第30話 イズレイル先生登場
イズレイル先生が、二階の唯一まともな部屋である食堂に入ってきたと同時に、私たちは食堂の扉を、外からこっそり細く開けた。
覗き見をするためである。
「本当にエドだな」
想像していたのと違って、イズレイル先生は気難しそうな年寄りの男性だった。
『なんか優しそうな小柄な先生を予想してたのですが』
私とラビリアは仲良くならんで部屋の中を覗き込んでいた。
私は口を聞くわけにはいかなかったので、黙って頷いた。
「生きていたのか」
先生は静かな調子で尋ねた。思ってたより甲高い声だった。
「ええ」
「これからどうするつもりだ」
『私も聞きたいです』
ラビリアが要らない口を突っ込んだ。エドと先生には聞こえないからいいけど、私は何も言えないのに、ラビリアは自由にしゃべれてずるいわ。
私はラビリアをつねった。
『痛い! ティナ様』
「不満分子を集めたい。この国は、今、落ち着いていますか?」
先生はため息をついた。
「そんなはずがない。それは自分でもよくわかっているだろう」
先生は勧められるまま、食堂の椅子に腰掛けた。
「リール公爵家に人望はない。一家揃って傲慢で、高飛車だ。今はそれでも他の貴族の機嫌をとっているが」
エドは真面目に耳を傾けていた。
「お前の方が、よほどまともだった」
『この先生も結構傲慢だね?』
「そして頭が悪い。悪だくみだけは回転が早いが。してはならないという発想がないのだろう。実行能力に長けている。昔、当家もしてやられたものだ……」
『この先生、話、長くない?』
そう。イズレイル先生は話が長かった。どうしてもリール家への恨みつらみを言わないではいられないらしい。
『まあ、これだけ本音しか言わないなら、ある意味信用できるよね』
飽きたラビリアが言い出した。
私は夕飯を作りに台所に立っていた。もう、めんどくさい。
先生は頭はいいらしかったが、三代にわたるリール公爵家との抗争は、領地が隣接していることが発端らしく、そうなると子ども時代から両親や祖父、曽祖父、伯父叔母を巻き込んでの一大抗争に発展、落とし所など想像もつかず、両家に恋する男女が生まれたら、ロミオとジュリエットどころではなかったんじゃなかろうか。
「リール公爵家のハロンは、杭の場所をわざと間違えて打ち込み、当家の敷地を減らしにかかった。これが私の祖父の時代のこと……」
エドは自分に味方する家々の名前と連絡先と、自分がいなかった間の動きを聞き出したかったらしいが、あの調子では一晩かかるかも知れなかった。
「先生、俺はこの場所に長くはいられません。身を潜めているので。もうそろそろ、今日の宿に帰らねばならない。ですので、フォーゲル伯爵やバートン卿の状況をお聞きしたい」
『……って言ってますね?』
私たちは、台所でスープを温め、こんがり焼けた鶏の足を分け合いながら、パンの残りにバターをつけて食べていた。
『確か、桃とカスタードのタルトの残りがありましたよね?』
私はうなずいた。口の中に物が入っている時に、しゃべってはならないし。
『あと、りんごのジュースと、そうそうお茶葉のいいのがあったはず』
魔法で、ティーポットが流れるように台所のテーブルまで移動してきて、蓋が開いて紅茶の葉が適量、勝手に入っていく。熱湯がぽこぽこティーポットに流し込まれていく。
台所には、ふんわか上等の茶葉の香りが立ち込めた。
と、同時に疲れ果てた様子のエドが、イズレイル先生と一緒に……いや、イズレイル先生に引きずられるように台所に入ってきた。