第16話 愛の告白と結婚申し込み
跪いたエドが静かに話し始めた。
「私には婚約者がいた」
……私もです。
「だが、事故で生死不明になった」
エドが私の顔を見た。
「お気の毒です」
なんだか返事が欲しいらしいので、しめやかに答えた。エドは頷いてみせた。
「その方とは幼いうちに一度会ったきりだったが、とても美しい人で……私もこんな淑やかな方と縁が結ばれるとはと心から嬉しかった」
へ、へええ。
勝ち気な私とは真逆な人ね。あ、でも、どうでもいいわよね。
それに、そんなこと、のろけられてもねえ。
『そんなノロケ話、聞かされてもねえ』
ラビリアが言った。例の高音で。
思わずうなずくと、エドが同意されたと勘違いして調子に乗った。
「しかし、私は今、その婚約は諦めねばと考えるようになってしまった」
『それは好きにすれば?』
と、言ったのはラビリアである。まあ、エドには聞こえていないから、いいようなものだが。
「まあ……」
生死不明って、どんな事情があるのか知らないが、婚約破棄されたら、された側は気分が悪いのでは? 生きていればの話だけど。
「私は、婚約者の事故の責任を問われました。嫡子の身分を剥奪され、もう、その方にはふさわしく無くなってしまったのです」
『ほうほう? 無一文なのはそういう訳ね?』
ラビリアが変なところで興味を持ち出した。
「しかし、事故の責任は私にはない」
急にエドは顔を上げて、キリッとして訴えかけた。
「私は王位を狙う者達の陰謀に巻き込まれた。その雪辱を果たさないではいられない。だが、それとあなたは別の問題」
「もちろんですわ」
全然関係ない。
「私に無実の罪を着せた者どもに復讐を果たしたのちに、私はあなたに……あの……」
長い長い沈黙が訪れた。
「何でしょうか」
『早よ、言わんかい』
そろそろ夕食の時間だ。もう昨日のシチューの残りでもいいかな?
「私は……あのっ」
エドはゴホッと咳き込んだ。
「あなたに、けっこ……結婚を申し込みたいと……」
ラビリアと私は、鋭い目でエドを睨んだ。
「結婚……?」
エドは真っ赤になって下を向いていた。
しかし、これは只事ではない。
勝手婚約破棄じゃない。
「確か、美しい婚約者がおられるのでは?」
「はい。でも、私のせいで事故が起きたことになっている。そんな男と婚約が維持されているとは、到底思えない」
「もし、その方がお元気で、あなたを思い続けていたら……」
「だといいのでしょうが、元々、私たちは政略結婚。私の身分だけが結婚の理由でした。身分を失った私に婚約者の資格はありません」
「さあ。そんなことは分かりません。あなたは、結婚の言葉を口に出す資格がないと思います」
「手厳しいですね、ティナ嬢。私はまずは春になったら、ここを出て旅に出たいと思うのです。そして、もし問題が全て片付いたら、改めてあなたに申し込みたい」
『いや、そんなこと、勝手だけど。好きにすれば?』
うっかりラビリアの合いの手に頷いてしまった。
「イエスと?」
エドの目がキラッと光った。この人、目が青く見えたり黒く見えたりするのね。
「あっ、違う、違う!」
私は慌てて訂正した。ダメダメ。
「私にも婚約者がいます」
「ええ?」
エドは驚き慌てた。わたしはジロリとエドを見た。
「私に婚約者がいたら、おかしいですか?」
「あっ、いえ、とんでもない」
『失礼なやつだな』
「結婚が決まっています」
ラビリアが疑わしげに私の顔を見たが、嘘も方便って言うでしょう?
「えええ」
「ですので、今のお話は無かったことに」
ホッホッホと笑うわけにはいかなかったが、貧乏騎士風情が一国の王女に何言ってんのよ。
でも、そう言ったら可哀想でしょ? だから、婚約者がいることにすればいいのよ。
「どんな方ですか?」
「え?」
「私の婚約者の話はしました。あなたの婚約者の話をしてください」
「え? そんなことを聞いても仕方ないと思うわ」
「聞きたいですね」
エドが居直った。
婚約者とは一度も会ったことがない。えーと、どんな人なんだろう。
「どう言う経緯で結婚することになったのですか?」
「わ、私も政略結婚ですの」
「あなたはポーション売りですよね? そして、この城の女中だと?」
女中に政略結婚はない。少なくとも政略とは言わないだろう。
「ええと、都合で。そう、親の都合で」
「親の都合で結婚するくらいなら、好きな人と結婚した方がいいのではないですか?」
床に跪くのをやめて、エドは立ち上がった。
私より頭ひとつ優に大きい。
好きな人と結婚?
「俺はあんたが好きだ。何で好きかって言えば、俺のことを心配してくれたからだ」
彼は私の頭に手を置いた。髪に優しく触れるように。
「本気で心配してくれた。何の見返りもなく。そして、今では俺があんたを好きだ。わけがわからない。でも、今度は俺があんたを守りたい」
守って頂かなくても結構です! と叫びたかったが、声が出なかった。
「あんたの婚約者のことを話してくれ。どんな男で、どんなふうに好きなのか。ことと次第によっては、俺も諦める。あんたが好きだと言うなら……」
そう言って、エドは私の顔を覗き込んだ。
私の婚約者は、幼馴染が好きな男で、迎えにも来てくれなかった。会ったこともない。こんなに身近になったこともない。
エドの大きな手と真剣な目。
理由はわからないけど、私は急に真っ赤になってしまった。
「そうでないなら、俺は待つ」
エドは指で私の頬にそっと触れた。
「真っ赤だ」
そして、急に微笑んだ。
いやあああ。
何だか負けた気がするわ。
「ティナ様……顔、赤いですよ?」
黙れ、ラビリア。
いいのよ。どうせ、私だって、春になればここを出ていく。ポーション作りを迫る商人の一団なんかお断りだもの。アルクマールに帰るのよ。
「俺は、ここを出てアルクマールに行こうと思っている」
「え?」
何しに?
「アルクマールの王城に行かねばならない」
「え?」
エドは優しく微笑んだ。
「ここに戻ってきたらまた会おう。ティナ嬢」
えーと?
今の話だと、戻る前に会いそうだけど?