第60話 魔女の古い城で
父のアルクマール国王は、当たり前のような顔をして、婚約申込みの書類に了承のサインをして印璽を押していたし、母の王妃は勝手にドレスやリンネルの注文を山ほどかけていた。
「前回が色々と台無しになってしまったから、今回は大変よ」
お母様が言った。
「いくらなんでも、結婚式までの期間が短すぎますわ」
筆頭侍女が文句を言ったが、母が答えた。
「待てないそうなのよ。自分の手元に置いておかないと不安なんですって」
そう言ってから、母は私をジロリと睨んだ。
「誰かさんが、勝手にアルクマールに来てしまったからだそうよ? 一言、伝えてから来ればよかったのにねえ」
筆頭侍女もジロリと私をにらんだ。
「お陰で、結婚までの期間が異例の半年! 半年ですよ?」
いたたまれない!
おばあさまは、話があるからと、急な結婚の準備に追いまくられているアルクマールの王城から、私とエドを、あの例の古城に連れて行った。
「私は魔法には反対だったんだ」
大魔女にして、私の師匠のおばあさまの言葉が意外だった。
「ど、どうしてですか?」
おばあさまは首を振った。
「魔法がそこらじゅうにあった時代は終わってしまった。魔法を使える者たちは、血が薄くなって、今はもうアルクマール王家にわずかに残るだけ」
「魔法は美しいと思います」
エドが口を挟んだ。
「お前はおじいさまと同じことを言うね」
おばあさまは言った。
おばあさまが手を差し伸べると、フッとピンク色の花びらが数枚、空中に現れてひらひらと手の平へ落ちていった。
「だけど、誰ももう魔法を信じちゃいない。そんな環境で魔法を使うことは苦しいばかりだ。誰も理解してくれない。何ができて何ができないのか」
おばあさまはエドを見上げた。
「この子を頼むよ。なぜだか魔力が半端ない。この力を求めて、悪い連中が無理を言ったり攫いに来たりしたら……監禁されて使われたら」
「守り抜きます」
エドが落ち着いて言った。
「だから、アルクマールから外に出したくなかった。結婚させたくなかった。リール公爵に王の死期を知らせる秘密の文書を届けたのも……」
私とエドは、目を剥いた。
今、なんて言った?
「え?……秘密の文書?」
おばあさまが目を逸らした。今は夏なので、木々の葉が風に揺らいでいる。
「もちろんリール公爵は、元々謀反の意志があって、王権奪取の機会をうかがっていたから、行動に出たんで、私の手紙のせいじゃない」
なんですってえ?
「だから責任を取ったのだ。まさかエドウィン王太子を始末しようとするなんて想像していなかった。ただ、ティナとの結婚をあきらめてくれればよかったんだ。罪滅ぼしにエドウィン王太子をガレンへ戻した」
「その件に関しては感謝していますが……」
「私はただの魔法使いで、孫の幸せしか考えていなかった……」
おばあさまは続けた。
「ティナがアルクマールから出たら不幸になると思っていた」
「エドがいますわ」
私は言ってみた。
「エドが死んでガレンの王国がどう動くのか、国民がどうなるのか、お前たちの気持ちがどう動くのか、私に全部わかるはずがない。ただ一つだけ、はっきりしたのは、どこをどういじっても、お前たちは巡り合い、お互いを気に入って、一緒に居たがるらしいと言うことだった」
私はエドの顔を見上げてにっこりした。真実の愛……そんな言葉がぴったりする。
おばあさまが決まり悪そうに言葉を続けた。
「ファルクに、秘密の恋が待っていると言ったのも……」
え? そういえば、ファルクはアルクマールから来た占いの女がどうのこうのと言っていたような?
「占い師の女?」
私は聞いたが、何も知らないエドは不審そうだった。
ファルクの話をすると、猛烈に不機嫌になって、細かいところを聞いてくるので、めんどくさくて話題を振らないようにしていたから、当然言ってない。
「これ以上、ガレンでご縁が出来るのは避けたかった。ファルクには不幸な恋になると言っただけなんだよ。だけど、ファルクと来たらロマンチックな若者だったもので、逆に燃料になってしまったみたいで。人の気持ちに疎いところはあったけれど、純粋な青年だった」
間違いない。ファルクのあの話だわ! もしかして、この一連の騒動の原因は……
「おばあさま?」
「皇太后さま?」
「いやいや、だって、そもそもはガレンの亡くなったあんたの父親が仕組んだことなんだから!」
「私の父ですか?」
エドが眉根を寄せた。
「お前さんの母親は、魔女だった。魔力は少なかったけど」
「え?」
「王は王妃の魔力を間近に見ていてあこがれた。エド、お前さんは魔法を使えない。だけど、王は、アルクマールの王女を娶れば、孫たちに魔法の力が宿るかも知れないと望んだのだ」
アルクマールに王女が生まれれば、絶対に嫁に欲しいと。
リール公爵家出身の後妻の王妃は、自分の姪を嫁がせたがったが、事情を知らなかったのだろう。
「とうの昔にお前の父親は死んでいるはずだった。だけど、アルクマール出身の王妃は魔女で、ポーションをたくさん作って残してくれた」
ポーション……
「命が完全に途切れたら、ポーションだって効果はない。魔女だって死ぬのだもの」
エドも私も黙り込んだ。
「王妃の作るポーションは薄くて効き目が弱かった。私は泣きつかれたけれど、人の寿命を変えることなんかできない。王妃に私は恨まれた。効き目の強いポーションを作ってくれなかったと。そうではないのだ。でも、わかってもらえない。おじいさまが亡くなってから、私は、この城に閉じこもった。私は誰も救えなかった。人々の恨みを買っただけだ」
「仕方がないよ。アルクマール人みたいに、魔女に出来ることと出来ないことを理解していても、いざとなると人ならぬ力を持つ魔女に期待し、裏切られたと恨むのだ」
おばあさまは城を仰ぎ見た。
「ここは魔女に愛された城さ。出入りできるのは、魔女が選んだ者だけだ。ここで心静かに暮らす道を選ぶことも出来る」
この城は静かで、誰も出入りできない。魔女と一緒でない限り。
「それでも、この子はあんたを選んでアルクマールを出て行く。私が何も言うことはない。きっと守ってくれるだろうね?」
「もちろんです」
エドは言った。
「お前も魔法を人前で使わないようにしないとつらい思いをすることになるよ。本当に愛してくれる人だけは、きっとお前を守ってくれるだろうけれど」
魔法をもっともっと試してみたかった。だけどポーション売りは人々の欲を駆り立てた。最後は、商人に襲われた。私は考えなきゃいけない。もっといい方法を。
「魔法に夢を持ちすぎると、きっと、とんでもないことになるわ」
「わかってくれたかい」
おばあさまは、ため息をついた。
「個人的な用事で使うだけにする。あとエドのためだけに」
「使うのかい」
おばあさまは、またため息をついた。




