第55話 ひとつの恋の終わり
「なぜ、ファルクの名を呼んだ?」
私はエドに抱かれ、馬上の人になっていた。
あの混乱の中、私を馬車から救出したのはエドだった。
「俺に決まっている。お前を他の人間に任せられるものか」
私はファルクの行方を見ていた。
「どうしてあの男の名を呼んだんだ。気に入らない」
悲しい恋ほど人の心を打つのはどうしてなのか。
私は涙でいっぱいだった。
「だって」
ファルクは愛していた。力一杯愛していた。
それなのに、こんな残酷なことをして。
「こうしないと、俺が残酷なことになっていた」
エドが無愛想に言った。
「なぜ、あいつに同情するんだ。俺はお前が好きだ。王女だからじゃない。ずっとずっと好きだった。あんな勘違い野郎に渡すわけにはいかない」
疾走するウマの背は揺れて、私は捕まっているのがやっとだった。
「それに、あいつは無理矢理お前を自分の屋敷に連れ込んだ」
それはそうかもしれないけど、彼は優しかった。
「俺だって、優しい。それにあいつは、お前の本心に聞かなかった。聞こうとしなかった。聞いてくれたら、返事のしようもあったものを。アンセルムみたいに、本当のことを言えたのに」
「恋してたのよ」
アンセルムは恋してた訳じゃない。
「知ってるよ。だけど仕方ない」
エドは混乱に乗じて一人逆走していた。
私はマントにくるまれたうえ、いつか化けたことのある老婆に姿を変えていた。
「ババアの世話か!」
誰かがおもしろがって怒鳴った。
「怪我人、放っとくわけにはいかん!」
周りは、リール公爵家の者とクレイモア家の者たちが入り混じっていて大混乱だった。
だが、クレイモア家の者たちがどんどんやってくる。リール公爵家の暗殺部隊の方が、少数派になってしまうくらい。そしてリール家の者たちを取り囲んでいった。
「急ぐぞ」
私はエドにしがみついた。
泣きながら……ずっとずっと泣きながら。
数日前のこと。
「証拠がなければ、作ればいいって言うしね」
事前の打ち合わせ会議では、アンセルムが異様に張り切って言った。
そんな諺、聞いたこともありませんが?
「ファルクとティナには申し訳ないが、二人で警備が行き届きにくい森の中の教会に婚約届を出しに行くことにしたから」
私は首を傾げた。
「婚約届って? 教会に出すものなのですか?」
婚約に伴う決め事などに、法的拘束力を持たせるため、役所に届出をすることはよくあったが、教会に行くなんて聞いたことがない。
「クレイモア家の習慣だと言い聞かせた。神の前で必ず結婚する誓いを立てると」
「ということは、その習慣、本当はないんですか?」
「ない」
アンセルムはケロリとしている。
「でも、ほかに人気のない場所へ遠出させる理由がなかった。二人で遠乗りに行けば周りは誰もいないし、襲撃にはもってこいだが、遠乗りの場所と時間をリール家にお知らせする方法がない」
「やる気満々ですね」
私は思わずつぶやいた。
「リール公爵家には、ファルクが婚約者と一緒に婚約の誓いを立てに行くと伝わるように仕組んだ。警備も甘ければ、場所も人の少ない町外れの教会に行くと。騎士団の中にもリール家の者がいてね。まあ、騎士団長の動向だから、黙っていても伝わるだろうが、念には念を入れた」
「役所への婚約届けでもいいのでは?」
「役所関係は町の中だ。襲撃なんかしようものなら、大騒ぎになって、それこそ騎士団が飛んでくる。乗ってるのが騎士団長のファルクだから、襲撃した方は全員返り討ちだ。リール家だって動かない。だが、教会は森の中だ。狙うには絶好のチャンスだと思うね」
アンセルムは満足げで、熱心に説明した。
「最初、メアリ嬢との結婚はないと言ったものの、クレイモア家は考え直したらしいと、噂を流した。リール家に伝わるようにね。やはり平民ではダメだ、立派な貴族の家の娘の方が良いと、私が言ったと。ファルクだけが暴走しているともね。ティナ嬢さえいなくなれば、ファルクとメアリ嬢との結婚は簡単だと思わせたかった。是非とも襲撃して欲しいからね」
「それで、襲撃させてどうするのですか?」
私は確認した。
「栗色の髪のティナ嬢がいなくなる。もちろん、無事だけど、社会的にはね」
アンセルムが説明した。
「金髪のクリスティーナしかこの世には存在しなくなるのだ」
そんなことをしたら、ファルクはどうなるの? 彼はティナを愛している。
「……それは、どう言う意味ですか?」
「二人のティナが一人になる。そして、恋人を失うのはファルクだ」
エドが冷たく言った。
この場にファルクが呼ばれていない意味がわかった。私は顔色を変えたと思う。
慌てて実兄のアンセルムの顔を見た。それでいいのか? 弟のファルクは?
