第49話 礼儀作法とダンス
私たちの到着が告げられると、会場に何がしかの動揺が走ったらしかった。
今晩の生贄の登場だからだろう。
皆、あらかじめ、今晩の出席者が誰だか知らされているに違いない。
出来るだけファルク様と引き離して、困った立場に追い込むつもりだろう。
「お招きくださいましてありがとうございます」
ファルクは至極当然と言った様子で、公爵一家に挨拶した。
ジェラルディン、メアリの姉妹の視線が痛い。
そのほかに公爵一家の視線が痛い。
私は丁重に、堂に入ったお辞儀をしてみせた。
その場にいた人たちは、見ないような振りをしていた人もいたが、全員が私をこっそり見ていたらしい。
お辞儀のさまに、みんながちょっと呆気に取られていた。
「ティナ・シュメール嬢でございます」
アルクマールは国の名前だ。シュメールは家名だ。嘘は言ってない。
ジェラルディン嬢をはじめ、公爵家一家が、前の王太子の婚約者の家名を覚えていませんように。
「ずいぶん……」
公爵が言いかけたけれど、言葉が泳いだ。
多分、田舎臭いとか、礼儀がなっていないとか、色々難癖をつけるつもりだったのだろうけど、言葉が思いつかなかったに違いない。
「……そう、シュメール嬢はどちらの生まれ?」
「北の方でございます」
私は懐かしの、おばあさまと修行に励んだ古城のあるあたりの地名を告げた。
多分、知らないだろう。
「平民だそうだな」
「貴顕の方々を拝見いたしまして、お美しさと威厳に感動致しております」
質問切れになって、放免された。
私たちが立ち去ってから、ジェラルディン嬢とメアリ嬢が、後ろ指をさして何事か喋っていたが、気にしないに限る。
「じゃあ、他を回ろうか」
明らかにホッとした様子で、ファルクが言った。
回るのはいいんだけど、いちいちご令嬢方の視線が痛い。
絶対、何か言われているに違いない。
ファルクは氷の美貌と言われている男だ。狙っていた方々も大勢いるに違いない。みんな、リール家が怖くて手を出さなかっただけで、こんなノーマークの命知らずに獲物を掻っ攫われるとは思っていなかったに違いない。
「勇気を出して、アタックしておいたら、こんなことには……」
背筋が寒い。
「こちら、ザクソン子爵。私の婚約者のティナ・シュメール嬢です」
私は深々とお辞儀した。
私はお辞儀はできるが、あまりしたことはない。
ずっとされる側だったのだ!
なんで、こんなにあちこちで丁重に頭を下げて歩かないといけないのかしら!
「お初にお目にかかります、ザクソン子爵」
なんで、子爵風情にこんなに頭を下げなきゃいけないのよ。そして、偉そうに頷くんじゃないの。
本来だったら、私に挨拶さえできない身分の癖に。
なんだか、イラっとするパーティだわ。
ファルクは満足そうだった。
「すごいな、君は。町娘じゃないみたいだ」
町娘じゃありませんて。
「もしかしてダンスも踊れるのか?」
色々と新しい特技を繰り出すのはどうかと思ったが、ダンスは時間稼ぎにもってこいだ。その間、二人きりになれる。
もし、ファルクがほかの女性と踊ることになったら、その時間、私は一人になってしまう。
リール家の息のかかった人物に、どこかの部屋に連れ込まれたり、このパーティから引き離されてしまうこともありうる。
「ファルク様と二人だけになれますわ。その方が……」
ファルクが驚いて目を大きくした。
あ、違います。二人きりになりたいわけじゃないんです。じゃなくて、ですね……
「踊ろう!」
あいにくダンスの時間になったらしい。
メアリ嬢がこちらをチラリと見た。
そしてジェラルディン嬢が動き出した。ファルクもそのことに気がついた。
「踊った方がいいと思う!」
ファルクも同じ危険を考えたらしい。突然決断した。
「あら。町娘のあなたが踊れますの?」
だが、ジェラルディン嬢の方が早かった。すぐそばまで来ていた。そして、小意地が悪そうに尋ねた。
「無理なさらずに、メアリと踊っていただけないかしら?」
ファルクが答えないので、ジェラルディン嬢は私に向かって嘲笑うように言った。
「踊れないなら、面白い見せ物になりそうですわね」
そして彼女は去って行ったが、楽団が曲を変更した。
およそこんなダンスパーティにはふさわしくない曲だ。テンポが早くて、誰でも踊れるわけではない。
「ああ。これは難しい」
ファルクが困った顔になった。
曲を聞いて何人かが笑って、席に退いた。
「大丈夫?」
ファルクが聞いた。
「どんな曲でも」
私は微笑んだ。
まあ、今、席に戻って行った人たちも、みんな踊れるんだと思うけど、綺麗に踊るのが難しいのよね。
「ファルク様は?」
「一通りは」
こんなところでダンスの試験を受けるとは思わなかった。
当初にフロアに出ていた人数より、かなりの数の組が脱落したが、私たちは残った。
私はファルクに向かって微笑みかけた。
大丈夫よ。これくらい。むしろダンスで攻めてくれた方がいい。十分踊れますもの。
曲が始まる。
私たちは踏み出した。
大勢の人々が私たちを見ていた。
ターンの合間にファルクが言った。
「君はうまいね」
「ファルク様もお上手ですわ」
テンポの速い、うまく踊れれば楽しいけれど、外れると苦しくなるダンスを私たちはみごとに踊り切った。
問題なく踊って、まるで当たり前のように元いた場所に戻った。
「ダンスが上手だ」
ファルクが興奮して言った。顔が赤くなっている。
事情を知っているらしい人々のうちで何人かは、相当面白がっているらしかった。
リール公爵家の娘たちが、私に嫌がらせを必死で仕組んでいるのは知れ渡っているらしい。
全員に丁重極まりないお辞儀をしておいてよかった。
悔しがっているリール家はとにかくとして、他の連中はリール家に好意的ではないらしいということに気がついた。
もっとも、ファルクが連れてきた町娘のことは、どんな田舎娘を連れて来たんだろうと思うくらいで、別に好意的ではなかっただろうと思う。
だが、その娘に貴族顔負けの素養があるなら、リール家が悔しがる様を見られる。
彼らは、おもしろがった。
さっきふんぞり返っていたザクソン子爵などは、ひどく私に興味を持ったらしい。
町娘なのに、リール公爵家の高慢な娘たちをギャフンと言わせただなんて、実に痛快だと言い出した。
「あんたは、見所があるね!」
妙なファンを作ってしまった。
そして、とても困ったことに、この時以来、私はクレイモア家のファルク様の真実の愛の相手として有名になってしまった。
貴族の間だけでなく、平民の間でも。




