の時間をあなたが進めてくれたように、今度は私があなたの時を進める」
心は立ち上がる。迷いはなかった。
◇◆
彼女の一日は、朝早くから始まる。幼稚園に入ったばかりの我が子を起こし、朝食の準備をする。
ある時間になると、彼女は寝室へと向かう。そして、いつもの時間に彼は来てくれる。
昨日は果てたまま眠ってしまった為、少し部屋が散らかっていた。ゴミを片付けていると、彼が目を覚ます。いつもの一分か、二分は早い。
「おはよう、起こしちゃった?」
彼は、ぼーっとしたように言う。
「橋田……さん……」
すると、橋田は笑顔で答えた。
「――さん付けしなくていいですよ」
いつも通りの反応。いつも通りの仕草、行動。心はそれでも、タブレットを彼に渡す。
「その動画、見といて下さい」
そう言うと、心は一度部屋を出る。息子がまだ眠たそうに、テーブルを前に座っていた。
「卵焼き食べたい?」
「食べたい!」
元気の良い返事に、心は微笑んだ。それを遠くから見た彼も、反射的に微笑んだ。
彼にとっての、新たな一日が始まる。止まった時が今、彼女と共に動き出した。
あとがき
どうも、焼きだるまです。
気が付けばもうすぐ五十話。お休みが多く、本来であればもっと早くに達成できたのでしょうけど、それでも早く感じてしまいます。
私のような作品を追い続けてくれる読者様には、本当に頭が上がりませんね。
さて、後書きに長々と書いてる暇があったら、執筆した方が良さそうなので、ここら辺で。では、また次回お会いしましょう。




