第28話 噂を流してみる
だが、翌朝、私は大失敗したことに気がついた。
翌朝、真横に厚い胸板が上下してるところを発見したのである。
文字通り、仰天した。ビックリしすぎたせいで心臓のドキドキが止まらない。
寝巻きの方は、寝ているうちに、サイズが合わなくなったらしかった。
ボタンが全部飛んで、前面、全開になっていた。マズイ。
私の方は、豊満なお姉さんじゃなくて、もとの細い十五歳に戻っていた。こっちもマズイ。
威厳が台無しだわ。
疲れ過ぎて、気が抜けていたんだ。
まあ、元々、寝ている状態で魔法をかけ続けると言うのが無理だった。忘れてた。
エドが目覚める前に、こっそり魔法をかけ直しておかなくちゃ。それと寝巻きのボタンも元通りに直しておかないと。
これでいい。うん。13歳、かわいい。
だけど、毎朝、目覚めるとでかい筋肉隆々の男が横に寝ているって言うのは困るのよー。
「今日中にベッドをどうにかしなくちゃ」
「おはよう! エド!」
私はすっかり着替えて準備をしてから、明るくエドに声をかけた。
「起きて! 今日はどうするの?」
エドという少年は抜け目なかった。
私は彼の図体のデカさに騙されていたことに気がついた。
大きな男性って、もしかして小回りが利かないんじゃないかって、思わない?
「別に思いませんが」
ラビリアが意見を述べた。
「そう……」
私たちが意見交換をしている間に、エドは着替えと朝食を済ませていた。
彼は時間を無駄にしない少年だったらしい。
「この格好で、イズレイル先生のところに行ってくる」
「イズレイル先生?」
「学園に行っていた頃の先生だ」
「先生に会ってどうするの?」
「ここへ呼ぶ」
「なんのために?」
「エドウィン王太子の俺に会ってもらうために」
「なぜここで? 先生のお宅でいいんじゃない?」
「先生の家までエドウィン王太子のままで行くのはマズい。エドウィン王太子の格好で、外に出たくないんだ。かと言って、まさか君を連れて行って、先生の目の前で変身を解いてもらうわけにはいかないから」
それはそうか。目の前で変身魔法を使ったら、そっちの説明でややこしくなりそう。
「俺が訪問して、身内だと名乗れば、先生は疑わないだろう。必ずここへ来てくれる。少年の頃の俺の顔をよく知っているから」
それほどまでに、十三歳の彼を完璧に再現しているのだろうか。私はエドの十三歳の頃を知らないのに。
私の魔法力、すごすぎない?
「いや、そっくりじゃないよ?」
「えええ?」
「だけど、十分似ているからね。きっと信じてここまできてくれると思う。元の俺と先生が会えれば、先生が俺が生きていることの生き証人になってくれる。エドウィン元王太子を推すにしても、死人じゃどうしようもないからな」
ちょっとわかってきた。
「先生は顔が広い。生徒たちから人気があった。今でも手紙だの連絡だのをやりとりしているだろう。俺も可愛がってもらった」
エドは私の顔を見た。少年の顔に鋭い青い目が光っていた。
「ねえ、王太子殿下に純粋に好意を抱いてくれる人が何人いると思う?」
私はハッとした。
絶対に信用できる人物でないとダメなんだ。
「先生の一族は名門貴族だった。だがリール公爵家のせいで没落した。もう二十年も前の話だ。だが、先生は忘れてないだろう。そしてリール公爵家もイズレイル一族から恨まれていることを忘れていない。先生が文官になれず、教師をしているのは、そのせいだ」
かわいらしい少年のセリフではなかった。
「だが、今回はその方がうまく行くかもしれない。学園には名門の子弟が大勢通っている。多分噂の伝播力として学校の教師は有効だ思う。そして先生もリール公爵家を憎んでいる」
エドはニヤリと……年に似合わぬ笑いを浮かべた。