「クリスティーナ姫は一人しかいない。悪い魔女に魔法をかけられ変身させられている。本当の姿は、金髪青目のクリスティーナ姫なのだ。真の恋人のエドウィンが戻ってきた今、真実の姿を取り戻せる」
アンセルムが真面目な顔をして言った。
この嘘話を信じているのか。
どこまで盛った?エドウィン王子?
悪い魔女に魔法をかけられたとか言う設定もさることながら、真の恋人ってなんだ。
「ファルクにはかわいそうだが、クリスティーナ姫との婚約は、国の間の約束事でもある。勝手に覆せない」
エドが行方不明になったので、婚約解除されてますけど?
「それに、元々、恋人のためにガレン国内の情勢を探る意図で料理人に扮していたそうじゃないか。健気だな。相思相愛の二人だったら、ファルクのは横恋慕と言ってもいい。まあ、溢れる気品と美貌に惚れ込んだだけだが。我が弟ながら、さすがはクレイモア家の一員だけある」
アンセルムがおかしなことを言い始めた。相違相愛の健気な恋人って、誰の話?
「ダンスをさせても一流、礼儀作法に一分の隙もなく、会話も上品で機知に富み、うるさい親戚もない超優良物件、しかも優秀な弟つきで、申し分なかったが、これでは致し方ない」
わ、私のこと?
「ただ、ここまで、盛り上がってしまっては、あれはなかったことに、と言うわけにはいかない。浮かれた弟は、あなたを大勢に紹介しまくって、もう引くに引けなくなった。これだけ有名になってしまってから、恋人が突然いなくなったら、みんな理由を知りたがるだろう」
「クレイモア家が、平民娘に振られるわけにはいかないし」
エドが説明した。
「そう。それに、実はアルクマールの姫君だったと言うのも、無理がある」
「魔法なんて誰も信じないからね」
「で、そこで、襲撃事件の発生だ」
「は? はあ……?」
「ティナ嬢は社会的に死ぬ」
は……?
襲撃から逃れた私たちは、まっすぐクレイモア伯爵家に、向かった。
途中からはクレイモア家の護衛たちと思われる騎士たちが、私たちの周りを取り囲んで並走していた。
伯爵家に着くと、エドと、元の栗色の髪の二十五歳の姿の女になった私は、アンセルムの部屋に入った。
アンセルムは静かに書類仕事をしていたようだったが、私たちが入っていくと、目を上げて確認した。
「リール家の者には、誰にも見られていないな?」
エドは神妙な顔をして頷いた。
私はすっぽりマントにくるまれていたが、顔を覗かせた。アンセルムは驚いたようだった。
「なぜ泣いている?」
「こいつはファルクが気の毒だって言うんだ」
エドが渋面を作って言った。
「おや」
アンセルムが珍しく笑顔になった。
「情が移ったか」
「全くお前の弟は酷いことをしやがる。俺の婚約者と結婚すると言い出すわ、肩を抱くわ」
「まあ、いいとしてくれよ。手元に戻ったのだから」
「もう離さない」
「わかったから。私は魔法とやらを見たいんだ」
「見せ物じゃないぞ」
エドは私をソファに座らせ、自分も横に座った。
「さあ」
まだ、グズグズ言っている私を、エドは促した。
エドは肩を抱いて、目を見つめた。
目はたくさんのことを伝えてくる。いろんな気持ち、強い気持ち、言葉に出せないあふれるばかりの気持ち、心、意志。愛情。
「愛してるよ」
聞こえないくらいの声で囁き、エドがキスした。もう離さないと言わんばかりに。
一瞬、変身のことを忘れていたが、前からの打ち合わせ通り、私は変身魔法を解いた。
「おおっ」
アンセルムが思わず声を出した。
私は、エドの腕の中で、ずっと小さくなり、髪は伸びて金色に変わり、肌の色も白くなった。
エドのキスから解放されて、おずおずとアンセルムを見た時、アンセルムは驚いて口籠った。
「本当だ。金と青だ。青い目だ」
彼は私をつくづく眺めて言った。
「魔法だ。初めて見た」
「俺の婚約者を紹介したい」
エドが改めて言い出した。
「クレイモア伯爵アンセルム殿、こちらはアルクマール王女、クリスティーナ様だ。生まれた時からの婚約者だ」




