第13話 襲われる
「おはよう」
台所で、ベーコンと野菜入りのスープを作っていると、声を掛けられた。
結局、夕方まで騎士は起きなかった。私は、熱に浮かされたようにパンケーキを作り続けていた。
多分ラビリアとふたりだけなら、十日間くらいパンケーキだけを食べ続けても食べ終わらないくらい大量に。
よろよろの騎士が、口元に愛想笑いを浮かべて立っていた。
心臓がドキンとした。生きていた。よかった。
「死ぬかと思ったよ。調子が悪くて」
「今はどう?」
「調子はだいぶ良くなった。すまないけど、お腹が減ったんだ」
彼の目は食事に釘付けだった。
「食べていいわよ」
「いいのかい? お金は先払いってことで? 調子が悪いのさえ治れば、どこかで護衛の仕事につけるから」
「気にしないで」
騎士は口いっぱいにパンケーキを頬張っていたが、不審そうに眉を動かした。口も手もいっぱいだったから眉しか動かせなかったのだ。
「どうした、ドロシー。守銭奴で金一筋だった君から、そんな言葉が聞けるとは?」
「ドロシーじゃない、ティナよ。他人から無料で治療を受けようとか甘すぎるわよ、ウィル」
「君の大事なウィルじゃなくて、エドだよ。これでも女の子には自信があったんだけどな」
「骨と皮で同情を買うとか?」
「君はひどいね。元は筋肉隆々だったんだ。それはとにかく、腕の傷さえ治れば元の生活に戻れる」
「元の生活って?」
「護衛騎士。あちこちに雇われる。腕は一流だ」
「だってねえ」
私はスープを出しながら聞いた。
「一流の騎士は、王家に仕えるもんだと思っていたわ」
彼は黙った。
「この街は広いからね」
彼はまるで見当はずれのことを言いだした。
「君に雇われてもいいんだよ? ティナ」
ウサギ印は有名になりつつあるそうだ。
「危険だと思うな。悪い奴らに狙われたらどうするの? 年端も行かない、か弱い女の子が?」
む! また子ども扱い。
「子どもじゃないわ!」
「でも、女の子だ。そろそろ護衛だって必要だよ。ウサギ印のラビレットは、もう有名だ」
「でも、私は、この冬さえ凌げればそれでいいの。春になったらラビレットはお終いよ」
「なんで?」
エドは驚いて尋ねた。
「だって、同じ村の人たちを助けたかっただけなの。今年の冬は訪れが早かった。農作物がダメになって、飢饉が目に見えていた。だから、薬を売って、食料を足して、それでなんとかこの冬さえ乗り切ればそれでいいと思っていたの」
エドは神経質そうな目つきになって、私のことを眺めた。
「失礼。君がいくつなのか俺は知らないけど……」
「十五歳よ」
「商売ってものは、そうは簡単に終わらせることはできないと思うな。特に君のウサレット」
「ラビレット。栄養剤ね」
「うん。すごく効く。俺も試したけど、あんなすごい物はない。ウサギ印のポーションはさらに垂涎の的だ。金持ちたちが動いている」
私は困って彼を見た。脅している訳ではないらしい。
「本当だ。リンデの村が出どころだと俺さえ知っている」
ウサギ印のポーションとラビレットが大人気ですって?
製作者を抑えれば、大儲けができる。
こんな男、見殺しにすればよかったかも?
まさか私を狙って、瀕死です、みたいな芝居を打った訳じゃないよね?
いやいや、彼は本当に瀕死だった。それは私がよく知っている。彼以上に。
私は黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「ものは値打ちがあればあるほど、危険度も増していく。身分が高ければ高いほど、責任と危険が大きくなっていくように」
一介の騎士が言うにはおかしな例えだ。
「リンデの村は危険かもしれない。雪が溶ければ」
「雪があるから今は大丈夫だというの?」
慎重にエドはうなずいた。
「大勢を動かせないから。それに今はもう一つ、ポーションほどではないせよ、リンデの村を狙う理由ができてしまった」
「な、なにを脅すのよ?」
「どうしてウサギ印だなんて名前をつけたんだ」
「え? だって、誰も買ってくれなかったから。ポーションと関係があれば、買ってくれる人が増えるかもしれないと思って」
「安直だったかもしれない。ラビレットもリンデの村の製品なんだよね?」
「誰にも言ったことはないわ」
「でも、想像がつく。もし、ラビレットも抑えられたら、大儲けだ」
私たちは黙り込んだ。室内には、エドがむしゃむしゃ食べる音が響くだけ。
「これ、美味しい。もう一枚ください」
私はため息をついて、最後の一枚を取りに台所へ戻った。確か三十枚は焼いた筈。絶対余るから、私とラビリアの朝食にしようと思っていたのに。
どっぷりとはちみつとバターをつけて、エドはいかにも美味しそうにパンケーキを詰め込んだ。
「辛いものはありませんか? ちょっと甘口だったな」
呆れ返って、私は文句を言おうとした時、表の扉が開く音がした。
私とエドは咄嗟に顔を見合わせた。
「誰でしょう?」
二人とも、まったく心当たりはなかった。
「出口は?」
「反対側にもう一ヶ所」
だが、台所に近い反対側の扉もこっそりと開けられる音がした。近所に気付かれないようにしているのか、静かな音。できるだけ静かな……だが、大勢の足音。
「俺たちが入るところを見られたんだろう。ここから出よう」
「どこから? 出口は二カ所だけよ?」
「上だ。屋根裏があるんだろう。屋根づたいに逃げよう。この辺は密集している。早く」
「屋根づたいなんて無理じゃない?」
「いいから早く!」
私たちは階段を静かに素早く登った。
ドタドタという足音がする。
「なんのためにこの家に押し入ったのかしら?」
私はささやき声で騎士に聞いた。
「君だろう。ウサギ印は今や命の綱だ。いいから早く」
私は半泣きだった。
「大丈夫だ。命の恩人。君はただで助けてくれた。俺の命なんか、もうないも同然だ。なんの為に生まれてきたのか知らないが、君がしたいことができるように守るよ」
「安いわね、あなたの命」
エドは私の顔を見た。
「安くない。値打ちがある。守るべきものが君なら」
「上だ! 下には誰もいない」
叫び声に我にかえって、屋根裏部屋の窓を開けたエドはクシャッと顔を顰めた。
「この家は角屋か! こっちに向いてしか窓はないのか」
最初から私は無理だと思ったの。他の家は知らないけど、くっついて建ってはいるものの、屋根伝いなんて無理。
エドは剣を抜いた。
「ダメよ、エド。引き渡せばいい。剣を振るえば犯罪になる。あなたは殺されてしまうかもしれないわ!」
「どうせ、俺は表を歩けない身の上なんだ。日陰者だ、ずっと一生そうなんだ!」
「何を言っているのよ!」
「ここだああ」
声がする。鍵をかけたが、何人かが体当たりでドアをぶち開けようとしている。
「開けるぞぉ」
「せーのぉ!」
野太い男の声が数人分、声をそろえている。
他に方法はない。私はエドに抱きついて、部屋の真ん中に突き飛ばし、魔法陣の真ん中に一緒に倒れた。
「村の城へ!」
魔法陣が発動した。