「いきなり大貴族に近づくのは、難しい。誰がエドウィン王子に好反応なのかわからないしね。まず、噂を流してみよう。どんな反応が出るかな。すべてはそれ次第だ」
エドは、裏出口のドアを開けようとして私の方に振り返った。
「今は誰も俺をエドウィンだとは認識しない。どんなに王都の中を歩き回っても安全だ。君のおかげでね。ティナ、ありがとう」
すっと裏出口のドアを細く開けると、身についた用心深い様子で周りを確認して彼は出ていった。
彼が無事でありますように……。私は細くて身のこなしが軽い少年が、人通りの多い街の中へ消えていく様子をこっそり見つめた。
「ちょっと……何、ぼんやりしているんです?」
ラビリアが無遠慮に声をかけた。
「え? 少年のエド、可愛いなあって」
「中身はおっさんですよ? 言ってること聞いてたら、青年飛び越しておっさんだったじゃないですか?」
そんなことはないと思う。懐かしい師に会いにいくのだ。麗しき師弟愛じゃないか。
「なに寝言言ってんですか。エド様は、あの恰好で先生を騙して、ここへ連れてこようとしてるのに」
うーむ。ラビリアの言い方は、身も蓋もないと言うか……
「それはいいから、私たちはベッドの用意やら部屋の掃除やら、食料品の買い込みがあるんですよね?」
ラビリアはウサギ。
基本、家事労働には向いていない。
できるのは薬草摘みくらいなものだ。
「昼はレタスとトマトのサンドイッチ、晩はホウレン草のキッシュとクランベリーのタルトがいいなあ」
メニューの発注かい!
「ここはレストランじゃないのよ!」
だが、私は閃いた。
そうだ。
エドは噂をばらまいて、その結果が知りたいと言いていた。
エドが外に出るんなら、私も外に出たらいいんじゃないかな?
「私、料理ができるわ!」
だからなんなんです?と言った顔で、ラビリアは私の顔を見ている。
「情報収集よ! 王都の町の噂を集めるのよ!」
「野菜売りの亭主が浮気しただの、馬車引きの子どもが風邪をひいたとか言う最新ニュースなんか、何の役にも立ちませんよ?」
それはそうだ。
できるだけ、王家に近い情報を集めなくちゃいけない。
だけど、公爵家の侍女なんか無理。
ついつい私は王女なのよ?とか、ムクムク思っちゃうに決まってる。公爵家の令嬢ごときが許せないわ!なんて考える侍女なんか、すぐクビになりそう。
それに、どこかの家に入ってしまったら、その家のフィルターがかかった情報しか手に入れられない。
「秘密に通じていそうな高級士官とかが、飲んで憂さ晴らしに来る店とか?」
「何考えているんですかあ?」
ラビリアが怪しいと言った目つきで、私を覗き込みにきた。
「ティナ様自身が大事な身の上なのでございますよ? 変なことは考えないで、早くアルクマールの王城へお戻りにならなくては。お父様、お母様はさぞ心配しておられるでしょう」
アルクマールの王城かあ……誰が一番王城勤務から解放されたがるだろうか?
アルクマールの城に仕える連中の中で、最も遊びに行きたがるのは……若い護衛騎士たちである。
侍女たちは朝でも夜でも仕事がある。王城に部屋があり、あまり外に出ない。国王陛下や王太子殿下の周りにいる執務官たちは身分が高く、若くもないせいか、外で飲み歩いたりしない。
「ガレンだって事情は変わらないよね?」
「ティナ様! アルクマールに戻りましょうよ?」
「ダメよ」
私は却下した。
「エドの変身が解けちゃうわ」
「ああ」
ラビリアが絶望したような顔になった。
そう。そう言うことだ。私がいない限り、エドは身バレして大変なことになってしまう。変身の魔法は難しいのだ。
「でも、私だって何かしなくちゃ。護衛騎士団の近くのお店で働くわ!」
『バカなのか? バカだな』
私に聞こえることはわかっているくせに、高音の、秘密の時の声でラビリアはつぶやいた。




